どこにでもあるようなお店での、何でもない日のごはん。

大人になってから私はいつも特別なお店を探していて、今は日本になかなか行けないので、チャンスがあればすぐに地元から東京へ美味しいものを食べに行こうとする。たまにびっくりするくらい美味しいものを食べられたり、また何度だって来たいと思えるお店に出会えたりするけど、なぜか私がいつも幸福感と共に思い出すのは、何でもない、地元のどこにでもあるようなお店ばかりだ。

特別に美味しいわけじゃない。わざわざ友達を連れて行ったりはしない。だけど便利だから家族と結構な頻度で行くお店。

例えばパン屋。週末の朝、私にしては早起きさせられ、みんなで車に乗ってパン屋へ行く。店内には小さなイートインスペースがあって、そこで買ったパンを100円ちょっとの紅茶を飲みながら食べる。別にみんなでお喋りするわけでもなく、だいたい黙々食べる。その日おやつに食べるパンも買って、途中でスーパーに寄ったりして帰る。

超近所にあるうどん屋。歩いても行けるけど、だいたい自転車に乗っていく。家族みんなで自転車に乗っているとなんだかおかしい。食べるものは日によってバラバラだけど、サツマイモの天ぷらがあるとついつい取ってしまう。座敷が空いていたらそこに座る。お茶?水?と聞きながらみんなの分の飲み物を入れて、さっさと食べて帰る。店内にはいかにもうちの地元にいそうな家族がたくさんいて、それぞれにくつろいでいる。

人気で予約しないと並ぶことになるイタリアン。安くて美味しくて家族みんな大好き。弟はピザ、弟以外はパスタを頼む。それでデザートに必ずハニートーストを頼む。それにたっぷりメープロシロップを掛けて、全員お腹がはち切れそうになりながら帰る。帰りの車でご機嫌な私は自分の好きな音楽をiPhoneから掛けて、弟に新しい音楽を紹介したりする。

全部チェーン店だし、その地域に住んでいない人はわざわざ行かない。地元の人がふらっと行く、特別に美味しいわけじゃないけれどそこそこ美味しく、値段も手頃で、家族で気軽に行くのにぴったりなお店。

私にとって食べることって、料理の味だけじゃないんだなぁと思う。上に挙げたようなお店は、美味しいから記憶に残るわけじゃない、家族みんなで行って一緒に時間を過ごすから大切なのだ。将来両親が亡くなったとき、私が思い出すのはきっとこういうお店での思い出なんじゃないか。

そんなことを考えて時々寂しくなるけれど、これからまた別の場所で、そういう何でもない日のごはんの思い出を、私の新しい大切な人たちと作っていけたらいいなと思う。