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移り行く車窓の風景② ~Push型からPull型へ~

私の半生を振り返ったときに、車窓を流れるかのごとく、様々な心象風景がありました。
 
私は若干の経済的困難を伴って育ったこともあって、「世の中の人の役に立ちたい、必要とされる人間になりたい」という渇望が尋常なものではありませんでした。
 
目の前の全ての方をお客様と考える。雑用は全て引き受ける。
現場作業を一直二直の通し勤務のあとにようやくデスクワークに取り掛かる。
部署の飲み会には絶対に遅刻しない。仕事が片付いていないならば、飲み会の後に会社に戻って朝までに仕上げる。
どんな状況でも仕事を頂く機会が途切れないように、「私はいつもヒマです。」という態度を見せ続ける。
ぶっ倒れて入院するまで働きました。
 
「製造現場の鬼」のような生活を続けた私は、やがて現場運営の究極がチーム力であるとの結論に辿り着き、「ハッピーサイクル」という言葉を掲げて、従業員の働き甲斐と、会社の数字決算としての成功が両立する手法の試行錯誤を重ねるようになりました。
 
成果は出ましたが、サラリーマン人生としてはアップダウンの連続でした。極端に先鋭化して真実を求める私のワークスタイルもきっと好みが分かれるのでしょう。
 
ようは上司によりけりなのですが、応援してくれる上司の時は破竹の勢い、一方「自分独自の考えを主張する若造は押さえつけてしまえ」という上司に当たったときは数年間冷や飯を食うことになります。どのような上司に巡り合うか。そこにはやはり、いわゆる「2:6:2」の法則が存在します。
 
しかしそんなことも四半世紀愚直に言い続けて五十路になりました。そして最近ふと「急に風向きが変わったな」と感じる節があります。「パーパス経営」や「Teal組織」といった言葉がやがて一般化し、こんなことも語り易い素地が出来てきたこともあるでしょう。
 
私の身の周りが「Push型」から「Pull型」に変化してきたな、と感じるようになったのです。
 
若い頃は、「ハッピーサイクル」を早く実現したい焦燥感が強くありました。組織に一石を投じようとしてプレゼンを仕掛けても手応えが無い。「こんな大事なことをなぜ分かってくれないのだ」という悔しさが滲みます。
 
そんなことも繰り返し語り歩き、色々な現場で成果を挙げ、共感してくれる仲間を増やし、それらの種蒔きが一種の「変曲点」を迎えたのかもしれません。「あなたのやりたいことは分かった。それが必要だからちょっと来てくれないか」という依頼が継続的に舞い込むようになったのです。
 
こうなると、依頼されることだけで自分のスケジュールが埋まっていきます。キャパオーバーになってもいけないので、「こんなことも、あんなことも出来ますよ。」だとか「あの現場ではこんな結果が出ました!」なんてアピールするつもりもありません。「素晴らしいチームのおかげです」とか言って自分を目立たせないようにしても、分かっている人は「こっちにも来てくれ」と依頼してきます。
 
すると天邪鬼なもので、仕事は自然と舞い込んで来るものだから、「如何に要領よくやってヒマ時間を確保するか」とかを考えたりし始めます。そうすると余計なことを考えず、簡潔に早く結果が出る最適解に集中するから更に結果が出る。雪ダルマのようなサイクルです。
 
依頼される内容は、私が四半世紀掛けて熟成してきたものなので、私の中ではもうルーチン化・モジュール化してしまっていて、「ああ言えばこう、風邪を引いたらこの薬。」みたいに迷わず次の手が出てきます。
 
そうすると「検討期間」みたいなものはなくて、「こんな状態の現場組織を何とかしたいんだが」とか言われた瞬間に、
「この期間現場に入って、この数字を押さえて、この順番でキーパーソンに接触し、これを伝え、これを体験させ・・・」という工程表が浮かび上がってくるので、私にとっては工程が物理的に進んでいくリードタイムでしかありません。
 
そうなってくるともはや、「私は何処にいる?」という不思議な感覚に捉われてきます。
仕事が舞い込み、信じる手法で成果が出て、周りの人の顔が明るくなり、「いかにも充実している」という日々が続く一方、「私の意思」のようなものはどこにあるのだろう?
 
依頼される現場にルーチン・モジュールを適用し成果を創出する、そんなサイクルがもはや「自分じゃない外の力に引っ張られて動いている操り人形」の日々を過ごしているように感じられます。
 
そして最近はこのように思うようになりました。
「これは列車の旅だ。車窓に流れては過ぎ去っていく紅葉や春の芽吹き、冬の寒村の風景を慈しむように、楽しんでいこう。」

勘違いを避けたいのは、決して安穏な生活を選択するようになった、ということではありません。現実の実務上では相変わらずの達成感に伴う産みの苦しみや、現実の修羅場に苛まれながらも、内なる私は、それを「車窓を過ぎる満開の桜や雪深い山肌を列車の中から眺める」かのごとく、楽しんでいるのです。
 
チームで成果を出す喜びや、新たな人と出会う御縁、それを楽しむと当時に、バランスして必ず現れる苦しみからは相変わらず逃れられません。しかしその全体の日々を今は、総じて「心の平穏」をバックグラウンドにしながら過ごすことが出来ているように思います。
 
ということで、仕事の「Push型」を「Pull型」へ、最終的に列車の旅を楽しむかの如く過ごせたらいいな、というお話しでしたが、僭越ながら若い世代の方にお伝えしたいことが。
 
私の事例はどこか極端で不器用なので、モデルにする必要は無いのですが、若い人に特有の悩み、「芽が出ない(世の中に中々認められない)」期間をどのように過ごしたらよいのか、という悩みがあると思います。
 
例えばここにイノベーティブなビジネスアイデアがあり、世の中が求める満たされぬニーズの可能性を秘めていると私は信じている。だが、まだ世の中の注目を集めないし、マネタイズも難しそうだ。スタートアップベンチャーの場合はつまり「投資家がつかない」状況ともいえるでしょうか。
 
このときに難しい判断があります。時流が解決することなのか、それともネタとして筋が悪いのか。
 
時間の問題であれば、信じ続けた先に花が開く世界があるはずです。しかし、もしネタとして根本的に筋が悪いのであれば、ずっと言い続けて種を蒔き続けた30年後に「どうやら筋が悪かった」と気付くのは余りにもリスクが高過ぎます。
 
これを見分ける一定の基準がある、と私は考えています。あくまで経験論です。
 
時流が満ちていない、アイデアと志は未来を捉えているがまだ茨の道は続きそうだ。そんなとき、大波は来ないものの、周りに共感する仲間が集っているはずです。語る夢に耳を傾け、いますぐにジョインは出来なくともその夢は美しそうだね、と共感する仲間が周りにいる。
 
逆に言うと、周りに人が集っていない。最先端を行く、世の中に未だかつて無いアイデアだと信じているが、アイデアが斬新過ぎるからだろうか、人に伝わらない。そんなときは「ネタの筋が悪いのだ」と判断して諦める方が良いと思います。
 
究極的には、自分の心の底が本当にそれを願っているのか、という自分自身との対話になるのですが、「自分」とは客観的に理解出来ない最大の謎であるので、「世間」や「仲間」といった鏡に投映して確認していくことが重要だと思います。
 
最後はちょっとお説教めいて僭越ですが、五十路の人生を振り返って参考になればと思い、綴りました。



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