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丸の内効果

私の中で「丸の内効果」と呼んでいる現象があります。
(完全なる私の造語です。)
 
丸の内で働くことが生きがい。日本経済の中心地、丸の内で。
丸の内でランチ。夜は八重洲ブックセンターで新刊を眺めてお茶をする。
帰路は東京駅の連絡通路の雑踏に、最新モデルの車や話題のサービスの無料体験ブースを立ち見して、東京メトロでポッドキャストを聞きながら帰る。
経験が浅いからまだ新卒給だけど、丸の内勤務だから毎日が楽しい。
 
人間の動機を支えるものの多くは実際そんなことで成り立っている側面があるのではないかと。それを「丸の内効果」と自分の中で呼んでいます。特に流行語にしたいと狙っているわけではありませんが。ちなみに人知れず妄想を膨らますのが大好きな私は、このように、未だかつて誰にも語ったことの無い「自分の中専門用語」が山のようにあります。
 
「銀座で」。「NYで」。「この分野で権威の○○先生に直接お会いできる仕事」。「今、注目急上昇のスタートアップテック。先行投資中だから給料は多くないけど一緒に夢を見る仲間と触発し合う日々」。等々。
 
ようは、何か「特別感」を感じさせる自分に投影したストーリー。
 
「地方勤務に転勤になってやる気を喪いました。」とかいうのが真逆のストーリーです。田舎出身の私からすると、全く意味が分かりません。車で10分も走らせれば、国道沿いの大型店で、日本全国同等の品物が大体手に入りますよ。他に何が必要ですか?東京勤務の給与で地方に住むのだから、生活費は下がって万々歳でしょうよ。何が御不満?

見ている知人の例でいえば、地方も慣れてみれば「住めば都」で、みんなエンジョイしていると感じます。
 
さて、私自身が、そのような「特別なストーリー」を渇望して生きてきたと感じます。
 
今は米国のグループ工場を巡りながら、チームとともに生産性を上げる仕事をしています。
 
おかげさまで結果が出るようにもなり、実績も積んできたので必要として頂き、昔に比べればゆとりのある生活をさせて頂いています。
 
若かった頃の私。生活のゆとり、豊かな暮らしに対する渇望は尋常ではないものがありました。時間も忘れて仕事に打ち込み、ぶっ倒れて入院とか。そんな生活をしていました。早く、世の中で認められる、必要とされる人間になりたい。若干経済的困難を伴って育った私にはその思いが強烈だったのです。
 
五十路になって生活の余裕を獲得した私は、ふと振り返って、あの頃の私と今とでは何が変わるのだろうかと思います。
 
平日は全米各州を飛び回ってホテル暮らしの毎日です。ホテルの間取り・規模感は新人社員のころに入居した独身社宅の部屋にそっくり。

平日はいつもこんなホテルの部屋にカンヅメで工場と往復

食事はいまや、好きな食べ物をレストランで幾らでも食べることが出来ます。でもそれをしないのは、毎日体重を測ってカロリーを気にするから。結果的に食事の粗末さも当時のままです。
 
極度に貧乏性な私は、「20年着ているシャツ」とか平気であります。新入社員のころのYシャツを普通に着て仕事しています。
 
生活の内容に大差がないのに、何をもって私は「余裕を感じている」のか。
 
きっと、
・全米を股にかけて仕事をしている
・家族が物質的に困ることのない生活を維持できている
・各地の多くの従業員の生活を向上させる仕事に邁進している
 
そんな「特別なストーリー」を自身に投影して満足しているのでしょう。
 
「ストーリー」には色々な質の程度があります。
 
「丸の内ストーリー」は無害なもののひとつでしょう。丸の内勤務をエンジョイすることで迷惑をかける相手がいるとは思えません。余りに押し出すと厭がる人がいるかもしれませんが。
 
「人と比較するためのストーリー」は危険です。貪りが貪りを呼ぶ、持続性の無いジャーニーが始まります。これは基本的に「自分と他人とを引き離そう」とする行為だからです。
 
「自分が何かの役に立っている」と思えるストーリー。そしてそれに関わっている日々が自然と楽しい。そんなのが、最強でしょう。でもなかなか見つかるものではありません。これは「少しずつ、自然に人と人とのつながりを構築するプロセス」で、時間が掛かります。
 
五十路を過ぎて人生後半へ差し掛かるに当たり、「自分の特別なストーリー・ポートフォリオ」があったとしたら、時間を掛けて整理整頓しながら、上に挙げた3つ目のストーリーになるべく収斂させたいな、と考えるこの頃です。



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