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同窓会

 連休中に帰省したとき、そういえばこれ、と母が一枚の往復葉書を差し出した。それは小学校の同窓会のお知らせだった。
 渋々受け取って目を通す。会場はなんと母校の教室だ。思わず「学校でやるのかよ」とひとりごちると、「あそこちょっと前に廃校になったわよ」と驚きの事実が告げられる。少子化の波がこんな形で。待てよ、ということは、廃墟で同窓会を開くのか? 誰だそんな物好きな幹事は、と思ってひっくり返す。差出人を確認し、少し迷ったあと、私はその葉書を読みかけの文庫本に挟んで持って帰ることにした。
 そして数日後、参加の二文字を○で囲って、返信葉書をポストに投函した。
 私はこれまで同窓会に参加したことがなかった。仕事で都合がつかなかったり、そもそも便りを知ったときすでに会自体が終わっていたりしたためだ。とはいえ、たとえタイミングがよくても気乗りはしなかっただろう。もともと人付き合いが得意な方ではない。今回参加することにした理由は、小学校の同級生という面子の珍しさ、会場の物珍しさもあるが、何よりも幹事が奥村だったことに尽きる。葉書を自宅の机の上に無造作に放っておいたあとも、仕事中のふとした瞬間や、帰宅途中の電車の中で本を読んでいるとき、彼女の名前が脳裡にちらついた。
 奥村知香は私の初恋の相手だった。

*

 奥村とは小学校四年から六年まで同じクラスだった。活発で、はきはきと喋り、明るくてよく笑う。陰気で口下手でひねくれものの私とは正反対の性格の持ち主だ。体育が苦手で他が平均以下だった私にとって、運動ができて勉強もできて皆に好かれる奥村は憧れの対象だった。一体いつ、その憧れが恋愛感情にすりかわったのかはわからない。
 中学に進んでからも、私はひとり勝手に恋心をくすぶらせていた。だが奥村と同じクラスになることもなく、バスケ部と文芸部で接点もなく、たまに廊下ですれ違っても声をかけることもない。告白なんぞもってのほかだった。私はどうにかして奥村との距離を縮めようとあれこれ画策した。何通か手紙を書いて送った(返事はなかった)。登下校の途中、意味もなく奥村の家の近くの道を通ったりした。友人の長沼は、私を見て「恋はひとをストーカーにする」という名言を残した。当時の私は断固として否定したが、いま思えば訴えられたら負けるレベルで、明らかにアウトだった。
 そんな煮え切らない状況にも終わりがやってくる。高校受験を前に私は奥村の志望校を人伝てに知り、なんとかして同じ高校へ進学すべく猛勉強に励んだ。しかしついに迎えた受験当日、同じ中学で並んでいるはずの席に奥村の姿はなかった。受験勉強も順風満帆だった奥村は、直前になって志望校を1ランク上に変更していたのだ。動揺した私の試験結果は惨憺たるもので、結局第二志望の高校に入学する運びとなった。この一年、というかこの三年間、お前はいったい何をしていたんだ。私はあまりのショックに頭を抱えて自分を責め詰ることしかできなくなり、卒業式に思いを告げることすらせず、そのまま自らの感情に終止符を打った。つまりは、諦めた。
 一般的に、「初恋は実ることがない」などと言われるらしい。長沼からそう聞かされたとき私は、例に漏れなかったわけだと自嘲気味に笑うと同時に、だからなんだ、くそくらえと思った。そしてそれきり忘れることにした。奥村のことも、初恋のことも、最後まで何もしなかった自分自身のことも。

*

 集合場所は小学校の正門だった。
 約十五年ぶりに訪れた母校は大きく様変わりしていた。建物はそのままだが校庭には青々とした芝生が広がり、校舎に近い北側に大きな池が掘られている。南端にあった花壇は、四角く切り揃えられた植えこみが並ぶ見事な英国式の庭園と化していた。西側にあったバスケットゴールや鉄棒は撤去されていたが、古びたブランコとジャングルジムは残されたまま、長いツタに覆われている。そんななかを、道化師のような格好をした人たちがあちらこちらと歩き回り、ごみを拾ったり庭木の手入れをしたりしていた。その姿はどこか『不思議の国のアリス』のトランプの兵隊を連想させた。
 正門では奥村が出欠を取っていた。白いシャツと紺色のスカートというこざっぱりした格好で、ショートカットだった髪は長く伸ばされ、落ち着いた雰囲気を身にまとっている。田中ですと名乗ると、奥村は「ひさしぶり」と歯を見せて微笑んだ。懐かしい笑顔だった。
「なんていうか、変わったな、学校」
「私もびっくりしたよ」
 彼女が言うには、廃校になってすぐ、とある富豪が孫のためにまるごと買い上げて模様替えしたんだとか。お金持ちのやることはよくわからない。
「今日はよく借りれたな」
「そのお金持ちの人って、中島くんのお父さんなのよ」
「えっ」
 苦い思い出が蘇る。五年から六年にかけて、私は中島率いる五人組によくちょっかいをかけられていた。休み時間に教室ではがい締めにされ、奥村をはじめとする女子もいる前でズボンを下ろされた屈辱を、どうして忘れることができようか。にやにや笑みを浮かべながらこちらを見下ろしていた彼が、六年の終わりに模範生として表彰されたとき、私はこの世の不条理を心底呪った。
「で、その、中島くんは? 今日くるのか?」と訊ねた私は、たぶん情けない顔をしていたのだろう。奥村は「もう中にいるよ」と笑った。

*

 私たちの学年は二クラス八十人弱だったが、同窓会に参加したのは二十人ほどだった。中島を除いた全員が集まると、奥村は門の脇にあるプッシュホンを押した。なるほど、プッシュホンの隣には表札も掛っている。奥村が名前と用件を告げると、どうぞ、とそっけない返事があり、続けてがちゃりと音がした。どうやら鍵が開いたらしい。通用門を開けて中に入る。
 南校舎の下駄箱でスリッパに履き替える。入り口や下駄箱といった建物内の全てが小さく感じられた。給食室の前を通り、階段を三階まで上る。三階には四年生と五年生の教室、そして図書室がある。奥村が五年二組の教室の扉を開けた。中には小さな机と椅子が並び、机の上にコースターとグラスが置かれていた。
 教卓の隣に、ストライプのワイシャツとグレーのチノパンを身につけたひょろりとした男と、ハーフパンツにTシャツ姿の小学校低学年くらいの男の子が立っている。男の子は入ってきた私たちを見るなり眉を寄せ、「ここは全部僕のなんだからな! 今日だけだからな!」と叫んだ。そばにいる男が「意地悪言ってんじゃない」と叱りつける。
 彼は私に気づいて、「あれ、田中じゃん。久し振りだなー」とにやにや笑みを浮かべながら言った。中島だった。
「それ、中島くんの子供?」
「そうだけど、それって言うなよ」
「すげー似てるな」
「そうか?」
「憎たらしいところとか、そっくりだよ。なんだか無性に積年の恨みを晴らしたくなってきた。殴っていい?」
「殴ったら社会的に殴り返すぞ」
「大人げないなあ」
「お前もだろ。人の子殴るなよ」

*

 奥村のゆるい感じの乾杯で同窓会は始まった。それから、今なにしてるのとか、昔こんなことがあったなとか、当たり障りのない話をした。久野くんは情報系の学校に行ってSEに、吉田くんは家業を継ぐ形で寺の住職に、小学生時代から書道や茶を趣味にしていた林くんは歴史の先生になったそうだ。それぞれ結婚していたりしていなかったり、子供がいたりいなかったり。きっと、明日の朝にはきれいさっぱり忘れてしまうに違いない個人情報を交換し合う。私はものの三十分もしないうちに飽き、しばらくすると周りでもぐだぐだした雰囲気が蔓延し始めた。
 そんな空気を察してか、奥村が「ちなみに今日は校内全部貸し切りだから、自由に見て回っていいそうです」と言った。ひとりふたりと立ち上がり、やがて教室には誰もいなくなった。
 みんなが来た道を戻っていくなか、私は一人逆方向に歩く。五年二組の教室のすぐ隣、図書室へ。がらりと扉を開けると、ほこりっぽいような懐かしい匂いが迎えてくれた。本はどこかに寄贈したのだろう、だいぶ少なかったがまだ残されていた。
 五、六年生の二年間、図書委員だった私はここに入り浸っていた。宮沢賢治を読んだ。ミヒャエル・エンデを読んだ。ゲド戦記を読んだ。ムーミンシリーズを読んだ。ドリトル先生を読んだ。何を思ったか伝記本シリーズを全て読んだ。なぜか漂流記と名のつくものを片っ端から読んだ。そしてどうなったかというと、歴史上の偉人に学ぶこともなく、雨にも負けて風にも負ける、冒険心もなければ意志も弱い、夢を見ることもあまりない偏屈な人間になってしまった。どこをどう間違えてしまったのか、甚だ不思議な話だ。
 それにしてもこんなに狭かったのか。私は棚を眺めながら図書室をぐるりと一周した。
 突然、外でごおっと風が吹いたかと思うと、大粒の水滴が窓ガラスに当たってばちばち弾けた。通り雨だろう。みんなは大丈夫だろうか。窓に近づいて校庭を見ようとするが、雨が激しすぎてよくわからない。
 図書室を出る。北校舎に向かおうかと思ったが、渡り廊下が雨ざらしで川みたいになっていたのでやめた。仕方なく廊下の窓から中庭を見下ろす。かつて先生方の車が停められていた中庭に、丸い池が作られているのがかろうじて見えた。やがて雨が止むと、タイミングを見計らったかのように噴水が上がった。日が差してきたのか、細かな水滴がもやのように広がって、ところどころ光を反射して輝いている。
 みんなはどこに行ったんだろう。そう思って階段の踊場まで来たとき、なんとも甘酸っぱい思い出が記憶の引き出しから転がり落ちた。

*

 下校時刻。ランドセルを背負って、階段を駆け下りる途中。
 開いている踊場の窓、そこから覗く空。
 私は門のあたりにいた友達に向かって叫ぶ。
 その手前に偶然居合わせた奥村の、きょとんとした顔。振り返って、私の指差す先を見る。

*

 外で歓声が上がって我に返る。踊場の窓を開ける。池の向こうにみんなが立って、校舎を眺めていた。
「田中くん、はやく!」奥村が手を振りながら叫ぶ。
 何があるんだろう。僕は首を曲げて校舎の壁を見る。
「そこからじゃ見えないから、下りてきなよー!」
 窓を閉め、階段を下りる。頭の中で思い出の続きをすくい上げる。奥村が空を見て、それから笑顔で私に手を振ったこと。どぎまぎしながら右手をあげて、恥ずかしくなってすぐに頭を引っこめたこと。顔が赤くなっているのを隠すように、走って家まで帰ったこと。
 急いで靴を履き替え、校庭に出た。土と草の匂いが立ち上り、湿り気を帯びたぬるい空気が肌を撫でる。
 いじめっこだった中島や、憎たらしい中島の息子まで、みんながみんなぽかんと口を開けて立ち尽くしていた。小走りで奥村に近づく。奥村はにっこり微笑んで校舎を指差していた。振り返り、息をのむ。
 当時の自分の声が校庭に響いた。

「おーい! 虹だー!」

 雨に濡れた校舎が淡い虹色に光っていた。それはまるで息をしているみたいに、ゆらゆらと揺れている。隣を見ると、奥村の瞳にも虹が映りこんでいた。
「奥村」
 俺は彼女の名前を呼ぶ。ここ数日、何度も頭に浮かんで消えなかった、葉書の差出人の名を。
「いや、大森知香さん。
 結婚、おめでとう」
 奥村は目を丸くしたあと、ありがとう、と少しはにかむように笑った。


***
初出:2010.7.2

* あとがきはこちら(投げ銭制有料マガジンです)

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