我が家の神々
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我が家の神々

 2DKの私の部屋には神がおわす。
 ツインテールの神は十四、五くらいの少女の姿をしている。長い黒髪を両側で結っている。最近はカーキやチョコレートブラウンのゆったりめのパンツと白いシャツやカットソーの組合せが多い。グレーのパーカーを羽織ったりもする。シャツにはときどき小洒落た書体で「神」とか「GOD」とかプリントされている。一体どこで手に入れるのか。

 ある春の雨の夜、私が仕事から帰ると、普段引きこもりのツインテールの神が珍しく外出していた。夕飯の準備を済ませ、文庫本の頁を捲りながら待っていたら、戸口でゆらりと髪の束が二つ揺れた。ツインテールの神が、白く細い腕に赤子を抱いている。それが、荒ぶる神だった。
 私は呆気に取られながらも、差し出された荒ぶる神をおっかなびっくり抱っこした。風呂場に向かうツインテールの神の長い髪の先から、ぽたぽたと雨の雫が滴る。何があったんですか、と訊くと、神は濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら、いろいろだ、と神妙な面持ちでお答えになられた。いつもと同じお決まりの返答だったが、いつになく重々しいその表情に突っこんで訊ねるのも憚られたので、私は黙って事態を受け入れることにした。このスキルは主にツインテールの神が現れてから身についた、というか身につけざるを得なかったものだ。
 それに、どちらにせよ訊ねる余裕など一瞬で消え失せた。荒ぶる神がばたばたと手足を動かし、私の腕を抜けてフローリングの床の上にころんと転がると、大声で泣き出したのである。
 荒ぶる神は、とことん荒ぶり続けた。内に溜まった不満や不安や不倶戴天を全てさらけ出し爆発させた。耳をつんざく泣き声にカーテンは裂け、ベッドのシーツは涙と涎でびしょ濡れになり、積んであった本は雪崩を起こした。
 小一時間後、荒ぶり疲れた神はご入眠なさった。すやすやと穏やかな寝息を立てる神の隣で、私とツインテールの神は精魂尽き果て、同時に荒ぶる神の神々しい寝顔によって絶望的な多幸感に満たされた。そしてそのまま屍のように眠った。
 こうして荒ぶる神との生活が始まった。

*

 荒ぶる神には言葉が通じない。より高次元の言語を用いて私に語りかけてくださるが、私にそれを理解できる能力がない。私は状況と神の麗しい御目と身振り素振りからおおよそを推測することしかできない。それでも神は懸命に私に何かを伝えようとする。私もまた懸命にその意図を汲もうとする。その様子はツインテールの神曰く、「意見が対立しているか斜め上にずれている部族の躍り対決」のようだと言う。その例えもよくわからない。
「なんで神同士での会話が成立しないんですか」
「同じ日本人でも方言で通じないとかあるだろう。あれの神バージョンだと思ってくれればいい」
 つまり人智を超えた方言ということか。
 最終的に荒ぶる神の望みが叶えられたか否かは私には知り得ない。神のみぞ知る、否、神すらも知り得ないのかもしれぬ。

 たいていの神がそうであるように、ツインテールの神は我儘である。ベッドを独占する。二日に一度はラーメンを貢げと言う。三日に一度は黄色くてぷるぷるした甘いものを所望する。天獄から黒猫経由で届いた、私が楽しみにしていたマンガを勝手に開封し、さらに帰宅早々私の前で重大なネタバレを披露する。最後は単なる嫌がらせだが、とかく神は我儘なのである。
 荒ぶる神の我儘は、我儘の域を超えている。強烈な要求を抱えたまま真正面から衝突してくる。ぶつけるのではなく、ぶつかるのだ。オブラートなんてものはない、曖昧な含みもない、直接的かつ物理的に訴えてくる。受け手はとても痛い。
 さらに、望みが叶えられなければ雷や嵐を呼ぶという実力行使に出る。先日は本棚に揃えてあった本までばらばらと風で飛ばされ、角で頭を打って死ぬかと思った。嵐が過ぎ去ったとき、床に落ちた本のほとんどが水浸しになっていて、私は号泣した。
 雷や嵐が去ると、荒ぶる神はけたけたと笑う。何の衒いもなく、単純に面白がって、心の底から楽しそうに笑う。その笑顔を見ると、私は泣きながら幸せに包まれる。絶望的な幸せのなかで部屋の片づけをする。

 荒ぶる神は予測不可能である。突然叫んで走り出す。右に向かっていると思ったらいつの間にか後ろにいる。姿を消す。真夜中に大声で歌って踊る。いつでもお菓子を所望する。お菓子がなくて嵐を呼んだかと思えば、はためくカーテンが面白かったのか、うきゃきゃと笑う。エンドレスで儀式を執り行う。袋状のものはとりあえず開いて中身をぶちまける。積めるものは積めるだけ積む。エンドレスでDVDをご鑑賞なさる。食べながら眠る。眠っているときだけは平穏が訪れる。

*

 ある日、残業を終えて帰宅すると荒ぶる神はお眠りになられていた。ご尊顔を拝して暴力的な多幸感に打ちのめされたあと、隣で力尽きて寝落ちしたのだろうツインテールの神に布団をかけてやる。ツインテールの神はなかば廃神と化しつつあり、最近髪を結う神力もないらしく、長い髪を肩まで下ろしていて、つまりツインテールの神ではないわけだが、これはこれでよいものである。頬が痩けているのが痛々しい。
 私は寝室の襖をそっと閉め、隣の和室の片づけにとりかかる。荒ぶる神は近ごろ画用紙をびりびり破ることに御執心なさっており、床では色とりどりの紙製の魚たちがびちびちと跳ねながら産卵し、さらに孵化した稚魚がぴちぴちと跳ねていた。私はごみ袋片手にそれらを掴んでは捨て、掴んでは捨てる。明日が燃えるごみの日で本当によかった。途中掴んだ一匹の腹に文字が印字されており、その断片を拾うにつれ、どうやら私の積ん読のうちの一冊らしかった。頬を涙が伝った。

 毎日ほぼ決まった時間——仕事が遅くなければ、私が食事の準備をしているとき——になると、特等席である小さな椅子に鎮座した荒ぶる神が、前のめりになって私たちには理解し得ない言語で何やら捲し立てる。ツインテールの神はそれを「演説」と称し、罰当たりにも当てレコをして楽しんでいる。
 ある時は、
「私は、ご飯量のアップを要求します!」
「ベアみたいに言うな」
であったり、またある時は、
「人民の、人民による、人民のためのラーメンが地球上から消えてはならないのです!」
「まだラーメン食べたことないだろ」
であったりする。

 話はそれるが、神事としての神との会食は直会(なおらい)と呼ばれ、神の食べ物、神饌(しんせん)を御裾分けしてもらうことで、霊力とか神力とかをその身に取り入れることができるのだという。神饌は、例えば米なら神田のような聖域で清浄に作られ、基本的には加工しない生饌(なません)が用意されるが、聖なる火を用いて煮るなどした熟饌(じゅくせん)もあるのだとか。
 さて、我が家の神々はどうかと言うと、食材はことごとく近所のスーパーで揃えており、私の手によってガスコンロの火で煮たり焼いたり、熟饌どころか単なる家庭の味である。
 とは言うものの、荒ぶる神は神の舌がご健在なのか、なかなか味にうるさい。ひと口含んで口に合わなければ即、床に叩きつけるという傍若無人っぷり。それでいて満腹にならなければ嵐を伴う癇癪を起こすので厄介である。二週間ほど試行錯誤して、ようやくコツを掴むことができた。味つけは濃すぎても薄すぎても駄目。油は少量なら可、香辛料は全く使用してはならぬ。だしはきちんと取る、だしの素やうまみ調味料など言語道断。(お陰様で最近だしのとりかたを覚えた。定番は昆布と鰹の合わせで、たまに煮干やあごを使う。)
 対してツインテールの神はこってりしたラーメンが大の好物で、その他にもカレーライス、コンポタ、ハンバーグ、甘いもの全般が好きという、いわゆる子ども味覚だ。スーパーの惣菜コーナーで売っている、胃がもたれるくらい脂っこいフライとかでも平気で食べる。私がせっせと昆布だしをとっていると、近ごろ味が薄い、もっとパンチのあるおかずを作れと背後からぶちぶち文句を言ってくる。
「最早怒りや呆れを通り越して心配になってきますよ」
「何が?」
「神性が穢れてないか」
「大丈夫。かの有名な天照姐さんだって、たまにお忍びでラーメン食べてるらしいよ」
「姐さん呼ばわり」
「あまりに神々しいせいで、なかなかお代を払わせてもらえなくて困るって、雑誌のインタビューに書いてあった」
「雑誌」
「月刊・神」
「そのままか」
「今月は八百万に人気のラーメン特集」
「神々のあいだで空前のラーメンブーム到来……その雑誌、どこにあるんですか」
「あ、神じゃないと読めないよ」
 私は裸の王様を思い出した。
 本日のメニューは鰤の照焼、大根と人参の煮物、中華風スープである。私が直会の効果を感じたことはまだない。

*

 体力も気力も神力も奪われて息も絶え絶えになったり、感情の触れ幅が大きすぎてあるいは大切にしていたものを破壊されて涙したりと、まるで悪いことばかりのようだが、しかしながら一人と二柱での生活というのは様々な発見があり、なかなかに楽しい。
 自分で呼んだ嵐が鎮まり、水浸しの部屋にかかった虹を見つめる、荒ぶる神の真ん丸な瞳。
 聞くだけで幸福になれる、純粋に楽しそうな笑い声。
 眠りながらひとさし指を握る荒ぶる神の小さな手。意外に力が強い。
 どうにかこうにか荒ぶる神を寝かしつけ、起こさないよう小声で交わす、ツインテールの神との他愛ない会話。
「いつかみんなでとんこつラーメンを食べに行きたいな」
「行きたいですね」
 現時点で、いつになれば荒ぶる神が鎮まるのか全く分からないし、鎮まった姿なんて想像もつかない。けれども、そんなささやかな夢に向かって、私たちは日々を暮らしている。

#小説 #短編 #神 #ラーメン

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