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玉手箱

「乙姫はどうして浦島太郎に玉手箱を渡したのかしら」
 少女が言う。肩にかかるくらいの髪、滑らかな曲線を描く体、細く伸びた手指、先の丸い靴。それらすべてが白く、皮膚と衣服の境界がわからない。赤く光る瞳をこちらに向けて、彼女は微笑む。
「ねえ、幽霊さん」
 窓の外をごつごつした建築群が右から左に流れていく。列車は、街を縫う透明な管のなかを滑るように進んでいく。
 彼女によると、いま乗っている列車は住宅街から学園への連絡線で、私はこの車輌に毎日出現する幽霊らしい。両側の長い座席に並ぶ女学生たちは皆彼女と同じような容姿で、ぺちゃくちゃとおしゃべりに興じている。立っているのは私だけで、私の姿が見えて話すことができるのは彼女だけ。
「だっておかしいでしょ。箱を渡して、開けてはいけませんよ、なんて」
「そうですね……選択肢の一つ、というのはどうでしょう」
「選択肢」
「浦島太郎はひとり時間を飛び越えて途方に暮れたわけですよね。家族もなければ知人友人もない。でも、そこで新しく関係を築くことだってできたと思うんですよ」
「だめだめ、そんなの理想論かつ根性論だよ。私が浦島だったら挫けちゃう堪えられない信じられない」
「なんで猛烈な勢いでぐだぐだするんですか。まあ、そんなぐだぐだ浦島にもひとつだけ救いがあります」
「玉手箱による老化、つまり自死ね」
 私は頷く。
「かつては浦島太郎が鶴に変じて飛び去っていくという結末もあったそうですよ」
「鶴亀か。めでたいね。ご褒美っぽい」
 姿は変わってもそういう文化は残っているらしい。そもそも浦島太郎が出てきたのも驚いたけど。
「もしかしたら歳月は、ご褒美なのかもしれませんね」

「ところで、この列車から降りる方法なんですが」
 私の言葉を遮るように、ぽーん、と間抜けな電子音が鳴った。
「間もなく学園に到着します。安全索の接続を確認してください」
 車内放送の直後に低い轟音が響く。座っている少女らの体が座席に押しつけられ、ややあって、ずんと衝撃が来る。到着したらしい。
 女学生たちは安全索を座席から外して腰に格納する。天井の扉が開く。ひとりまたひとりと床を蹴り、車輌空間内を浮かび上がる。その白い腕が、髪が、爪先が、扉から出た瞬間にふっと消える。
 彼女もまた扉の先に消えた。あとには、空っぽの車輌と開いたままの扉と床から離れられない私だけが残される。
 幽霊は私なのか。それとも彼女たちか。とにかく人類は三百年で変わりすぎだと思う。
 扉が閉まる。

 私の玉手箱はどこだ。

#小説 #短編 #SF #一駅ぶんのおどろき #浦島太郎

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