父親の死と、現状

週7カップ麺


私にはお父さんがいない

元から、という訳ではなくて、私が小学5年生の頃に肝硬変で亡くなった

父親は私が物心ついた時からいつもお酒を飲んでいて、いつも酔っ払っていた

後から母親に聞いた話だけど、「学生の頃からお酒を飲んでいた」「仕事で失敗してから、借金を抱えてから沢山飲むようになった」と、他にも色々語っていた

私は父親が焼酎を飲むためのお湯を注ぐ係だった、私は喜んでやっていたけれど
大きくなった今そのことを考えると少し悲しかった
あと、たまにビールの泡をもらって舐めたことがある

苦かった


父親は何回も急性アルコール中毒で搬送され、入退院を繰り返していた。

その中で1番印象に残っているのは、汚い部屋(いつも)で母親が父親を包丁で脅していたこと。
父親は「殺すなら殺せ」と言っていた
脅していた理由は、多分、救急車に乗りたがらないから(病院に行きたくないから?)

そのときの私は怖くて号泣していた
兄に慰められながら。

父親は運ばれて行った
玄関が狭くて担架が入らないから、2階の高さから猿を捕まえるみたいなネットで転がって行った

その次に印象に残っているのは、父親が泥酔状態で、兄の高校の新品の教科書の上に吐いて兄が怒っていたこと
涎を垂らしながら私にまたがって来たこと。

あのとき父親が私に何をしようとしたのか、何がしたかったのか今もよく分からない

その次に残っているのは、真夏なのに父親が「寒い」と言って冷房が付けれなかったこと。


父親は、主治医から「もうお酒は飲まないでください、死にますよ」と言われていたのに病室でも隠れて飲んでいたらしい

その事実を知って少し悲しかった

母親が仕事と、父親の面会で忙しかったからいつもご飯は兄と一緒か、ひとりだった
買い置きの惣菜か、お弁当だった

小学5年の夏休みの終わり頃、母親と一緒に父親の面会に行ったとき
父親に「宿題は終わったか?」と聞かれ、私は「ぜんぜん!」と答え、「知らんぞ〜怒られていっちょけ(怒られておけ)」と言われ、私はニコニコしながら「うん、怒られていっちょく〜」と言っていた

元気になったら一緒に水族館に行く約束もした。

だがそれは叶わなかった


8月末 午後21時過ぎ
おばあちゃんとご飯を食べて帰ってきてすぐ、電話があった

母親がすごく急いだ様子で「パパの病院に行くよ」と言ってきた

病院に着き、父親は酸素マスク?、点滴、心電図を装着し眠っていた

隣に医者がいた

よくドラマである、心臓の音を刻んでいた心電図が急に「ピーーーーー」と鳴って医者が「午後〇時〇分、ご臨終です。」ってヤツ、あれは覚えていないけど
母親が「ほら!!手がまだ温かいよ!!」と泣きながら言っていたのは覚えている

小学生だった私は、小学生なりに“死”を理解して涙が止まらなかった

父親はお酒のせいでお腹に水が溜まり、妊婦さんより大きくなっていた
その水を看護師がどうやってかは知らないけど、一生懸命ジュボジュボ抜いていた

その音が悲しくて悲しくて仕方がなかった

その後は霊安室(本当にあったんだ)に案内され、本当に顔に白い紙がかけてあった

その日は近くの葬儀場?に泊まった
兄と母親がコンビニに行って、私は留守番をしていた

そうしていると急に時計の針が狂いだし、引き戸が少しずつスーッと開いていった
誰かの目が見えた

そのときの私はなぜか全く怖くなくて、逆に安堵感さえあった

多分父親だったんだと思う。

お通夜をし、親戚集まってお葬式があった

葬儀場の人の喋り方がすごい、なんか、例えると怪談レストランのギャルソンみたいだった
見た目も似ていたような気がする

今も父親が夢に出てきたり、フッと父親っぽい人が一瞬見えたり、金縛りになって、声がする
そういうのは全部父親ってことにしている

怖くなりたくないし、それに父親のことが大好きだったから。

学校から帰ってきて父親と一緒にドラマを見るのが大好きだった
特に好きだったのが「素敵な選TAXi」だった
今もそのドラマに出ていた俳優さんが好き



大きくなった今、母親から父親の素性を教えてもらったことが何回かあるけど、それでも好きな気持ちは変わらなかった
そのせいか今になってもよく父親のことを何回も思い出し、悲しい気持ちになる


私は今こんなんになってしまったけど、

父親に会うのを楽しみにしています

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