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母の日を前にして思うこと

生まれる前の私は
雲の上からお母さんをずっと見てた

いつも辛そうな顔をして
他の家と少し環境の違う家に生まれたことを呪って
弱い体に生まれたことを嘆きながら生きている

綺麗な顔をしてるのに
いつも笑顔がない

私はあの人をお母さんにするために
ちょっと怖いけど地球に生まれてみようと思った

お母さんにお花をあげるために
私がお母さんを笑顔にしたいの

だから
小さい頃はいつもお花の絵を描いて
「将来の夢はお花屋さん」
お花の絵を描いたら
お母さんは喜んでくれた

私が本を読んだり
お勉強したりすると
とっても喜んでくれるから

たくさん本を読んで
お勉強もした

クラスの男の子にガリ勉と言われるのは嫌だったから
本当はもっと勉強したかったけど
それでも控えめにしていたつもり

数字の得意な私のお母さんは
テストの点数がいいとやっぱり喜んでくれる
通知表も5が並んだら
偉いねってほめてくれる

お勉強以外でほめられることはあんまりなかったし
テストの点数を取ることは苦ではなかったから
お母さんを喜ばせるにはお勉強してテストで点数を取ることが1番簡単だった

いつしかお花屋さんの絵を描くことはなくなって
テストの点数と成績ばかり気にするようになった


学校を卒業したら
テストはもうない
1番難しい司法試験に合格したら喜んでくれるかな
でもそこまでは頑張れなくて
父と同じ公務員になった

お母さんも喜んでくれて
父も納得してる
現役で国立大に行って公務員になって
なんて親孝行な娘なんだろうってすごくほめられた

結婚して
子どもを2人生んだら
もっとほめられるはず


…でも
結婚は親の言うタイミングでしたものの子どもができない
子どもができないのは私の仕事のせいだって言ってくるあちらの家族

私の仕事は子どもを生んで育てることだって
甥っ子の寝顔を見せながら諭す義祖父


だんだん人に決められた人生を歩んでいることに
窮屈さを感じるようになった

調べてみると
子どもができないのは私のせいではないという

でも
あちらの家族は誰も信じてくれない…
味方がいない


それでも私のところに来てくれた息子
私に似てるでしょ?って言ったら
そんなわけないって全否定のあちらの家族
意味がわからない

お母さん?
私子ども生んだよ?
頑張ったでしょ??

帰ってきた言葉は
「子どもができないのはうちのせいじゃなくてよかった」
「1人生んだら3人生めるよきっと」

私はちゃんとした仕事をして親を安心させることができて
ちゃんと子どもを生んで育てようとしているのに
もっと生まないと

まだ頑張らないと喜んでくれないの?


……そのうち、噛み合わない夫の至らない部分が目につくようになり
同じ空気を吸うのも嫌になり
2人目が生まれることはなかった

仕事も頑張った
管理職にもなった

でも

求められることは増え
体も心も疲弊するばかり

息子は夜発狂して学校に行かなくなった


お金出すから誰か助けて…



誰かに助けてもらうより先に
私の心と体がおかしくなった

コロナ禍で仕方なかったとは頭ではわかっているけれど

お母さんから
「家には来ないで」
と言われて突き放されたように感じ
心の糸が切れてしまった


私の大切なものはなんだろう
お母さん?息子?それとも自分???

親たちがお膳立てした就職前の結婚でモノクロになった世界は
500円のミニブーケで少しだけ色づく💐

誰のために?
なんのために?
どうして地球に生まれようとしたの?


お母さんがいつも文句を言っている私の父が
体を張って病気になって

「生きる」

という意味を体を張って教えてくれた


ただ、そこにいるだけで良かったんだ

いくら稼げるとか
人よりも優れているとか
そんなものは小さな指標でしかなかった

いや、指標ですらなくて
単なる思い込みだったのかもしれない


父の文句をお母さんの口から聞くのは辛かったけど
それでお母さんが少しでも笑顔になる時間が増えるのならばそれでいい
そんな気持ちで聞いていた


もう
誰かの目を気にして
小さくまとまるのはやめようよ

カゴに囚われていると思っているのは
ただただ自分が作ったブロックの幻かもしれないよ


それをお母さんに伝えられたら
私は生まれた意味があったかもしれないって思う

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