見出し画像

僕が美容学生になるまでその1

米粒です!

今回は前回お話した通り、
高校時代に将来の進路を「美容専門学校」
にするまでのことを話していきます

回顧しながら書くので少し長くなるかもしれませんが、

次の春から美容専門学校に行く人や
進路が決まりそうな人
将来を考え始める学生の人たちへぜひ見てもらいたい内容になっております

では行きます!

始まり

まず最初に、話を高1だった2007年に戻して話します
自分は何の変哲もない
当時偏差値52の普通科の高校に通うどこにでもいるような高校生でした
工業高校などとは違い普通科の高校なのでほとんどが大学または専門学校に進学という流れでした

高1だった自分は部活には入っていましたが途中で辞めてしまい
高1の終わりから高2になる頃までは学校が終わると祖父のお見舞いに病院に通い

高2になると病院に行く頻度は減り、ひたすら学校が終わったらテレビゲームをしたり筋トレをしたりしていました

ここまでは全く美容も関係ありません

ただ、高1のときは中学の同級生と遊ぶことが多かったのですが
そのうちの1人は校則が自由な高校に通っていたため
高1にして茶髪で当時流行っていたアシメという斜めな髪型がオシャレでした

自分の学校が校則が厳しかった分、友達への憧れは強くなっていっていました

オシャレ

さらに少しお恥ずかしい話になりますが
高校受験を終えて高校に入学した途端
「モテたい」
と思うようになり
お小遣いでヘアワックスを買ったり
中学の時まで通っていた床屋から美容室に変えたりオシャレをすごく意識するようになりました

高2になり中学のときの友達とはほとんど遊ばなくなったものの
同じ高校にオシャレ好きな友達ができてからは
「このワックスはいい」
とか
「この美容室は腕もいいし安い」
などの情報交換や

自分と友達の家には何冊もファッションやヘアカタログがあり、交換したりしてよく読みました

高2の秋になってくるとカタログをずっと見ていたおかげか

当時流行っていたワックスの種類、値段、効果など全て言えるようになり

ワックスに興味のないクラスの人からは
「ワックスおたく」
というあだ名をつけられたこともあります

進路

このとき自分はかなり進路を悩んだことを覚えています
これは他の記事やツイートでも書いたことがありましたが
いくら大学のパンフレットを取り寄せても
いくらネットで大学を見ても
大学というものに興味を持てませんでした

ですが大学進学率が7割くらいの学校でしたし
自分の父は「とりあえず大学に行け」
という人物でした

高2の秋くらいまでは部活をしていなかった分勉強もそこそこしていて
クラスでも成績はわりと良かった方だったのでなおさらでした

高2のときはよく父と学校終わりに外食に行くことが多く
進路の話になると父は
「米粒は英語がよくできるし、将来は大学に行ってそれから英語が活かせる仕事につけるといいな」
と言っていました

しかし英語は中学のときによく勉強していた延長ですんなり頭に入っていたというだけで
さらに「英語が活かせる仕事」の具体的な職業を父は教えてくれず職業のイメージが持てませんでした

畳みかけるように高2の冬に、
3年生からは難関大学を目指す特進クラスに決まったということを担任から告げられました

大学進学を望む学校と担任と親と

大学に興味が無かった自分は板挟みの状態でした


帰省中の気づき

高2の年末年始に、毎年恒例の長崎のおばあちゃんの家に帰省をしたときのことでした

その頃にはまるでホストのようにばっちり髪を決めないと落ち着かなくなっていたので

帰省でオシャレを別にしなくていい時ですら何十分もかけてセットしていました

そして当時の長崎の家の洗面所でふと

「‥大学には興味ないけど、ワックスとかを扱うことには興味がある!」

と気付きました

福岡から長崎まで行きは母親と電車でしたが
帰りは同じ日に帰る地元が近い親戚のおじさんの車で送ってもらうことになり

親戚のおじさんに挨拶すると

「おー、米粒ちゃん、大きくなったしその髪の毛まるで芸能人みたいだな」
と褒められ
同時に車中で父には言えなかった進路の悩みをおじさんに話すと

「米粒ちゃんの人生なんだから!」
と背中を押してもらいました

そして高3では特進クラスに入ることは決まっていたものの、
どうしてものときは専門学校の進学も許可してくれるだろうという浅はかな考えで

専門学校に行きたい気持ちを親や家族、先生にも言えないまま自分は高3になりました

続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?