見出し画像

死んで逃げても逃げられていない。

昨日、「なんで加害者は死んで苦しみから逃げられたんだ」といら立ちが止まらなかった。
ならば、私も自殺してしまえば、後遺症の痛みやフラッシュバックの苦しみからも解放される、死んでしまったらもう何も考えなくていい。
とふと、一瞬頭の中をよぎった。

以前の記事のも書いたとおり、
事件後、自殺を決めた私。|ものくろちゃん|note
私は、事件後に数回自殺未遂をしている。

一番、致死率が高そうだったのがピアスのニードルで血を抜く。
1.5リットル血を抜いたら、意識が遠のいて死ぬだろうと。
その時の私は、痛みがあまりにも強すぎて、陣痛の始まりの頃の痛みが延々続いているようなそんな感じだった。
食べても、薬の副作用で気持ちが悪くなる。
辛い気持ちを繕って、「大丈夫だよ」と言いながら生きる自分の姿を
客観ししたとき、本当にただ痛々しい人間にしか思えなかった。
そうやって、犯罪被害者としての人生と並行して日常に隠し事をしていきていくことに「すごく滑稽だな」と感じた。
誰かが、私に決定的な言葉を投げかけてきたとき、自分の許容を超えてしまったら、もう絶対に錯乱して死ぬだろうと思った。
主人と私の大きな違いと言うところに齟齬が生まれたというのも1つの原因だったと思う。
「未来しか見ていない主人」と「過去に生きている私」と言うのは、同じ時間で同じ空間を生きていても、全くと言っていいほど思想が違うのである。
犯罪被害に遭ってから、人との情緒的なかかわりと言うものがとても怖くなってしまった、主人と娘は仲がいいけれど、3人でいても私はビニールシートが1枚かぶさったような疎外感を感じてしまっていた。
どこかで「決定的な言葉をかけられたら」という恐怖は常にあって、それを回避するためには、情緒的な関りを極力避けるというものだった。

「好き好んで、犯罪被害にあったんじゃない」と主人と言い合いになったときに言ったことがある。返ってきた言葉は、
「俺も好き好んで犯罪被害者家族になったんじゃない」と言う言葉だった。
私は、そのあと自室でただ泣くことしかできなかった。
私が、その言葉を主人に言わせてしまったということと、ずっと言わないでだまっていたであろう気持ちを言ったこと。

そうなのだ、私が犯罪被害に遭っていなければ、犯罪被害者家族になることもなく、主人のキャリアを奪うことも平穏な家庭を奪うこともなかったのだ。そう考えたとき、加害者がすべて悪いと分かっていても、私自身が被害に遭っている以上、その家族にしてしまったのは私なのだと。

昨日、主人に「死ねば、なんでも許されるのかな」と問うた。
「逃げだと思うよ」と。
私は、寝る前に自分が受けてきた被害が目の前で繰り広げられるという
フラッシュバックを体験して、とにかくただ怖くて逃げたいとそう思っていた。

「もう加害者は死んだんだ」

と思って、余計に私の中の気持ちと言うものはいら立ちに駆られた。
死んだら、その人には人権がなくなる。
責められることも、責めることもできない。
何かをすることも、明日を見ることも、愛でることもできない。
希望を持った未来を描くこともできない。
加害者はそういった、世界に行ってしまったのだ。

どれだけ卑怯なんだよ、せめて生きて私に怒りのエナジーでもいいから
ぶつけさせてよと思った。
先週、心療内科で「私は加害者が死ねばいいと願ったことが何度もあった
それが現実になってしまったことの一端に私が存在していて、言霊ではないけれど実際にそうしてしまったのは私なのかもしれない」と言うことを話した。
私は、理系なので呪いであるとか黒魔術と言うものを信じてはいないが、今回ばかりは、正直なところ「そう願った自分」というものが存在する以上、とても畏怖の念に駆られている。

加害者の死によって、私の犯罪被害が消えるどころか憎しみは増幅し、死を防げなかった加害者家族に対してもいら立ちと言うものや、過去の民事裁判の際の私に対する批判であるとかそういったものが、まざまざとよみがえってきた。

そして、私を「息子を死に追いやった元凶」と言うくらいに思っているだろうなと、怯えてしまう気持ちにもなる。
自殺してしまって残された人の気持ちはよくわかる。
私の友人も首をつって子どもの前で自殺をしてしまった。
きっと、自殺をするつもりではなかったと思っているけれど、そう思いたいだけなんだと思うが、既遂してしまったのだと。
残された人間は「あの時、話を聞けていたら」とか「たられば」を思う。
もしも、加害者の両親が少しでも良心の一片でも持ち合わせていたら、
「あの時、こうしていたら」とかいろいろ考えるのかもしれない。
人は、起こってしまったことに原因や責任を持たせようとする。
ならば、加害者の両親がその原因と責任をどの状況や人物にと考えると
それは、普通に考えたら「私」なのだ。

普通に考えたら、10年間の空白と前科が合わせて4犯あるという時点で、
協力雇用主が雇ってくれるなどでもない限り、普通の職に就くことは
35歳と言うこともあり、難しいと思う。
犯罪を犯す前に「社会のストレスを感じて」と言うことの何十倍、何百倍も恐れ、怯え社会の中で生きていくということなのだ。
私の想像を絶する恐怖や不安があったということは否めない。
でも、自殺してしまうということは、とても許されることではない。
傷つけたならば、傷つけた相手と対峙して苦しくとも生き抜くべきだと思う。そして、私に情緒的な関りが怖くないような、人生を返すべきだったんだと。

返せないかもしれないけれど、私はこの世の中に意味もなく生まれてきた人間は存在しないと思っている。何かしらの形で人の役に立ち、求められている。日本国民としての集団、社会人としての集団、家庭としての集団として
何らかの形で確実に存在する意味はある。
加害者がしてしまった犯罪はどれも被害者が存在していて、性犯罪は特に記憶から消えることも、金銭で慰謝できるものでもない。
更生を望むという以前の問題で、とても卑怯な手口をつかった性欲のはけ口を犯罪と言う形で晴らそうとする許されるべきものではない。
しかし、重ね重ねになるが「生きて、苦しんで社会で生きてください」と言う言葉には若干の宥恕を込めた部分もあったと今になって思う。
強制わいせつ致傷罪の法定刑の最高が無期懲役で、まず無期懲役はありえないことは十分わかっていたし、もしも法定刑の最高が死刑だったとしても
死刑判決が出たところで、私は余計に十字架を背負うと思った。
死んでしまうということは、とても簡単な話でカップ麺にお湯を入れている間にも死ねてしまうくらいに簡単なのだ。
けれども、生きていくとなると何十年も自分の犯した罪と向き合い、衝動との戦いや社会の厳しさを感じなければいけない。
それこそが、刑務所に入って右向け右をする自由刑が更生ではないと書いたように、社会ではじき出されてでも歯を食いしばって生きていく、それが本当の罰だと思っていた。だからこそ、死んでしまったということは、犯罪被害に遭った当時に次いで2番目に苦しい被害だと思った。

昨日のいら立ちというものは、「どうやってもぶつけられなくなった怒り」をどうしたらいいのかと言う気持ちだったと思う。
「出所して、絶望したか知らないけれど、何の責任も取らず、努力をすることもなく死ねばそりゃ、楽でしょうね」と言う気持ちが留まることのない、いら立ちになってしまった上に、これからのカウンセリングでもこの辛さを言葉として紡いでいくことの悲しさ、現実の世界で普通の人間として生きていくことの大変さというものは消えることもなければ、今回の件で大きく苦痛は増してしまった。
私は、逮捕歴も受刑歴もないので「刑務所から出れるってわくわくするんじゃない」と思っていたけれど、以前の記事にも書いた仮釈三郎さんのいう
「シャバ疲れ」というもの。そもそも、出所して1か月も経っていない、おそらく2週間すらも経っていない中で、シャバ疲れと言うものは起きるのかということを考えたりもしたが、出所の目前で自分の35年と言う人生の軌跡を1から考えたとしたら、「どこで間違えたんだろう」と思うこともあるかもしれない。そうだとしたら、自分の拘束されていた10年の方が社会に放たれるよりもましで、けれども刑務所も苦しいとなったら、当然に
「絶望」と言う2文字に集約された人生になってしまうのだろうと思う。

話は変わるけれども、普段、娘にあまりきつく𠮟ることはない。
例えば、食べた食器が出しっぱなしでも「持ってきてくれたらうれしいな」と言って「持ってきてくれてありがとう」と言うような接し方を生まれたときからしていて、アスペルガー症候群特有の娘に合う接し方をしてきていた。けれども、きっと犯罪被害に遭ってしまい、加害者は死んだといういら立ちを娘にぶつけてしまったような気がした。
娘はイラストレーターになりたいといっていて、時間が比較的ある学校を選んで入学をした。しかし、娘の障害特有の興味の偏りや予定の組めなささを見ていて、職業としてイラストレーターになるのであれば、イラストにも論理的な部分が確実にあるから、そういった面を勉強をしたり、実際に色々なところで販売をするために登録してみたりしたらと言うことを話していたのだけれども、途中からいつも泣き出してしまって「泣くことはもう感情を伝えるツールじゃないんだよ」と言い、「パパは〇〇ちゃんに声掛けをして、今日はこれをやろうというけれど、一生パパは存在しないんだよ。自分で考えないならば、そもそも仕事にはならない」と決定的に厳しいことを言ったと思う。「ママは、パパみたいに〇〇ちゃんを甘やかすつもりもない。〇〇ちゃんがイラストレーターになるかどうかはママの人生の課題じゃない。苦手な部分は、自分で超えていくだけの力を持てないなら、これ以上何もできない」と語気を強く言ってしまった。

「〇〇ちゃんって、人生がひょっとして記憶を引き継いで2回、3回もあると思っていないよね?1回しかないから、後悔のないようにと思っているだけなんだよ」と。

私は、娘に間違った人間になってほしくないと思っている。
自分の責任は自分でとれる人間になってくれさえすればいいと。
特に今日、その部分を厳しく言ってしまったのは
成人したいい大人が自分の責任を1つも取らずに死んでいったということが
一番大きかったと思う。
加害者の死と言うものは、ゆるやかな自殺だと思っている。
生まれたときから、35年間で高校からは何かしらの犯罪に手を染めて、
真面目に生きることも執行猶予が2回与えられて、社会での更生を得てもなお、罪に手を染めてしまい、結果死ぬという。
人の気質というものは、親の遺伝5割、環境5割で構成されている。
親の一分として、自分の子どもが被害者になったら…と思うのではなく
加害者になる可能性だって、考えなければいけないと思ったりもした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?