見出し画像

あの日、被害者の人が死んでても何も思わなかった

私は、しっかり生きることができるのかなと今日、ふと思った。
過去から、歩みだして今を未来に生きることを選んだつもりでも
無意識の世界では過去に引っ張られていく。
まもなく、終戦記念日だけれども「戦争神経症」と呼ばれた、今でいうPTSDの日本兵の方の話を見ていて、その方は戦地から帰国したあと、浴びるように酒を飲み、誰にも戦争のことを語ることはなかった。
きっと、言葉にしてしまったら堰を切ったように流れていくものや、悲しみが伝播するとわかっていたからかもしれない。
戦争というものにも被害者、加害者が存在する。
1人1人の兵士の人に苦しみがある。
犯罪被害も態様が違うだけで、確実に悲しい思いをする人たちはいる。
PTSDの発生とフラッシュバックのロジックはわかっても、実際にフラッシュバックしたら、「死ぬんじゃないか」という危機的な気持ちになったりする。頭と心は繋がっているようで、案外と緩い繋がりなのかもしれない。
1つ、大きな壁を乗り越えられたと思ったら、新しい壁がまた立ちはだかって、上るためには血が滲む努力と痛みが必要となる。
そういえば、私が事件に遭った際、死を覚悟した瞬間に見たものがあった。
主人が作ったカレー。私のお気に入りの皿に盛ってあるカレーライス。
走馬灯と呼ぶのかはわからないけれど、走馬灯というのはこの危機的状況から脱却するために、記憶を早送りして何か策はないかというものらしい。
私に浮かんだのは、主人が作ったカレー。
けれど、もしもその日に私が死んでしまっていたとしても最後に思い出したものが、主人が作ったカレーライスだったのなら、安心して死ねたと思う。
それくらいに、主人に感謝をしている。
「私は犯罪被害者です。」と言える社会ではない。
それくらいに奇異の目で見られてしまう。
その覚悟をしたうえで、noteを書き始めた。
自分があった、強制わいせつ致傷という被害は、加害者が刑務所を出ても、
命を絶ったいまでも消えることはない。
加害者のいない朝は来てしまう。また1日1日を戦って、生き抜くことだけに睨みを利かせていては、結局のところ、過去に取り残されていく。
今、お盆休みなので弁護士からも特に連絡はない。
先月、加害者の死を知った直後より幾分かは、現実を受け止めることはできているような気はする。
「もう、加害者はこの世にいない。だから、ここにこだわることなかれ」。
ただ、思うこととして1番にあるのは、結局のところ刑事裁判で述べられ言葉や情状証人の言葉は「大きな嘘」があるということだと。
私は、人を判断するときに「ごめんなさい」とばかり言う人を信用していない。「謝ってほしいんじゃなくて、行動で見せてくれたらいい」と言う。
だから、知ることは少ないけれど処遇状況通知制度で今どのような、懲役をして懲罰があったかを見て、行動で見せてくれと本気思っていた。
初めて加害者が懲罰を受けたときの気持ちは、「弱い人間だな」という気持ちが1番に来た。選択肢を突き付けられたとき、「二択だ、Aをするか、Bをするか。」と迫られたとしても、私はいつも三の選択を考える。
どのようなメンタルの状態になっても、確実にまっすぐ生きる道というものはあると思っている。
自分から犯した罪によって被っている不幸は甘んじて受け入れるべきだ。
加害者に対して、刑務所での暮らしが辛かったかもしれない部分はある。
刑務所に行かなければいけない罪を犯したのは加害者自身の選択であって、誰かのせいや環境のせい、病歴、生育歴のせいに出来るものではない。
私が、損害賠償請求をしたとき加害者は刑務所にいたので手続きであるとか打ち合わせは親がやっていただろう。私側の弁護士と話しているときに、弁護士から「原告は、そんなに金を求めてくるのかって和解に応じない」と言われたことがある。じゃあ、金でない慰謝の仕方があるのかと。
被害に遭った損失を金銭で計算してというのが民事訴訟じゃないのか。
和解してくれとは思っていなかったから、後遺症を消し去ってくれるなら訴訟を取り下げるとそんな気持ちだと言った。
ここまで一般常識が通じない人間たちに出会ったことは、人生で一度もなかった。だからこそ、私はどうやって戦って向き合ったらいいのかと思うことが何度もあった。
「きっと、あなたに分かることはないと思う。一生かかっても。」という主人の言葉だった。「そうだな、その通りだな」と。
理解しようとすることじゃないんだな、その狂った人たちが起こした現象にのみフォーカスをしたらいいんだと思った。
加害者本人や両親にしても「結果」がいきなり発生したように思っているが、「結果」はいきなり発生しないのだ「過程」が存在している。
その過程というものに目を向けずに、どうやって更生をさせると約束したのだろうか。そのあたりの具体性のなさが、結局、死を招いたのではないかと思っている。
見なかった裁判記録を見て、今とても複雑な気持ちになっている。
もう半分以上諦めの情状証人の父親とその父親には執着をしているように感じる加害者。父親が証人として立った時に、加害者は泣き出したのだけれども「見限られる」というそんな気持ちだったのだろうと思った。
何回罪を犯しても、示談金、弁護士費用、罰金まで親が払ったら、本人は一体何を償ったのかという経験もなく、私の事件に関しても初めのほうの手紙(受け取り拒否したので、弁護士に複写をもらった)を読んでも、そんなに大変な罪でもなく、「よかったら、返事ください」というところや「涙で文字が滲んでしまいました」と書いてあるが、滲んでいる場所がわざと液体をたらさないと無理な場所であったり、まじめに考えていないという感じはひしひしと伝わってきた。
人に反省を強要したりすることは海の波をコントロールするくらいに出来ないことだとわかっているから、もう好きにやってくれと思うようになった。
ただ、親の教育が犯罪を犯すかどうかに大きく相関性があることはもう証明されつくされていることで、時に親というものは、歌舞伎の演目である「連獅子」のように、子を崖から突き落とすことも必要だと思っている。そのように、自力で崖を上がる環境をつくることは親の仕事だと思う。なんでもやってあげたら、子どもは何も学ばないまま5歳児の精神で25歳の大人になってしまう。精神年齢と実年齢はどんどん反比例する。
加害者の言葉や成育歴をたどってみていると思ったことがある。
「本当の自分より、大きく自分を見せようとするプライド」だった。
例えば、喧嘩であるとか恐喝であるとか自分より力が弱い人間に対して、不法行為を行うのは「自己のための承認欲求」を満たすためには、きわめてインスタントな方法なのかもしれない。
泥臭い努力をしなくても、持ち物や行動、ファッションで人に自分を大きく見せることには努力が要らないのだ。
そういった、些細なプライド、持つべきでない虚栄心が歯止めを利かせなくなることは往々にしてあると思う。
私自身は「プライドなんてあってもしょうがない」という人間なので、自分を大きく見せたいとか「すごい人」と思われたいと思ったことはない。
何なら、目立ちたくないし注目されることも嫌なのだ。
虚言壁の人と話しているときに、実際に存在しない経験なのだろうなというものにも「へー、そうなんですね、すごいですよ」という。大体の人は、この人「大きな嘘ついてるな」というのは、分かったうえで話しているのではないかと思う。
逮捕直後の手紙だったりで、「この人の話は、話半分に聞こう」と。
真面目に「なんで更生出来ずに、また罪を犯したのだ」と問うたところで、さも至極真っ当な答えに聞こえる「答え風」が返ってくることは、予想ができた。けれど、その予想の斜め上を行く言葉が刑事裁判の日に飛んできた言葉は二次被害と火に油を注ぐ状態でしかなかった。
ただ、加害者が刑事裁判の日に本当の言葉を1回だけ言ったと思う。

「あの日、被害者の人が死んでても何も思わなかった」

その言葉は、純度の高い真実だと思う。

上記の言葉を聞いたとき「ああ、赤の他人が人の命を否定するのか」という
とても複雑な気持ちだったけれども、実際にそう思っていたであろうと思うと、公判で情状酌量を狙い続けるよりも、本心が聞けたということは私にとって大きなものだった。

世の中で出会ったことがないくらいに、共感性が低く想像力の欠如が見て取れる人間だった。この人間に、更生だとか贖罪を求めるだけ、裏切られたというような気持になるだろうと認識した。

私は、自己責任論者なので今の自分、おかれている環境というのは自分自身が歩んでそこにきて作り上げたものだと思っている。
なので、加害者本人や特に一親等の血族に対しては、あなたたちの自己責任じゃないのと思っている。そこは一生変わらないと思う。
自分自身の責任が取れない人間ほど、社会が悪い親が悪いと御託を並べてさもそれが原因で罪に手を染めたというようなことをいう。
同じように不遇な環境で育った私が、犯罪を犯さなかったのは、人の人生を自分の不満などで奪っていいものではないという気持ちと、未来に対する想像力が働くからだ。そもそも、刑事裁判において、被告人が育った環境が云々を論じる必要があるのかと思う。
そんなものは被害者にとって知ったことではない。
加害者は、双極性障害を発症していたが事件当時、薬を飲んでいなかったと供述した。おそらく、気分安定剤だと思うけれど、飲まなかったら躁転したりすることくらいわかっていただろうと。
直近の想像力が働かない人間が1番怖いと思った。
衝動や思い付きで何かをやり始めてうまくいくことは少ないうえに、特に双極性障害であれば、躁の後にうつが来ることは本人が1番わかっていると思う。双極性障害であることも情状酌量の点に入れていたが、精神疾患だったら、人の尊厳を奪うことは仕方ないなと少しでも思われるのだろうか。
なんだったら、双極性障害の治療のために入院していたらいいじゃないかと思ってしまった。私は、人をコントロールすることはできないし思想を変えることなどできない。
けれども、性善説を信じている私にとってこの事件はパラダイムシフトを起こしたと思う。
「ああ、私が思っていた性善説なんて言うものはこの世に存在しない。
更生を願う気持ちも、許そうとした思いも踏みにじるのだから」と。
不気味な裁判だなと思った、被告人は弁護士の制止をふりきって意味不明な言葉を繰り返す。それにあきれ返ったような顔をする弁護士。
最後のあがきの様な痛々しさは受け入れなければなと思って聞いていても、
責任を逃れる言葉しか出てこないのは、恣意的にやっているのかそれとも無意識なのか。
最期は無責任にも命の線を越えた加害者であるが、今もしも考えることが加害者に出来るならば、何を考え思うのだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?