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この加害者の死は私の中で現実味がない。

今日、起きたら午後17時を過ぎていた。
昨日の夜から、頭が痛くて風邪なのかコロナウイルスなのか
分からないけれども、とにかく寝て家から出ないことにした。
知り合いの薬剤師が今、県の薬剤師会の会長をやっていて
先日、話をしたとき「コロナウイルス陽性だったとしても、カロナール飲んで寝るくらいしかできないから、しんどい中で行くのは基礎疾患がある人や呼吸困難の人がいくべきだと思う」という話をしていた。
私は、気管支喘息の既往があるけれど、吸入で安定しているし熱も高くないので寝るしかないなと。

昨日、カウンセリングが終わった後に「これって、現実なんだよね」と何度も自問自答をした。悪い意味で距離が近い犯罪被害者と犯罪加害者が存在していて、もう二度と加害者に怒りであるとか法的措置をとることが出来ないことの怒りがどうやっても払しょくできないでいる。
そもそも、この結果を招いたのは犯罪に手を染めてしまった加害者にあるわけで、相手が私を知っていたのかは知らないが、すごく近所に住んでいて
私は加害者の顔も知らない、ただ歩いていたらこうなって、公判においても
言葉にもしたくない破廉恥なことを淡々と述べるだけだった。
この事実を話しているとき、自分を遠くから見ているもうひとりの自分がいるようなそんな変な感覚に陥って、最後の被告人の弁論の際に私は耳を手でふさいだことがあった。
30数回ほど、「〇〇してごめんなさい」という、〇〇の部分だけを変えて、謝罪の連発で裁判官から時間の問題もあったと思うが、制止されて終わった。こんなに、心のこもっていない「とりあえず、たくさん謝罪しておくか」という、その策がひしひしと感じてきて、検察官、私の弁護士、犯罪被害者サポートセンターのかたも「あれは、さすがに看過できない」という話になった。裁判員裁判の経験しかないけれども、分単位で流れが決まっているので、その時間内にすべてを述べて、答えての繰り返しになる。
その日は、論告求刑だったと記憶しているけれども、最後の言葉が意味不明なこじつけた謝罪の連発だったことは、いまだに憤っているし、そんなに軽い気持ちで30回ほども謝罪を連発されるくらいならば、謝罪をしてもらわない方が精神的に余ほどよかったと思う。

最期の判決言い渡しの日、私はATMでお金を引き出すもお金を取り出すのを忘れるというミスをして、口座には残っていたけれども、遅刻をしてしまった。今、ここで判決を聞いたところで私の中の何かが変わるわけではないと高速道路を走っていた。ついた時には判決の言い渡しは終わっていて、検察官が付箋に「判決懲役8年」と書いたものを渡してくれた。
裁判官は評議の内容、どうしてこの判決に至ったのかを被告人に述べていた。その時に、被告人は泣いていて、求刑が懲役7年だったから8掛けでまあ、5年くらいだと思ったところが求刑を上回って8年だったことに泣いていたのは、誰から見ても明らかだった。
加害者が涙を流したのは、父親が情状証人として出廷したときと判決の言い渡しの2回だけで、私の心情陳述では涙すら流していない。
全ての公判が終わった後、これから私は何の救いもなく生きていかなければいけないんだ、子どもを育てながら社会的マイノリティであることをひた隠しにして、生きていかなければならないのだということをずっと考えていた。どうして、こんなことになってしまったんだろう、なんで電車を利用しないのにその日は電車を利用したんだろう、なんで1本電車をずらしたんだろう、なんで駅に迎えに来てもらわなかったのだろうと。
その日の自分の行動のすべてがこの事件を引き寄せてしまった…どうやって家族たちに償えばいいのかということと、のちに控訴、上告があったので
判決が確定しないと、自賠責などに請求もできない、早期に被害回復をしたいけれど、自賠責を管轄している国交省からも「判決が出ないと何もできない」そればかりだった。霞が関の検察庁に、上告の結果が書面で送られる前に電話で知らせてほしい旨を伝えて、1年近くかかったと思うけれど、
「本日、開廷されることはなく上告は棄却されました、追って書類が届きますのでお知らせいたします。」という連絡を受けたとき、まず1つ目のダンジョンが終わったとベランダで泣いた覚えがある。
その後も、自賠責に保障を求めていく際にああでもないこうでもないのやり取りがあったのだけれど、担当者の一人の方が本当に尽力してくださったおかげで手続きは思った方向に進んだ。個人的に「私は、自殺をしてしまいたいと思うことが今だってある。法は平等ではなく、加害者側に有利に作られている現実に膨大な時間を費やした。」と。
その担当者の方は「あなたは、何も悪いことをしていない。僕にとって、あなたの事件は一生忘れることが出来ないほどの悲惨なものだった。決して、自分の命を殺めることがないように、ただそれだけは約束してほしい」と。
私と同じくらいの年頃のお子さんがいたようで、私に投影して事件の内容の判決文を読んで、「こんなことが許されるのか」と強く加害者を糾弾していた。後遺障害認定は11級7号の脊柱に変形を残すもので認定されて、それを赤本基準(裁判所基準)で請求するために民事訴訟をして、67歳までの労働喪失20%を求めたけれども、それを払うことなく不審死したというところである。

加害者の死を知って、1週間が経つけれどもやはり受け入れるということろまでいかず、現実逃避をしているという感覚が強い。
まず、この死の一端に私が確実に関わっているという点が大きい。
私が死にいざなったわけではないけれども、その1つの理由に自分が存在しているということは払拭するに至らない。
「喪失感」ということを昨日、カウンセリングでも医師にも話したけれども、当然のことだと思う。すべては、私の精神的な後悔がのちに残らないようにやってきたことで、不法行為の時効が10年から5年に変わっても、私はずっと時効の前に訴訟提起しようと決めていた。それしか、私が出来る合理的な対抗策がないからなのだ。
それを「もうとれるわけないんだから、やめたら?金と時間の無駄だよ」という人もたくさんいたけれど、主人は私が名を捨てて実を取る人間ではないとわかっているから「思ったようにやるといい」と言ってくれていた。
けれど、今回の相続人、加害者の息子に「あなたが相続人と判明しました」という手続きに関しては「あまりにも酷ではないかな、子どもは何にも知らないし、それでも5年ごとに時効を中断させるために訴訟提起するの..」と言っていた。普通に考えて、加害者の息子も両親も兄弟も相続放棄することを分かりきったうえで、委任状を書いて予納金を払っているので、以前にも書いたように私の中での民事訴訟の葬儀的意味合いが大きい。
弁護士に、内容証明を依頼したら3万、4万は当然かかり、両親(離婚している)にそれぞれ送付するのにも、兄弟に送るにも予納金はかかる。
安い金額でもないし、本来ならその金額で日帰り旅行や料理を食べたほうがはるかにいいに決まっている。

犯罪被害に遭った「不条理」を「条理」に変える方法があるならば、誰かコメント欄からでもいいので教えてほしいです。
10年間考えあぐねいた結果、答えが出ていない。
これからはこの世から去った、加害者との対峙なると思うとさらに生きていた時よりも憎しみや怒りが増幅して、どこにこの気持ちを持っていけばいいのか。そればかりを考える、そんな毎日だ。

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