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苛立ちの掃きだめの記事。

「臥薪嘗胆」と書いた数年前の書初めが自室に貼ってある。
毎日、その書初めを見る。
私が過ごしてきた犯罪被害から10年と言う歳月は、長い人生で見たら
短いのかもしれないし、長いのかもしれない。
私は、友人を若くに2人失っているから、その友人の年齢を超えた今
「そんなに長く生きられるものではないのかもしれないな」と言う気持ちが毎日頭をよぎる。
人間の種の保存と言う営み、言ってみれば生物の古来からの営みと言う最終目的は達成している。
19歳で娘を出産しているので、普通の人たちよりも10年以上早く
親としての務めも終わってしまう。

今日、「私はこの10年、外へ向ける怒りのエナジーで生きてきただけで、何か自分の糧になるような学びをすることはなかった」と思った。

昔、心療内科の医師が言っていた言葉がある
「人は、道を歩む中で右側の彼果てたごみが積んであるような場所ばかりを見て歩んでいるけれども、左側は美しい花が咲いているかもしれない。
けれども、変化を恐れ左を見ることをしない」と。

私は、「犯罪被害者は一生、こうやって被害回復できずに生きていく」と言うことを自分自身に押し付けている部分もあるのだろうと思った。
内省をするなかで、「した選択」と「しなかった選択」と言うものは
大なり小なり人には存在していて、常に「しなかった選択」と言う、体験をしていない方を選んでいたら、幸福だったのかもしれないと想像を働かせているのだろう。

体や心が痛む中で、正直に言えば毎日、心は疲弊し時には痛みから死と言うものが希望のように思えてしまうこともある。
その部分をフォーカスして考えれば、常に気持ちは10年前のあの寒空の日に回帰してしまう。
全く思ったような結果など一つも得られていない中であっても、
「あるようでない」そのうつろう現象と言うものに従って生きる、抗うことなく「感じたまま」そうやって生きていたら、簡単に壊れてしまう。
だから、生きることの意味であるとか「犯罪被害の意味」と言うものを追い求めてしまうのだろうと思う。

しかし、意味などおそらく存在していない。

意味のないことなど起りはしないと言う歌詞があるが、意味があることしかこの世で起きないならば、説明がつかない残忍なことがあまりにも多すぎる。

単なる、ニヒリズムと言ってしまえばそこで話は終わってしまうのだが。

どうして、笑えないのか。
どうして、朝まで眠れないのか。
どうして、生きることが辛いのか。

そんなことは終わりから始まりまで、意味など求める必要もないほどわかりきったことなのかもしれない。

この地球が誕生してから、いつ終わるか分からない地球の間で私が存在する期間と言うのは、秒換算したとしたら1秒の何万分の1以上の期間にもならない。人生はたった、3万日の日記を繰り返すだけの日々でと考えると
10年と言うのは、やはり長い。

ここから残りの人生があと平均寿命から計算して50年あったとしたら、
50年を陰惨な気持ちで暮らし、25歳当時の自分の影を追い求め、何にもならない自己還元するものも築けない人生として終わると考えたら、今からやはり、音を立てて崩れる様を眺め見ることになったとしても築き上げていく方が遥かに死ぬときに後悔がないかもしれない。
そもそも、死ぬときに何かを後悔するような性格の人間でもないのだが、
「抗えない死」を覚悟した瞬間を思い出すと、恐らく「後悔する時間」と言うものが存在しないのだ。

人は1人で生きているわけではなく、劣っている部分や優れている部分をすべての人が間接的でありながらも互いに補完し合い生きている。

しかし、脳裏に想像として浮かぶものがある。
加害者がどういった形で死んだかと言うものを。
絶望的な鋭利な気持であったか、諦めと言う緩やかなものであったかは、私には一切分からないが、やはり「卑怯」と言う2文字に集約されてしまう。
生きていた時以上に、無責任に生きて苦しんででも償うことを放棄した加害者を恨んでいるし、怒りと言うものは明らかに増幅している。
けれども、どうであれ私には「怒り」と言うエネルギーが存在しているのだ、そのエネルギーをもとにした努力と言うものは今まで結果を得たときに
「なんだったんだろう」と思うような虚しさしか生まなかったけれども、
それは、外部に向けた努力であったが故のものだったのかもしれない。
それが、自己に対しての内面的な投資と言う形で自傷行為とかではない健康的な学術面であるとか社会貢献と言う形であれば、「なんだったんだろう」と言うものにはならないかもしれないという気持ちもある。

もしも、加害者が死亡してなければずっとまっすぐとただ、憎しみ怒り、
法的な権利の時効の前にはまた訴訟提起するの繰り返しだっただけだろう。
今、そのまっすぐの道の少し先には無機質な壁が立っている。
そこで、私はどうであれ「怒りをぶつけることは二度と出来ない」という終結を受け入れなければいけない。
まだ、そこまでの「受容」と言う段階にも足はついていない。

頭の中で10年前の被害の前のことを想起することは容易なことで、そこはすべて美しく優しい柔和な世界が広がっている。
ずっと、ずっと、その世界を渇望しているだけであって、後ろばかりを振り返っているからか、時に前を向けばその眩しさにまた目を後ろに向けてしまう。

今日、反出生主義をテーマに扱ったAbemaTVの動画を見た。
「そうか、そもそも生れてこなかったら誰も苦痛は生まないし、感じる人もいない」と皿を洗いながら思った。
しかし、私は生まれてしまっているうえに子どもを産んでいる。
私は「子どもは親の人生のプランの一部に組み込むように選ぶこともかなわないで生まれてきているから、出来る限りの能力で子どもが望むことには応え、後悔のない一生涯を終えられるように苦労をさせない。」と言う考えでいる。
主人は「誰だって、生まれてきたいと思って生まれてきていない、親ができることは限られているし、全てをすることは自立を妨げる部分もある。あえて、厳しく現実を生きさせることも必要だ。」と言う思想の人だ。
私自身と真逆の考え方の人だ。

私は、犯罪被害に遭うという経験から、子どもが犯罪被害に遭ってしまったらと思う不安な気持ちはもちろんあるが、子どもが加害者になる可能性だって十分にありうると思わなければいけないと思っている。
「うちは大丈夫でしょ、私たちは大丈夫でしょ」と言うバイアスを働かせている限り、何も防げることはないと思っている。

犯罪に手を染めてしまう人たちの生い立ちを見ていくと、確かに悲惨な暮らしであるとか不遇である部分は否めない。
しかし、だからなんだっていうんだと思う。

「じゃあ、私もお前の尊厳を奪ったって許されるんだな」と

刑事裁判で思ったことがある。
「あのお、僕はずっといじめられていて、親は離婚してしまって」と。
涙を流しながら。

何も心は動かなかったが、その理論が成立するのであれば
私も加害者と同じかそれ以上に不遇な子ども時代を生きてきている。
そのうえ、加害者に人としての尊厳を根こそぎ奪われている。

その時にこう思った、

「私は、幼少期に10か月で母親が私を捨てて出ていき、ずっと虐待されながら実家で暮らし、親たちが思うような学歴を手に入れることも出来ずに
毎日殴られながら、歯を食いしばれと言われて生きてきました。
それから、平和な家庭を持ちましたが「おかしな犯罪者」に人生を滅茶苦茶にされたので、加害者の尊厳を奪ってやろうと犯行に及びました。」

が通用するのかと。

普通に考えて、「成立しない」のではないかと。
そんなことをまず、刑事裁判に全く被害者に関係性のない生育例であるとか、病歴を量刑を少なくするために持ち出すこと自体が失礼なのだと思う。

私は「犯罪被害者の尊厳や権利拡充」と言う問題は国家と言う単位での議論が必要だと思う、しかし犯罪を起こすのは二人の男女から生まれてきた1人の人間が1人でか複数でかは分からないが犯罪を犯す。その最小単位の家庭の教育の問題も国家が全体で考えるべき問題であるが、そもそもが親が子どもに不遇な思いをさせないように心掛けるべき問題で、その教育や養育の問題までもが刑事裁判に持ち出され、「被告にも酌むべき事情がある」などと言うことを判決文に書かれても「だから、なんだっていうんだよ」としか思えない。

そもそもが、個人の特定には至らないと思う観点で書くが、加害者の親は
高校の教員と農産系の公務員の間の子どもである。
公判での情状証人に通常職業を聞くことは少ないが「教員です」と答えたので「小・中・高のいずれですか」と検察官は聞いた。
当然の話なのだ、教育者として自分の子どもがこれだけの重大犯罪を犯している時点で教育を論じるような立場の人間でもない。
それくらいに、私は「被告の成育歴」は親子同士の殺人でもない、面識のない犯罪で持ち出すべき話題ではないと思っている。

非常に昨日、今日は後遺症の痛みがひどくいら立ちから、表現の強い言葉を書き綴ってしまっているが、これ自体もが「被害者の現実」として良い印象がもたれるわけではないが、人として当たり前の感情があるのだという気持ちも落とし込み書いた次第である。



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