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加害者が一番、私と悪い意味で近かった。

今日は、カウンセリングに行ってきた。
加害者の死亡を知って初めてのカウンセリングだった。
加害者の死亡を知らせると、セラピストの方も驚いており、
「今まで以上に、一人で怒りや苦しみを抱えていかなければいけない
〇〇さんを思うと、悔しい気持ちになる。」と仰っていた。
50分の時間が、あっという間に感じた。
今まで戦ってきた10年という歳月は一体、何だったのかということや
家族をも巻き込み、様々な人に迷惑をかけたことの贖罪をどうやっていけばいいのかという話をした。
私自身、犯罪被害者であるが、家族も犯罪被害者になってしまったのだ。
ある日突然に平穏な家庭が壊され、妻はメンタル的にも肉体的にもおかしく、それを見ているだけで辛い思いをさせてしまったと思う。
それだけでなく、色々な心配をかけてしまったこと、それについては
犯罪被害者でありながら、家族に対しては、加害者でもあるのだ。
セラピストは言葉を選びながら、「今、すごく考えているけれども、きっと〇〇さんにどんな言葉をかけても…」という感じでセッションは終わった。

今日は、心療内科医の診察の日ではなかったけれど、医師に聞いてもらうことにした。医師は事件発生当時からの担当医で私のおかれている状況はよくしっている。
「財産目録の開示のために住民票を取得したら、出所間もなく死亡していた」旨を伝えると「・・・え・・・」と驚いていた。
私は以前に、腰椎の骨折の後遺症から毎日、飲み薬と張り薬を使用しているがそのたびに「加害者は私の中に住んでいる、その日に連れ戻される」という感覚になるという話をした。
今日も、その話をしたときに「痛みは人の記憶から消えず、ずっとそこに居続けて、犯人と顔を合わせるようなとても辛いこと」と言っていた。
今現在も、加害者の死亡を受け入れている訳ではないということを伝えると、「きっと〇〇さんと加害者は悪い意味で会うこともしゃべることもなかったけれど、互いにとって距離の近い人間だったと思う」と返ってきた。
その言葉が妙に腑に落ちて、私は加害者と公判以外で喋ったことも交流したこともない。けれども、心の中にはずっと悪い形で近くにいたのは間違いがない。
「とても喪失感がある」という不思議な話をした。
私は、加害者を憎んでいるし今でも許すことはできないと思っている。
ただ、裁判であったり一矢報いるために尽力してきた相手にもうなにもできないということからくる喪失感だと思う。
医師からは「きっと、これからカウンセリングでの〇〇さんの仕事(語るべきこと)は増えると思うし、辛い現実を見なければいけない。」と。
ただでさえ、この数年間のカウンセリングは私にとって、大変つらいものだった。身を切られるような思いをしながらの50分をずっと続けてきていた。今日ほど、カウンセリングの日を待ち遠しく思ったことはない。
なぜ、何もしていない私が延々苦しまなければいけないのかという不条理を条理に変えていこうとしたのか。
憎しみ続けることが辛いから、許そうという気持ちを持ったりもした。
けれども、やはり、許すことなど到底できないのだ。
そんなこと、考えるだけ無駄とよくわかっている。
私の中で、加害者が死亡したという現実が本当なのかあやふやな部分がある。だから、セラピストに除籍の住民票を見てもらって、現実と改めて認識した。自分自身の防衛機制によって、現実を受け入れられないそんなものだと思う。
加害者が死んだところで、犯罪被害が無くなるわけでも壊されたものがなくなるわけでもない。医師になぜ自殺するのかと聞いた。
「自分の命だから、自分がどうしようと勝手でしょと考えている人が多い。人は互いに補完し合い、生きていることを認識できなくて、死に走ってしまう。」

そもそも、加害者は出所前に自殺を決めていたのだろう。
その死の一端に私というものが原因として存在しているのは間違いなく、
自殺しろとか、死ねとか言ったことはないが、今となっては
「こいつを殺して私も死ぬ」と思ったことがとても罪深いと思った。
思ったことが現実になってしまったのだから。

あの世があるのかどうかなど、私のような無神論者には分からないが、
仮にあったとしたら、加害者は死んでもなお六道の迷いをしているのだろうなと感じると同時に、その加害者を産み、育ててきた両親に対してとても強い憤りを感じている。
全てが片付いたら、弁護士を経由して親に手紙を送ろうと思って、下書きをしていた。

「このような犯罪を犯す人間を育てたあなたたちには大きな責任がある。
子供が非行に走りそうになったとき、親として止めることが当然であって
毎日の他愛もないふれあいの中で、愛着関係を築き、道徳規範や法規範を学ぶという感じではなく習得していく。あなた方の息子は、恐喝、強制わいせつ、自動車運転過失致傷罪の前科が3つあるが、私選弁護士の費用や慰謝料も全て親が払えば、子供は何の償いもしていないので、さらに罪を犯すに違いない。父親が情状証人の質問の際に「出所したら、一緒に暮らして監督していく」と言ったが、実際には母親のところに住民票があり帰住している。
何一つとして約束を果たすことなく、公判で減刑のために私選弁護人を3人つけて、慰謝できる金額は私を引きずった車を売却した20万と言ったとき
被害者よりも自分の息子の刑が少しでも軽くなればいいと思ったのだろうと確信した。そこまでするのであれば、私に負わせた損害を全て親が慰謝したらよかったのではないかと思う。再犯を防ぐどころか、生きて償う機会をみすみす見逃し、死に至らしめたことは親として人として失格である。
親たちが、殺したようなものだと私は思う」と。
こうやって打ち込んでいる間にもいらだちはすさまじいもので、最近、ろくに眠れていないからかとても疲弊しきっている。
死んだら許されるわけではないということを親たちは認識しているのだろうか。それとも、やっかいな息子が死んで安心したのか。
いずれにせよ、私にしてみたらとても納得のいかないことばかりである。
加害者家族の人権がというが、一等親の両親に関しては幸せになる権利もなければ、世の中に白い目で見られて生きていったらいい。
この人たちの何倍も何十倍も、犯罪被害者は生きるというだけで肩身が狭いのだから。



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