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事件後、自殺を決めた私。

腰痛の痛みのために、ロキソニンテープとトラマールとロキソニン錠を
処方されているのだけれど、この時期はロキソニンテープを10年近く24時間(入浴時以外)貼っているので、かぶれでかゆみがひどい。
トラマールは非オピオイド鎮痛剤で50mgを1日4回、痛みが取れなければ、1錠追加が出来る。最近、処方箋薬局で様々な薬の納入が遅れているという事態を感じている方もいるかもしれない。
ことの発端は、小林化工の水虫薬に睡眠作用のある薬が含まれていたというところからで、現在2500品目の供給不足が起きている。
私自身、頚椎捻挫の後遺症でテルネリン(チザニジン)を処方されているのだけれど、この薬は1日3回、2錠ずつの計6錠を飲むのだけれど先月、18錠しか在庫がなく、入ってくる見通しが立たないということがあった。
他にも、事件後から睡眠障害になってしまって、ハルシオンとルネスタのジェネリックを飲んでいるけれど、特にハルシオンは供給が追い付いていないのか足りないことが非常に多い。
トラマールは癌性疼痛にも使う結構強い薬で、飲み始めに副作用の吐き気があるというけれど、一向にこの吐き気が消えることがない。
自殺をしてしまいたいと何度となく思い、自殺未遂をしてしまったことがあるけれども、どういう心理機序で思うのかということを書きたい。

「痛みから逃げるために、死ぬしかない」

ということが、一番大きかった。
痛みが続く→フラッシュバックする→恐怖体験と痛みが増幅→痛み止め飲む→あまり効かない→副作用→痛いまま→自殺しかない。

という悪循環である。
私の自殺未遂は、ピアスのニードルを静脈に刺し血を抜くという、失血死を狙った方法であった。比較的、きれいに死ねるであろうという選択だった。
1,2リットルくらいの血を抜いたあたりで、病院へ..という結果だったけれども、「もう裁判の答弁書で刑事裁判で終わったことを再び争いたくない、傷をえぐられたくない、痛みが一生続くと何名もの医師に言われた、これは死ぬ以外に解決策ないんじゃないか」と。

自室のテーブルに遺書と各種金融機関のカードや通帳、保険証をおいて入水を試みたり、一時は「入院した方がいい」と言われるような状況だったけれども、なにがきっかけだったかわからないけれど「死にたくない」という気持ちが強くなった。生きるエナジーというのは、結局は加害者に出所後も延々と法武装して追いかけ続けるという負のエナジーで、はたから見たら痛々しい努力だったと思う。

この民事の損害賠償請求権の消滅が近づいたら、再度、訴訟提起するかしないかをカウンセラーと心療内科医と話し合うという、なんで弁護士とじゃないのかというところだけども、「追いかけ続ければ、影のように一生ついてくるが捨ててしまえば、影は追いかけてこない」ということを、心理面で片を付けなければいけないということは、今まで何度も話してきた。
けれども、私はあきらめの悪さというか負のエナジーで生きてきた部分が大きいので、「社会的に殺す」がスローガンのような人間である。
ここで、放棄してしまったら「あー、払わなくて済んだじゃん」と加害者を笑顔にさせることが容易に想像できてしまった。

どう考えても、経済活動、精神活動的には諦めてしまう方が長期的観測ではいいと思う。それが出来ない、分かっていてもできない、一種の訴訟依存か何かなのかと思うほどに没入していたと思う。
だからこそ、今、死を遂げた加害者に対して慈悲の気持ちはわかないけれども、「ふざけるなよ」と思う点と、更生を約束させ監督すると言った親は、なぜにみすみす死なせてしまっているんだという責任感のなさに怒りがシフトしている。この加害者一家が幸せになることなど私は絶対に許すことはできないし、もしもあの世というものがあったら加害者一家もろとも地獄で苦しみ続けろと思っている。

なぜこんな時間に、こんな辛辣なことを書いているかというと。
腰痛がひどいからである。
痛みはストレスしか生まず、その事件の光景を再起させる。
寒空に倒れている私を救うことが出来ない私がただ見ている。
どうやって説明したらいいのかわからないけれど、とにかく臨場感に帯びたその時に戻されるのだ。この状況をとにかくなんとかしたいから、カウンセリングで語ることを続けているけれども、EMDRのカウンセリングを受けたいと思う。。。しかし、行ける範囲の距離でEMDRを扱っているカウンセラーがいない。YouTubeなどでもあるので、やってはみるもののセルフメディケーションほど怖いことはないと思っているのでなかなか踏み出せない。
夜中に寝返りを打つたびに目が覚める。
今日は、すこしでもゆっくり眠れますように。

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