ハク
詩です。
私は、様々な病気の複合によって、ほぼ引きこもりで過ごしている。 そうすると思考の時間がかなり長いのだけど、結論の一つの中に「社会を無視せよ」というものがある。 いつ死ぬかもわからないこの命を、社会に惑わされてなるものかと思った。 こう思われたい、こう思われてはいけない、立派にならなきゃならない、何者かにならなければ……の行き着く果て。 命を慈しんで生きる。結局はそれだけ。 今の社会は承認欲求社会だ。フォロワーなんかで価値が変わってしまう。 累計5万人ぐらいいた時、こん
私の好きな物書きが言った 「しあわせは、川の底に輝く 砂金のようなもの」 愛も似たようなもので 鮮烈さなど要らなかったと知った さんざめき蕩けるような川の底 目を移ろわせれば反射して輝く砂金 一粒ずつ拾ってください 人を愛せたことは 同時に大きな悲しみが 確約されたようなものだ だけどその砂金の輝きを見つめていると 見つめていると
お茶好きですか? 私は持ち前の凝り性と拘りを遺憾なく発揮しています。 コーヒーが苦手、乳糖もあんまり体質に合わないということで、自然にお茶・紅茶が好きになったのですが とっても奥が深いです。 最近ハマってるのは番茶。その中でもエルダーフラワー番茶。 エルダーフラワーというと、大抵ミントとフレーバーを合わされていて、スッキリ・酸っぱめなものが大半なのですけれど、私が購入したエルダー番茶は、「ゆっくり飲むと甘い」という謎の性質を持ちます。 謎。 そしてお茶感もそんなに
そろそろよくもまあ毎日そんなに書くことがあるなと思われそうなところだけど、あるもんはあるので仕方ない。 しかし、口語で他人と話している時、私はあまりにも寡黙だと思う。(特定の人を除く) 9割の人と話す時、私は 話すことがないなあとずっと思っている。 それの内訳は、「この人に話せることはないなあ」だと思う。 一人面白い友達がいる。 性癖とは精神世界の探究であると話してきたので、私も深層心理で何を願うのかを探ってしまうと話すことが出来た。 だけれど、誰も彼もにこういう話を
雨が好きだ。引きこもりだからだろう。 もう、自分が引きこもりだということも忘れるぐらい、長い間引きこもりだ。 でもカフェ行きたければ行くし、服買いに行きたければ行くし、厳密には著しくインドアなだけなのかな。コンビニは行くし。 あまり、重大視していない。閉じこもってしまっている、みたいな言い方をされるけど。 外にたくさん楽しいことがあるよと言う人の気持ちもわかるけど、中にもたくさん楽しいことがある。 家に居て、一番美しい時というのは雨の日だろう。 雨の音が脳にもたらす色彩
ほぼ間違くソシオパスだと言われた。 驚くことはない。ああ確かにねと思う。 それと同時に、自分の生きづらさの殆どがここにあると思わなくもなかった。 ひとは、約束を守るらしい。 私はバレなきゃいいと思っていた。それは典型的な思考回路だった。 つまり バレる=刑罰 で、道徳心ではなくて刑罰の回避のため約束を守るか否かを決断しているなと自分で思う。 絶対にバレないなと思うのなら何でもやってしまうのが私のような人だろう。 そういうわけで、何もかもに責任を持てない。 こうなったらど
闘病歴長いけど、躁鬱とはなんたるかをやっと理解し始めている。 脳内麻薬が流れ込んでくる病気。 躁を鎮める治療をし始めて、脳内麻薬の禁断症状を起こしている。 ハイになりたい。喜びというものを私は知っていたのだろうか。 本物の喜びなんてものは、じんわりと胸に広がるような、温く優しいものであって、熱くて目が冴えるようなアレは、"ハイ"なのだろう。 ……ここまで書いたのが躁の時で、次の日である今は鬱転してる。 全然、何にも頭に浮かんでこない。何も文字が浮かばない。 というか眠い
私は躁鬱病で、躁鬱病の躁には多弁の症状がある。 とにもかくにも喋りまくる、誰彼構わず、という感じになる。 しかし、私は対人恐怖でもあり、そこと躁の葛藤がいつもある。 その結果、独り言であるnoteが活性化する。 (ちなみに、コメント来るのはそんなに怖くない。) 私はここのnote以外にも、もっと気を楽に書くところして、スマホのメモ帳に毎日何千字と日記をつけている。 不要と言えば不要なのだけど、このソワソワ感、言葉が溢れて仕方ない感じをなんとかするにはこうするしかない。
娯楽としての自炊。 自炊というと、なんとなく気負う感覚があった。 栄養面、経済面、そしてそれらを両立しながら気力の消費に気を使う、つまり継続できるか否かまでも大事と 病のある私にとっては難しいものだったのですが、 自炊を娯楽と捉えたとしたら? と思いたち暫くやってみると、メンタルヘルスにとてもいい影響がありました。 まず、経済面はある程度諦める。 節約飯が楽しい人はそれもいいかもしれないのですけど、ひもじい感覚、好きなものが食べられない、美味しくないものを食べる…と
それは実家から遁走(みたいなもの)をして、フラフラ北海道を彷徨ってた頃だった。 まだ家出の感覚だったので、ホテルに篭り切り。 ホテル暮らしは息が詰まる。 ふと、そういえば函館というところは綺麗なのではなかったっけ、と思い出して、その日に電車の席を取って、次の日に飛び出した。 新函館北斗に乗り揺られていると、海の上を通るタイミングがある。 車両中の窓の景色がこれなのだ。 正直な話、観光慣れしていない&下調べ0の旅行だったので、函館自体よりもこのシーンを見られたことが最も輝
今日は自炊だけはして全部サボろう
命は繁殖するためにいるはずだ 繁殖を躊躇う動物っているのでしょうか? 色んな生き物がいるけど、どんな動物も 「自分たちが地球上に増えること」を 第一目的として生きているように見受けられます。 どんどん自然や外敵から身を守るために進化してゆくし、種のばらまき方もさまざまですが進化を遂げています。 人間も、個として、生きるため進化はしていますよね。 様々な研究者が病と戦う術を作るべく頭脳を使っている事や、多様性に話が向かっていっている事、殺人しない事…など、大体の人類の
昨夜はプロットは出来ていた小説を2,000文字書いて、菓子パン食い散らかして寝たらしい。 なーにやってんだ。 どちらかと言えば今はただ鍛錬がしたいので、賞金などなんだのより講評してもらえるコンペ探してる。 とはいえ、世の中それすら選考の元行われるらしい。そりゃそうだ。一人ずつやってられんよな。 私は今、壮大に右手をイカれさせてから精神科医にも止められて絵を描くことをとめているのだけど、それの欲求の捌け口が執筆と造形に向いてる。 正直回りくどい。私の好きな、瞳の開き方で
人を狂わせるのはドーパミンではなかろうか。 連続殺人犯を見てて思う。多分この人たち、退屈で仕方なかったんだろうなと。 別に社会に恨みがみたいなご立派な理由は、本当はなかったのではないか?と。 だって数人殺したところで虫のようにウジャウジャいるのが人間なのだし、焼け石に水とはこのことだろう。 ムシャクシャしてた スリルが欲しかった だけじゃない?って。 ギャンブル依存症もそう。 不思議でならなかったんです。なんで破滅するまで賭けるのか。 彼らは自分の金と命と名誉を賭けて
鋒を君に突き立て流れ出るは生命