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渡辺恭彦著『廣松渉の思想』を読む  2018、Aug.4th 石塚良次


《本稿は、渡辺恭彦『廣松渉の思想』合評会 (2018年8月4日(土) 13-17時 @阪南大学あべのハルカスキャンパス、主催:〈近代と統治〉研究会・進化経済学会「制度と統治」部会)で配布した報告原稿である。ただし、いたずらに長大となったため、これを読み上げることはせず、当日の口頭報告はこれとは別のレジュメに基づいた簡潔なものとなった。ノートへの再録に際して、若干の補修を行っている。
なお、本文中の「著者」は渡辺恭彦氏をさし、「評者」は石塚をさす。引用箇所のページ番号は、ことわりの無い限り『廣松渉の思想』のそれである。》

はじめに


評者は、本書の原型となった諸論文(注1)を最初に読んだ際、著者のような若い世代の研究者が廣松渉の全体像に迫るべく、渾身の力をこめて書き上げていることに感動を覚えずにはいられませんでした。我々の世代が十分に成し逐えなかった廣松理論の継承的発展という課題に若い著者が果敢に挑もうとしている姿は頼もしくもありました。しかもそのような研究が京都大学でおこなわれたということにも驚きました。このように言うと語弊があるかもしれませんが、京都には廣松理論に造詣の深い研究者、著者の研究にその都度適切なアドバイスができるような研究者は少ないように思います。著者は自力でこの研究を成し遂げたのではないかと推測しました。


本書を落掌し目次を一瞥したときの印象は、廣松の全体系をひとつの視座から読み貫こうとする著者の立場の鮮明さでした。多くの共感をもって読み進むことができました。


とはいえ、このコメントにおいては、評者(石塚)のポジティブな評価はあえて前面に出さずに、今後のさらなる研究の深化発展を期待し、また議論の材料を提供する意味で評者の考えと異なると思われる部分にスポットライトを当てる形でのべてゆくこととします。結論から先に述べれば、評者は全体としては高く評価しつつも、著者の廣松への内在が不足し、外部から論点を持ち込もうとしているのでは、との印象をもちました。おそらくそれはどのような角度から切り込むべきか、著者の苦闘の結果であったろうと思います。
本書における著者のモチーフは、たとえば以下のような言葉に表されています。「われわれは所与の歴史に投げ込まれ、生を紡ぐ。それぞれが世界に内在しつつ、超越者に回収されず、みずからの意志で世界にかかわる。そうした人間の在り方を廣松の諸著作のうちにみていきたい。」(p.4)より後のほうでの表現に即していうならば、「廣松の思想は、社会に織り込まれたわれわれの立場から社会の在り方を変える「内在的超越」」(p.298)であるといいます。


評者の言葉で、もうすこし散文的に言い換えるならば、廣松(物象化論) は人間を歴史的・社会的構造の内に捉えられた存在、被造物とみるが、だとしたらそのような構造内人間がいかにして構造を変革しうる主体となりうるのか、ということでしょう。歴史と社会によって造られながら、それを内側から越えて行く主体はいかにして形成されるのか。それが「内在のダイナミズム」という本書に与えられた副題の含意するところでありましょう。著者のこの問題意識は、第2章の末から第3章で明瞭に提示され、第10章末尾で廣松の「正義」概念を論じた箇所においてひとつの到達点にいきつきます。全章を通じて著者は、廣松の志した「内在的超越」と廣松のとりわけ「正義」論との間に自家撞着があるのではないか、との疑念をもまた持っているようです。そのようなアンビバレンツな思いを主旋律としつつ、それを彩る形でいくつかの廣松の著作の読解が、思想形成をたどる形で有機的に配置されています。したがって、著者の言う「内在的超越」は同時にまた、廣松に内在し、廣松を超えるということをも意味するのでしょう。このコメントでは、著者のそのような視座に即して、著者の廣松読解の試みを検討します。なお、本稿作成に際し、『著作集』や『コレクション』を座右におき、廣松渉の著作をできるかぎり読み直す、という作業をしました。しかしながら、何分にも数十年前の読書が元になっており、またいたずらに馬齢を重ねた評者の知的能力の低下もあり、思い違いや見落とし、重複や冗長が多々あることかと思います。あらかじめご寛恕のほどをお願いいたします。

Ⅰ 運動と理論――第1章――


著者がまず取り上げるのは、活動家としての廣松渉です。始点として政治活動の実践を取り上げ、そこから理論家廣松へといたる道筋を読もうとします。本書の端初をそのように設定することに、著者が廣松渉という思想家に正面からいどみ、その全貌をとらえようとする確たる心意気をみました。廣松渉という思想家の特異性でもありますが、廣松が通常のアカデミッシャンであれば、学生運動との関わりまでは遡る必要はないでしょう。学術的な著作のみを取り上げでればよいしょう。しかしそれでは、廣松の思想の全体像は見えてきません。著者があえて踏み込んだ理由でしょう。


細部をみてゆきます。著者は、廣松の学生時代の論文『日本の学生運動』での主張が、『物象化論の構図』における前衛-大衆論にまで引き継がれている(p.36)という認識のもとで、「前衛と大衆」、「二律背反」(p.34)について以下のように書きます。著者は『物象化論の構図』のある箇所を引用しつつ、「前衛と大衆は二律背反の関係にあるが、理論的にはこの対立は解消できない。というのも、双方の体制(パラダイム)(注2)は別の基準を持っており、前衛の体制(パラダイム)を大衆に適用することはできないからである。」(p.34)と書きます。この解釈にはすこし違和感をもちました。二律背反は大衆と前衛との関係に存するのでしょうか。著者の引用箇所の前で廣松は二律背反をマルクスの『資本論』に即して論じています。廣松によれば、「マルクスは、いきなり、体制外在的な価値基準を恣意的に持ち出すようなことはしない。」(『物象化論の構図』文庫版、p.162)そうではなく、「マルクスが物象化の叙述・批判の対象とする社会的・歴史的現象の領界においては、階級的対立が現存することによって、体制内的当事者たち自身の知見に二律背反が現出する。」(同上所)


そのうえで、廣松は『資本論』の労働日についての節でのマルクスの論理を引用します。以下、評者による若干の注釈を加えつつ紹介します。労働日の長さ、すなわち1日のうちの労働時間の長さを巡っては、資本家がその延長を要求するのに対し、労働者はその短縮を要求する。資本家としては、労働力は賃金という対価をしはらったうえで商品として購入したものなのだから、どのように使おうと自分の自由であると主張する。それにたいし、労働者は労働力というのは自分が所有する商品なのだから、その価値を毀損するようなことは認められないと主張する。したがって、労働日を延長しようとする側も、それを短縮しようとする側も、どちらも商品交換の法則に則っている。廣松はマルクスの次の文章を引用します。「だから、ここでは一つの二律背反(アンチノミー)が生ずるのである。つまりどちらも等しく商品交換の法則によって保証されている権利(Recht=正義)対権利との対立である。同等な権利と権利との間では暴力(ゲヴァルト)がことを決する。」(『物象化論の構図』文庫版、p.163、からの重引)以上がおおよそ著者が第1章で引用した実践に開かれているという結語を引き出す前段の議論です。(注3)つまり、正義と正義とが対峙するアンチノミーを常態をみなすのです。(カントがいうアンチノミーは二つの命題がともに成り立つ状態。)

Ⅱ 「疎外論から物象化論へ」テーゼ――第2章――

「疎外論から物象化論へ」という広く知られるようになったこの命題で廣松が主張したかったのは、文字通りに疎外論をすてて物象化論という別の論理に移行した、ということではなく、疎外論に表されるような世界観(主-客図式)から、物象化論的なそれ(関係の第一次性)へとマルクスの世界観が転換したこと、そしてそれはマルクス一個人の内部で生起した事象であるのみならず、近代的な世界観そのものの転換であり、その世界史的な転換がマルクス(・エンゲルス)の思想形成史の中に見られるということです。廣松自身明確に述べているようにマルクスとの継承関係は「事後的に対自化された」(『構図』p.334)のであり、廣松理論の基軸をなす物象化論、あるいは四肢的存在構造論はマルクスから直截に継承したのではなく、あとから考えてみれば、マルクスにもそのような発想があった、ということでしょう。(注4)このあたりの消息についての著者の理解は的確であろうと思います。

そのうえでお聞きしたいのは、著者が廣松とマルクスとの関係をどのように位置づけているのか、という点です。たとえば、廣松は『経哲草稿』から『ドイツ・イデオロギー』との間に転換をみるが、「ミル評注」を無視している、と著者は言います。その結果、「マルクス研究がさらに進展した今日からすると、廣松の立論には綻びが見られる」(p.51)と断じます。しかし若干の言葉足らずの印象があります。「今日の研究」が何を意味し、具体的になにが「綻び」なのかについてもう少し立ち入った説明があれば、読者の理解はふかまったように思います。あるいは、それに続けて「廣松が『経哲草稿』に疎外論を読み込み、誤解している点があるのは事実である」と言い切ります。このあたりもなにが誤解なのかの説明が欲しいところです。『経哲草稿』に疎外論を読み込んだことが誤解なのか、それとも廣松が読み込んだ疎外論が誤解なのか。(注5)著者は、廣松は疎外革命論批判という「実践的な問題意識」(p.51)が先行したためにそのような誤解が生じたといいます。重要な論点のわりには、説明が尽くされていないという印象をもちました。


廣松が疎外論を却けるのは、著者が指摘するような「実践的な問題意識」があったことは事実です。そのうえで廣松はもう少し、マルクスの時代の思想状況に即して論じています。そのあたりを補足いたします。

廣松の論理を評者の言葉で雑駁に要約すれば以下のようになります。ヘーゲルの場合、主体は絶対精神であった。つまり神様のようなものだから、それがなにかしらを疎外するといっても、その限りでは(つまり神の存在を認める限りでは)リアリティがあった。フォイエルバッハにしても同様である。彼の場合、主体は類的存在である。(人間のうちなる人間性というようなことか。)この場合も、主体は現実の人間ではない。マルクスも当初は、そのような主体=人間観を継承した。しかし、すぐにマルクスは、人間の本質を類的存在といようなフォイエルバッハからの借り物ではなく、「社会的諸関係の総体」と捉えるようになる。(注6)

しかし、そうなると「社会的諸関係の総体」が疎外をおこなう、というのはどういうことなのか、説明ができなくなる。そもそも現実的な人間を想定して、その人間がなにかしら自分の本質を外化あるいは疎外する、というような過程を考え得るだろうか。単なる比喩以上のものではないだろう。マルクスとしては、なにかしら主体がいて、それが疎外をおこなう、というようなロジックそのものを放棄せざるをえなかったというわけです。

では人間の本質を類的存在から社会的諸関係の総体というように転換した場合、疎外の代わりにどのような論理が可能か。社会的諸関係が自己膠着を起こす、というような論理になるのではないか。(fur es にとっってのそのような事態をfur uns からみると物象「化」と見える。)

廣松のこのような考え方は、評者には説得的であるように思われました。廣松のこのロジックの難点を指摘するとしたら、マルクスの疎外論をそのように限定的に解釈してよいのか、という問題でしょう。廣松の疎外論批判は、あくまでも疎外概念を狭義に定義したうえでの批判である。それゆえにこそ数多の廣松批判が生じるのです。「おれの疎外論は廣松の疎外論とは違う」との反論は生じ得ます。


蛇足が長すぎました。もう一度、著者の叙述に戻ります。ここで著者はなにを問題にしているのでしょうか。廣松のマルクス解釈がマルクスの真意を誤読しているということなのかというと、どうもそうではないようです。著者が問題にしているのは廣松のマルクス解釈の妥当性ではなく、廣松が「疎外論から物象化論へ」というテーゼで主張したかったのは、「物象化された人間の在り方を理論的に解明し、革命主体を立ち上げるためであった」(p.51、傍線引用者)ということなのだ、ということのようです。著者の本書を貫く主旋律が読み取れます。おそらくは、著者としては廣松のマルクス解釈が正しいか否か(とりわけ「疎外論の超克」説)は、副次的な問題であり、廣松が論じようとしたかったのは(疎外論ではなく)物象化論そのものであるということなのであり(問題場面の転換)、そこに「革命主体」が立ち上がる論理を読み解こうとしているのでしょう。

ただし、廣松の『経哲草稿』読解を「革命主体を立ち上げる」ためであった、という側面のみを強調して理解すると一面的な読み方になるように思います。物象化論の解明が「革命主体を立ち上げるため」であったという著者の結論は疎外革命論批判が他党派への批判であった、という事実からは導出できないでしょう。(注7)たしかに、疎外論批判は、そのような政治的言説ではありましたが、廣松にあっては、それが同時に彼の世界観の唱道と二重重ねになっています。そこに廣松の独自のスタイルがあるように思います。

初期マルクス解釈をめぐるこのあたりの著者の論理には廣松と同時代を生きた評者との世代の差を感じます。その差を埋めるためにも上述したように廣松の「誤解」や「綻び」の内容をもう少し説明して欲しかったと思います。(注8)

廣松の「疎外論から物象化論へ」というテーゼを一部の廣松批判者のように後期のマルクスにあっては疎外概念が一切用いられていないと廣松が主張している、というように狭く解釈するならば、その批判は妥当です。しかし、廣松が主張しようとしたのは、たとえば『資本論』で疎外概念が用いられていない、というようなことではなく、それが『経哲草稿』でそうであったような事柄を説明するための鍵となる理論装置としては位置づけられていない、その立場を物象化論に譲っている、ということです。


評者からみれば、マルクスの思想形成史理解としては、今日、「疎外論から物象化論へ」というこの命題にこだわる積極的理由はないように思います。誤解をおそれずあえて言うならば、廣松渉という、当時ほとんど無名の若き研究者がマルクス研究において自らを売り込むために用いた戦略だったのかもしれません。マルクスには、そのような図式では掬いきれない思考が数多存在しますが、この図式を字面通りに受け止めると、そのような豊穣性を見失いかねません。

評者のみるところでは、廣松が「疎外論から物象化論へ」というマルクス解釈を揚言したのは、みずからの新しい理論体系を世間に受容させるための、言葉は適切ではないかもしれませんがキャッチフレーズであったのではないかと思います。自身が抱懐してる理論体系を象徴する概念として「物象化」が適切であることに気づきはしたが、「物象化」はマルクス主義者の間でも一般的には知られているわけではない。ましてや物象化論という理論が存在する、ということは市民権をえていない。そこで、廣松は「疎外論から物象化論へ」というポレミカルな、過度に図式化されたフレーズを提示したのではないか。そのテーゼそのものは、廣松の物象化論の存在が論壇で認められるようになるにしたがって使われる頻度は落ちたように思います。


「疎外論から物象化論へ」という命題が党派批判であった、という著者がするどく指摘した事実は、したがって、それへの批判もまたしばしば党派的であったということをも意味します。廣松を今読む若い世代の方々には、その点も留意していただきたく思います。

Ⅲ 非対称性なき価値形態論は廣松の瑕疵なのか――第3章――

本書には上述したように初期マルクスの廣松解釈が間違っていると論難すると読める箇所がある一方で、評者からするならば、そもそもマルクスに読み込むことができない事柄を読み込んでいないと不当に論判されていると思える箇所もあります。その例が価値形態論解釈です。

著者は廣松の価値形態論を論じるに際し、廣松を批判する、あるいは距離をおく幾人かの論者を引用し、「廣松物象化論には商品世界を内側から突破する引き金となるような裂け目があるか否か……〈非対称性〉があるか否かが争点となっている」(p.67)という言明から始めています。廣松の価値形態論解釈にどのような角度から切り込むのか、著者の苦心の跡が見て取れます。


ただし、評者からすると若干の違和感が残りました。それぞれの論者が独自の立場からマルクス価値形態論に〈非対称性〉を読み込むのはよいでしょう。しかし、廣松の価値形態論解釈を読み解く際にそのような問題意識を(外部から)持ち込むことは、廣松の論理に内在することの妨げにならないでしょうか。そのことで批判者の視点にあらかじめ視野を限定してしまい、廣松が本来論じようとした課題から目をそらしてしまうことを危惧します。たしかに、価値形態論に非対称性をみるという改釈に意味がないとは言えません。(おおきな声ではいえませんが、評者は意味がないと考えてます。)しかし、廣松を理解する際に、はじめからそのような枠組みを設定してしまうのは、廣松読解の可能性を狭めてしまうことになりはしまいか。では評者の廣松価値形態論解釈はどうなのか、と言う話になりますが、それは補論にゆずります。

著者は以下のように書いています。
「価値形態論において、廣松は〈抽象的人間労働〉を媒介にした「廻り道」の論理によって、社会的関係性を前提として議論をすすめている。それゆえ、自分の商品が相手に売れるか否か分からないまま交換を決断する、つまり跳躍を迫られるという場面を、廣松は回避している」(p.93)ここで著者は、マルクスは価値形態論では「自分の商品が相手に売れるか否か分からないまま交換を決断する、つまり跳躍を迫られるという場面」を問題にしていると理解したうえで、廣松がそれを回避している、と主張していると読めます。著者は自身のマルクス価値形態論解釈を明示しているわけではないですが、廣松が回避している、と否定的に書くことによって、インプリシットに自らのマルクス解釈を示しているように読めます。廣松の価値形態論解釈は、マルクスが問題にした重要な論点をネグレクトしており、マルクス解釈として不適切である、と指摘しているのでしょうか。あるいはマルクスが価値形態論で扱っている問題を廣松は理解したうえで意識的に回避しているのだ、ということなのでしょうか。


商品交換の場面に非対称性を読み込むことはできない、という廣松の考えは、彼の役割理論の基底に据えられています。「論者たちは、一般には、交互的役割行為の典型として「遣り取りゲーム」や「会話」のごときを挙げ、「商品交換(売買)」や「対話」のごときを以って社会的行為の範型とすることが多い」(第2巻、p.338)としたうえで、それらには「〝非対称的〟な構造内契機は存在しない」(第2巻、p.339)としています。なぜか。廣松によれば「商品交換モデルの社会的行為論は、言語ゲーム・モデルの社会的関係論と双生児であり、生産過程をブラック・ボックスに納めたままにしている」(第2巻、p.340)からです。みられるように、廣松は商品交換モデルでは非対称性を論じることができない、というのですが、このような廣松の考えは、『資本論の哲学』以前から一貫していると推測してよいように思います。(注9)
 
するとマルクス解釈が問題になります。はたしてマルクスは価値形態論で著者の指摘するように等置された2商品の「非対称性」を主要な論点として提示しているのでしょうか。(注10)これは、第Ⅱ形態から第Ⅲ形態へのいわゆる逆転の論理をめぐる箇所の理解に関わります。著者は今村の解釈を提示し、今村の解釈と比較すると廣松の「逆倒の解釈はいささか静観的であると言わざるをえず、〈非対称性〉を見出すことは困難である」(p.94)と書きます。著者はマルクスの価値形態論の解釈としては今村のほうにシンパシーをもっているように読めました。(注11)


この節の締めくくりの箇所で著者は以下のように書いています。重要な箇所ですので長文をいとわず引用しましょう。

「こうして廣松は、価値形態論の解釈においても、第Ⅱ形態と第Ⅲ形態との逆倒を、社会的諸関係の函数である〈抽象的人間労働〉によって説明したのだった。つまり、社会的な関係性を前提として商品の交換が行われるため、商品の売りと買いの〈非対称性〉を廣松は非問題化したのである。それゆえ、廣松の価値形態論解釈には、〈非対称性〉や当事者が社会システムを内から破る契機を見出すことはできない。というのも、廣松の価値形態論においては、商品の等置をつねに社会的関係規定である〈抽象的人間労働〉が裏から支えているため、商品世界を超出するといった当事者の意識は捨象され、その視座だけが確保されているのみであるからだ。」


しかし廣松は「逆倒」を「〈抽象的人間労働〉によって説明した」のでしょうか。そうではなく、抽象的人間労働なるものがあたかも実体であるかのごとく当事主体に立ち現れる様(物象化)を分析的に叙述したのではないでしょうか。(注12)
著者のこのような廣松批判は、廣松のマルクス解釈が不適切であるという指摘とも読めます。しかし、マルクスは本当に価値形態論で「当事者が社会システムを内から破る契機」や「商品世界を超出するといった当事者の意識」について論じているのでしょうか。残念ながらこの点に関して、著者はマルクスそのひとの記述を引用して論じていないため、検証できません。評者の読んだ限りでは、マルクスはそのようなことは書いていないように思います。(注13)


ここで補足的に〈非対称性〉に触れておきましょう。著者がこの概念をどのように理解しているのか読み取ることは難しいのですが、経済学では、「商品と貨幣との非対称性」が論じられてきました。言い換えるならば、「貨幣で商品は買えるが、商品で貨幣は買えない」、「カルビーの原理」(塩沢由典の命名、藤谷美和子を知らない若い世代は「はてな」でしょう(注14))です。価値形態論に非対称性を読み込む解釈は、貨幣(だけ)が購買力をもつ、という事態の起源を単純な価値形態の二商品等置、相対的価値形態と等価形態とのあいだの非対称性にみるのでしょう。しかし、その点を強調したとして、はたしてそのことから商品世界からの超出の論理は導出できるのでしょうか。なるほどそれを起点として論理を組み立てるとしても、そこから「商品世界からの超出」にいたるには『資本論』の全3巻を要するのではないのかとも思います。


著者が引用する大黒論文(「価値形態論における垂直性と他律性 ─関係に先立つ実体」 https://doi.org/10.20667/peq.48.2_28)でも廣松の「価値形態論解釈における「非対称性」の欠如」(p.29)が指摘されていますが、それほどに重要な概念であるとされているにもかかわらず具体的になにが「非対称性」なのか、判然としません。マルクスが価値形態論のどこでそのようなことを論じているのかが、明瞭に述べられていないのです。

同様に著者にもまた、マルクスが価値形態論のどこでどのように非対称性を論じているのか、の指摘は見あたりません。(すくなくとも評者には読み取れませんでした。) (注15)大黒の場合、「価値体(貨幣)としての主導権争い,つまり敵対性(非対称性)の遍在」という記述から推測するに、あらゆる商品が貨幣の地位を獲得するために争うと解釈しており、それをもって敵対性(非対称性)と見なしているようです。ひとたび特定の商品が貨幣の地位を獲得するとその敵対性は背後に隠れてしまう、と大黒はいいます。おそらく著者は、その論理を継承し、貨幣のうちに非対称性が潜在しており、そこに商品世界を超出する裂け目を見いだせると考えているのかもしれません。(注16)

このような記述に接して思うのは、そもそもそのような論理の、マルクス解釈としての正当性を争っているのか、それともマルクス解釈とは離れて、現実の記述としての正当性を論じているのか、はっきりしないということです。もちろん、マルクスの書いたことはすべて現実の記述として正当なのだ、という立場をとるならば、両者は一致します。言い換えるならば、廣松の議論がマルクス解釈として正当か否かを論じているのか、それとも現実の事態の記述として正当か否かを論じているのかも、はっきりしないように思います。


評者のマルクス価値形態論評価はその存在理由について否定的です。マルクスが価値形態論で想定しているのは商品貨幣(注17)です。現実の資本主義で機能しているのは、決済システムとしての信用貨幣です。現在ではなく、過去に存在した商品貨幣がモデルだという解釈もありえましょうが、存在を証明する史料はないというのがグレーバーなどの主張です。


したがって、現実に存在しないし、歴史的にも存在したことのない商品貨幣モデルで非対称性を論じたところで、それは現実の資本主義の批判にはなりえないし、それを超出する契機をそこに見出すこともできないと思います。

二商品を対峙させる論理は、かりにそこに非対称性(ここでは、売り手と買い手のバーゲニング・パワーの差としておきます)が見出せたとしても、現実の資本主義との関わりが示されなければ単なるお伽話に過ぎません。商品や貨幣のうちに非対称性を見出し、それを資本主義批判のよすがとするのであれば、その商品や貨幣が現実の資本主義において機能しているそれでなければなりません。過去に存在したが現在は存在していない商品や貨幣を批判したところで、物象化からの抜け出す手がかりをそこに見出すことはできないのではないでしょうか。

Ⅳ 物象化から「抜け出す」――「超出」(注18)とはなにか

「廣松が価値形態論の読解で示そうとしたのは、商品世界に生きる人間の認識枠組みであった。それゆえ、廣松は価値形態論においては商品世界から抜け出るような実践的なモメントを見出すことはなかった。」(p.97)「商品世界から抜け出る」ということが具体的になにを表しているのでしょうか、この箇所からは著者の言わんとすることを理解するのは難しいように思いますが、その後に続く廣松の引用から推測しましょう。

廣松は、歴史的条件が異なる将来社会においては、商品世界的な物象化的錯視は消失していると書いています。著者が言う「商品世界から抜け出る」という事態は、端的に資本制社会の変革ということでしょうか。それとも資本主義の変革とは別に、「商品世界から抜け出る」ということが可能なのでしょうか。いずれにせよ価値形態論の解釈から資本制の変革についての手がかりを得るというのは難しいのではないかと思います。

著者は、廣松の価値形態論解釈では「商品世界を内から突破する主体性を見出すことは困難である」(p.100)と繰り返し書きます。しかし、そもそも価値形態論の課題は「商品世界を内から突破する主体性を見出すこと」なのでしょうか。評者には、マルクスは価値形態論の課題をそのようには設定しているようには読めませんでした。マルクスから離れて、独自の改釈を施すとしても――たとえば今村のように改釈したとしても――、資本制社会の全体像をいまだ視野にいれることのない『資本論』の冒頭章で、資本主義の構造変革を論じることはできないのではないでしょうか。著者の論理は簡潔に要約すれば以下のようになるでしょうか。当初、廣松は商品世界を超出する論理を求めていた。しかし、価値形態論ではそれがかなわなかった。そこで役割理論が求められた。


しかし、廣松は商品論に商品世界を超出する論理をもとめていなかったように思います。そうすると、価値形態論と役割理論との関係の解釈も異なってくるでしょう。著者のいう「新たな視点」(p.67)に関わる問題です。


著者はおおよそ以上のように廣松の価値形態論を理解したうえでハイデッガー解釈に言及し、「廣松は、共同現存在における役柄実践によって物象化的錯視は廃却できるとしたのだった」(p.102)と書きます。

著者は、生産場面における役割行動に着目したのは「物象化を抜け出るための方途」(p.103)をそこに見いだすからだと言います。著者はそのように「価値形態論」と「生産場面」とを対比的に論じたうえで、廣松は前者では物象化からの脱却の方途を見いだせなかったが、後者での役割行動に即せばそれが見いだせる、と考えた、とします。
(著者がこのような廣松解釈を述べる際には、マルクスそのひとが「商品世界の超出」をどのように理論化したのか、そしてそれを廣松はどのように解釈したのか、という点についてのもう少し詳しい説明が欲しいところです。繰り返しになりますが、マルクス自身は、価値形態論に商品世界からの超出の論理を見出しているのでしょうか。マルクス解釈者による説明ではなくマルクスそのひとがどのように考えているのかが重要なポイントでしょう。)


廣松が「物象化を抜け出す可能性としての役割行動に着目」したという著者の理解を裏付けるために著者が援用するのは、廣松が商品から始めるのではなく「生産一般」から始める方式に惹かれる、との発言です。しかし、ここで廣松が問題にしているのは、生産場面における役割行動に社会変革の可能性を見出すという話ではありません。経済学批判体系の出発点として、商品を置くのではなく、最初から社会的協働連関を前提としたうえで、その一契機として商品を分析する、という方途もあり得るのではないか、ということであろうかと思います。役割理論を用いれば、社会変革の可能性を論じられる、ということに廣松の主眼があるのではなく、そのような社会的協働連関の総体を前提とすることのない商品論という問題設定そのものの限界を論じているのです。社会的協働連関を背後においたうえでの商品論であれば、そこに〝非対称性〟を見出すことができる、と廣松は考えていました。


それに対し、著者は逆の発想で廣松は社会的協働連関を前提したために、価値形態論で非対称を論じることができなかったといいます。そのうえで、価値形態論そのものうちに、非対称性をみいだし、物象化からの脱却の方途を見出すことのない廣松を批判しているようにみえてしまいます。評者の理解によれば、そもそも生産(社会的協働連関)を前提にしていない価値形態論に商品世界からの超出というような課題を課すことは無い物ねだりのような気がします。(注19)


論点を先取する形で身も蓋もないことを言うならば、物象化からの脱却とは資本主義社会の変革であり、したがってそのために必要なのは変革を志向する革命的実践なのであるというのが、廣松の結論でしょう。そのためには、資本制社会の総体の認識がまずは前提です。

著者が〈非対称性〉に着目する意図は理解できます。しかし、それを手がかりにして、廣松の価値形態論を理解しようとするのは難しいのではないでしょうか。物象化的錯視を認識することと物象化を生み出す構造を実践的に変革することとは違うことはいうまでもないことです。一部の論者は価値形態論の論理と社会の批判ないしは変革という問題を性急に結びつけるように思えてなりません。価値形態論をどのように読んでも社会変革の展望はみえないでしょうし、そのことが価値形態論の限界ではないでしょう。

物象化された社会の変革を志向する運動そのものも物象化的な位相においてしか進展しない、とするのが廣松物象化論の特徴のように思われます。生産場面における役割行動への着目は、資本主義社会の構造をトータルに認識するためのひとつの重要なステップであるには違いありません。そしてまた資本制社会の階級編制の基盤が生産場面にあるという意味においても、変革の基底が生産場面にある、という言い方は抽象的一般的にはその通りではありますが、それ以上のものではないでしょう。

著者は、廣松がその価値形態論読解をへることによって、「生産の場面における役割扮技行動こそが、実践的次元での物象化を超出する概念である、という構想にいたった」 (p.68)と書きますが微妙に違うように思います。著者の主張を文字通りに解釈すれば、廣松はそれまでは生産の場面(の役割行動)を問題にしてはおらず、価値形態論あるいは商品論の準位で、物象化の超克が可能であるかのごとく考えていたが、価値形態論(そこにおける役割理論)を本格的に論じることを通じて、その限界に気づき、生産の場面での役割理論の重要性に気づいた、と読めてしまいます。


著者は「疎外論から物象化論へ」を論じた第2章で、「近代社会ではなぜ物象化が起こるのか、そのメカニズムを解明し、近代社会を総体として乗り越えることに、廣松の意識は向いている」と書いています。評者としては著者のこの廣松理解が本筋だと思います。だとしたら、『資本論の哲学』執筆時点であらためて価値形態論の限界の認識から生産の場面に着目するという解釈と齟齬をきたすようにみえます。

著者は「物象化を抜け出す可能性として役割行動に着目」といいますが、廣松にとっては、およそすべての人間行動は役割行動(箸の上げ下ろしまで)なのであり、「物象化を抜け出す」行動自体もまた役割行動(革命家としての役割行動)としてしか遂行しえない、というのが廣松の役割理論です。この点については後述します。(注20)

Ⅴ 廣松役割理論の特徴的差異と価値形態論解釈

ここで評者の廣松価値形態論の理解についてひとこと言及しておきます。
著者は廣松価値形態論を役割理論へ向かう途上に位置づけています。廣松の価値形態論と役割理論との関連を解き明かすためにも、廣松役割理論の特徴的性格について、少し言及しておきましょう。

廣松は繰り返し、自身の役割概念は、アメリカ社会学に発想の起源をもつのではなく、カール・レーヴィット(注21)に多くを負っていると述懐していますが、そのことを著者は第6章で指摘しています。そこで著者は、廣松がレーヴィットの役割概念に関説した論文として、1974年の論文「間主体性と役柄存在 人間存在論への覚書」(22)を挙げています。廣松は、ほぼ同じ内容のレーヴィット論をそれに先立つ、『世界の共同主観的存在構造』第3章「歴史的世界の協働的存立構造」(1970年初出)として書いています。『資本論の哲学』を書く直前でしょうか。この時点では、後に区分される「役割」と「役柄」が明瞭に分化していない(物象化論とのつながりが不明瞭)という不備はあるものの、廣松役割理論の概要が示されています。廣松独自の価値形態論解釈の背後にあるのは『世界の共同主観的存在構造』で廣松が獲得した共同主観性論であり、それと不可分の役割理論であったと推測されます。(注23)


著者は廣松が『資本論の哲学』と同時期に執筆した論文として「存在の哲学と物象化的錯視――ハイデッガー批判への一視軸」(後に『事的世界観への前哨』に改題のうえ所収)のほうを重視するようです(p.100)。著者はそこで「観念的扮技」についての廣松の議論を引用して、「『資本論の哲学』での行論と同様のタームを見出すことができる」(p.103)と書いてます。著者は廣松が「カール・レーヴィットのハイデガー批判からの影響を一定程度認めた」と記しておりますが、廣松によるレーヴィット役割論の解釈についての著者のより立ち入った言及が欲しいところです。(注24)


廣松がその役割概念をレーヴィットに負う、というのはどのような意味でしょうか。要点のみを記せば以下のようになるでしょう。ハイデッガー批判という文脈は著者が言うのと同型ですが、その内実は著者が引用した上掲論文(そこでは「役柄行動と道具的有意義性との相互媒介性」(『前哨』(p.117))に焦点があてられている(注25))とは少し異なります。(廣松が論じているレーヴィット論文はのちに熊野純彦が訳す『共同存在の現象学』(岩波文庫)です。)

廣松に言わせると、「レーヴィットは〝ペルソナ〟〝役割〟という概念を導入することによって、師ハイデッガーの「共同現存在」Mitdaseinひいては、「共同存在」Mitseinという規定を具象化しようと図っている」(第5巻、p.431)といいます。そのうえで、廣松はレーヴィットのフォイエルバッハの我-汝論の批判を検討するのですが、ここでは詳細を省いて先に進みましょう。廣松は続けて、レーヴィットが援用しているピランデルロの『御意にまかす』(その紹介も省略する)のいささか特異なプロットに即して論点をイラストレイトしたのちに次のように言います。


 「「私はich私にとってfur mich」とはいかなる事態であるのか?私は親に対しては息子であり、妻に対しては夫であり、子供に対しては父であり、生徒に対しては教師であり、医者に対しては患者であり……というように、他者に対してはその都度の役柄的ペルソナとして規定されている。ところが、私は私に対してfur mich役柄的に関わるわけではない。私が私自身に対してある相というのは、まさにヘーゲルが謂う意味での「あらゆる対-相-存在の単なる抽象」blosse Abstraktion von allem Fur- Anders-sein にすぎない。」(第5巻、p.441-2)(注26)

「私は私にとって」というフレーズは『資本論』商品章のよく知られた句を連想させますが、おそらく廣松はレーヴィットのこのような読解を介して、マルクスの価値形態論を独自に解釈したものと思わます。廣松のここでの結論を人間の本質は対他的反照規定の総体(アンサンブル)と要言するならば、この考え方は廣松のマルクス価値形態論解釈にみごとに重なるようにみえます。(注27)

他方で、評者は、廣松の価値形態論の読み方は、彼の観測者問題の理論の構制と近似していると考えます。著者が度々言及している「観念的扮技」にかかわる問題です。廣松は『現代の眼』での『資本論の哲学』連載とほぼ時を同じくして『科学の危機と認識論』を上梓していますが、廣松はそこで、アインシュタインの相対性理論の観測者モデルを援用する形で、共同主観性が成立する仕組みを論じています。評者のみるところこの理論構制は、廣松の価値形態論理解と同型(注28)です。

「補論」において、廣松の価値形態論解釈を彼の観測者問題とかかわらせて理解する試みを提示します。なお、この箇所は本書へのコメントと直接関連しません。したがって、マルクスの価値形態論に関心がなければ読む必要はありません。廣松価値形態論の別様の解釈の可能性を示唆するための迂回路です。相対性理論とマルクス価値論との同型性という上掲の点について付言すれば廣松が労働価値説における抽象的人間労働の実体化について述べた箇所で次のように注記している点に明瞭に示されています。「重さ(正しくは質料)という実体が存在するのではなく、等しい慣性加速度を規定するだけであるにもかかわらず、この機能的関係を実体化して同じ質料を云為(うんい)しうるのと同様な論理構造だと申せます。」(『構図』、p.213)

廣松は歴史的社会的な場面での物象化の論理の解明と並行して、物理学などが取り扱う世界の物象化をも解き明かそうと企図していました。論理的には、ほぼ同型的に論じられるとはいえ、そこには決定的な差異があることも事実です。たとえば非対称性という契機を物理的世界の物象化に読み込むことは困難でしょう。廣松物象化論に非対称性が欠落していると難ずる論者は、廣松の物象化論の独自性、広袤(ひろがり)を十全にとらえて論じてはいないように思います。

おそらく、このような領域で廣松が企図していたのはカントの時空間が先験的である、というロジックだと思います。廣松に言わせればそうではない。ニュートン的な絶対時間、絶対空間とは異なり、量子力学以降の時・空間は相互変換的です。そのうえで、そもそもそのような空間概念が如何にして形成されるのか、つまり共同主観的に成立するのか、を物理学の論理に内在しつつ示そうとしたように思います。そのような領域について著者が今後の研究領域を拡張するならば、その成果はおおいに期待できると思います。


(以下は蛇足ですが、評者は経済学の論理としては価値形態論は採用しません。なぜならそれは、マルクスの本来の方法から逸脱した論理だからです。マルクスは孤立的個人を経済学における主体とはしない、と書いています。しかしながら、価値形態論はまさにその孤立的個人を主体とした論理です。どのような社会的経済的関係のなかに置かれたのか無規定のままの主体です。したがって、そもそもなぜ彼/彼女が交換をしなければならないのか、の説明がありません。自分にとって不要な商品をなぜ持っているのかの説明がない。その意味では、新古典派経済学が仮定する合理的個人と同じ設定です。新古典派経済学の場合、主体は自らの満足を最大化するために交換を行うとされるのですが、その場合もなぜ不要なものを持っているのか、の説明はありません。


マルクスの価値形態論の場合、なぜ不要なものをもっていて必要なものを持っていないのか、ということの合理的な説明は、すでに分業が発達していて、特定の職業に特化している、という状況を前提することです。つまり織布業や仕立て業、製靴業などに従事している人々が貨幣を抜きに商品と商品とを等置しているという状況です。

しかし、そのような発達した分業は貨幣を媒介にした商品交換によって生み出されのですから、奇妙な不自然な論理になってしまいます。

もし、貨幣の発生を説明しようとするのであれば、貨幣がない社会的生産システムから貨幣がある社会的生産システムへの構造変動として説かれるべきです。)

Ⅵ 廣松思想の発展と彫塑――4章から9章まで

Ⅵ-1カントとの格闘――第4章について

ここで著者は、廣松の卒業論文「認識論的主観に関する一論攷」を解読しています。そのうえで、この論文での廣松の言語とその意味についての分析と価値形態論での四肢構造とをの関連を示唆しております。記号表記に若干相違がありますが、基本的な構造は、(a as [a] )同型であり、廣松は『資本論の哲学』で、かつて卒論でも用いた範式を援用したと考えられるからです。発話者が商品所有者に代わってはいますが、おそらく廣松は言語モデルと商品交換モデルに同型性をみたのでしょう。


必ずしも読みやすいとはいえないこの卒論の解釈にあえて著者が取り組んだことを高く評価します。この論文は、廣松の共同主観性論の源流をたどるうえで重要です。あるいは上述したように価値形態論解釈の発想の原型を探るうえでも欠かすことはできないでしょう。言語論、意味論として読む限り、そこで出された論点は、後の廣松の諸論稿においてより整理した形で提出されています。

あえて未完成の論文を読み解くのは、思想形成史をたどる、という目的以外にとくに意味はないのかもしれません。しいていうならば、修論「カントの先験的演繹論」への言及をもう少し増やしてほしいところです。廣松は、学部時代にかなり集中してカントを学んだだけではなく、その後、大学院時代も続けてカント研究に没頭しています。卒論では新カント派を軸に言語論、判断論を論じているのに対し、修論では、ふたたびカントに戻ります。カントの認識論を(その意義を高く評価したうえで)根底的に批判しようという試みです。この卒論と修論は、あわせて廣松の思想形成史に位置づけなければならないでしょう。著者は「卒業論文で予定していた第一部の内容を展開して修士論文を構成した」(p.109)と書きますが実際にはどうだったのか。

廣松のこの修論は、共同主観性論が、カント批判を通じて立ち現れてくるプロセスを垣間見せてくれます。カントを批判して廣松は書いています。「問題なのは、初めから主観(共)とその形式・地平の同型性が前提されている事、――「意識一般」が初めから「人間なるもの」に共通的・同型的な意識として想定されている点である。私共はこの想定は維持できない様に思う。主観は初めから共通主観的(gemein-subjektiv)であるのではなく、共同主観的inter-subjektiv)になるのである様に思われる。」(p.122)廣松はカント批判を通じて、「地平」と「共同主観性」の概念を彫塑し、つぎにその形成を歴史的社会的に具象化する道へと進みます。


新カント派との関連で重要なのは著者が第4章第1節で、廣松が使うgelten に着目している点です。著者は、その語が、卒論から『存在と意味』までキーコンセプトとして一貫して用いられていることに着目します。慧眼と言わなければなりません。廣松がどのような含意でその語を用いているのか、について著者の記述を補うべく若干の補足的説明をしておきます。

廣松のgelten概念への着目は、新カント派、わけてもその始祖たる(と言っていいのかわかりませんが)ヘルマン・ロッツェの用法を踏まえていると推測します。(注29)ロッツェは実在的wirklichなものの有りかたを①事物 Dingは存在 Seinし、②出来事 Ereignis は生起 Geschehenし、③関係 Verhaltnisは存立 Bestehenし、④命題は妥当 Geltungすると区分しました。熊野純彦の説明を借りるならば(注30)、たとえば「あれは火事である」という命題の意味は、目の前の火事は鎮火したとしても、変化することはありません。そのような存在の在り方をロッツェは「妥当する」と表現しました。個々の机は作り出され破壊されるが、「机」という概念は存在し続ける。概念や命題の意味する内容は、机などの「物が存在する」というのとは異なった意味で存在するのだが、それを「妥当」名付けた。廣松はその用法を踏襲していると考えられます。

著者はここで、「晩年廣松が注力した役割行動論には、言語で捉えていた共同主観性の次元を超え出ていくという意図があった」と書いています。さらに言えば、廣松の言語論、共同主観性論の特質は、当初から役割行動論と不可分であったのでしょう。役割行動論なくして、廣松の共同主観性論はなりたちません。四肢的構造論の原型をみることができる卒論においてすでにそうでした。

『世界の共同主観的存在構造』においても、「言語的交通」(p.133)のみならず、「言語的世界の事象的存立構造」に続けて「歴史的世界の協働的存立構造」が論じられ、さらには第Ⅱ篇「共同主観性の存在論的基礎」では役割論にそくして共同主観性が基礎づけられています。決して、言語で(のみ)共同主観性を捉えていたのではありません。

著者は「廣松がなぜ最晩年に役割理論に注力したのか」(p.166)と問題をたてていますが、本書を通読すれば分かるように、議論に濃淡の差異はあれ役割理論は一貫しています。晩年役割理論に注力したように見えるのは、認知的な場面を扱った『存在と意味』第1巻に対して、実践論を扱う第2巻で役割理論を主題的に論じなければならない、という事情に由来するのでしょう。第二巻の執筆が最晩年の仕事となったがために、「最晩年に役割理論に注力」することになったのでしょう。生じうるべき誤解をさけるために評者が余計なことを付け加えれば、それまでの著作では、役割理論が欠落していたたことを自覚し、その欠を埋めるために、最晩年に注力した、というようなことではありません。

Ⅵ-2 役割論とミードの自我論――第5章

この章では著者はミードの議論を廣松の役割論と対比させつつ検討します。著者はミードをかなりの紙幅を与えて分析しています。おそらくは「個人の主体性や自由意志」を廣松がどのように捉えているのか、という問題意識から、ミードの客我、主我との差異に注目するのでしょう。

価値形態論での議論とここでの役割行動論とを連接させようとする著者の意図は理解できます。ただし、以下のような指摘は、読者のためにはもう少し説明があったほうがよかったように思います。

「廣松は『資本論』の価値形態論解釈において、二極関係と三極関係を叙述上の便宜をはかって論じ分けている。」「役割行動論は、三極構造をもつ社会的な反照規定を前提として成り立っている」。(p.151)あらためて、本書第3章を読み直しましたが、廣松価値形態論における三極関係、役割論における三極構造とはなにを指しているのか、説明が十分ではないように思いました。上記二つの引用箇所の間に、著者は廣松の文言を引用していますが、そこにも三極構造という言葉の説明は見あたりません。(注31)廣松がその引用箇所で指摘しているのは、二個体間の対面的な共互行動をあつかっていてもそれは協働的役割行為連関態というネットワークの一部としてある、ということです。とはいえ、この章のそれ以後の箇所で、三極構造という言葉は再び使われるわけではないので、読者はこだわる必要はないかもしれません。

Ⅵ-3 国家論、唯物史観―― 第6章

「上部構造-下部構造とは、建築の比喩的な表現」とあるが、マルクスは「下部構造」という言葉は使わなかったように思いますので廣松の造語なのかもしれません。(注32)

些末ではありますが次の点を指摘しておきます。「廣松は、社会行為論・社会関係論をモデル化するさいに、商品交換、言語ゲーム・モデルではなく、生産を基底にすえている。」(p.193)「ではなく」と書きますが、これは、著者の以下の文意と微妙に違うように思います。「具体的な実践行為には、言語行為、商品交換、さらには廣松がもっとも重要視するものとして「生産労働」がある。」(p.293)廣松は、「言語行為」と「言語ゲーム・モデル」とを峻別しているのかもしれませんので、読者にはその点の注釈が必要かもしれません。

Ⅵ-4 「近代の超克」と「東北アジア論」――第7章

廣松の『存在と意味』での議論を援用すると、三木清などの「東亜共同体」はどのように捉えられるのか、という著者のアクチュアルな問題意識はきわめて重要です。ポイントはその解釈の仕方です。おそらくは廣松の遺稿「東北アジアが歴史の主役に」が著者がそのように考えるようになった機縁を与えたのでしょう。


歴史的社会的文脈で具体的に論じられてきた東亜共同体論(批判)を『存在と意味』の第2巻という高度に抽象的な理論とを接続しようとする著者の試みは勇断です。両者を論理的に接続せんとして、著者はまず東亜共同体は廣松の言う「事象」であるとしたうえで、『存在と意味』の第1巻の当該箇所の参照を求めます。そのうえで、廣松の空間の物象化の議論に即して「廣松にあって、空間とは「世界大」に拡大しうるものとして定義されている」とします。そのうえで次のように結論づけています。「「世界大の純粋な場所的空間」が「東亜共同体」である必然性の是非は問うべくもない。しかし、そこへ投企する(注33)という点をさしおけば、日本という視座からより拡大した「東亜共同体」を構想することは、理論的には可能であるといえる。」

著者は『存在と意味』(p.409)の参照を求めています。著者は引用箇所で廣松が空間とは「世界大」に拡大しうるものとして定義していると書きますが、誤解を招きかねない表現です。ここで廣松が論じているのは、「空間」の物象化であり、「世界大」も具体的な場所の広がりを意味するのではありません。空間の物象化とは「空間という自存的なものがまず在って、それの内に事物や現相が含有されている」(『意味』p.411)とする思念をさしています。廣松のそのような理路を踏まえて、そのうえで東亜共同体論へとつなげる必要があります。


上記引用文についてもう一点あらずもがなの注釈を加えておきます。著者のこの文脈では「投企」という概念がひとつの鍵になっています。たとえば以下のように書きます。「廣松は全体主義を批判するこの論稿でマルクスを援用し、大戦下とはいえ民族国家的全体を自明視しそこへ投企していくことは、社会把握の点からしても誤っているとする。」「この論稿」とは廣松の「全体主義的イデオロギーの陥穽」を指すのでしょうが、これは著者による解釈を交えた要約でしょうか。著者はここで「投企」の語を用い、それがハイデッガーに由来することを指摘しています。(注34)しかし、当該論文で廣松はハイデッガーに僅かに言及してはいますが「投企」という言葉そのものは使っていません。(注35)

そのうえで、廣松の企投概念をもとめて『存在と意味』の第2巻が援用されます。著者が引用している箇所(廣松p.236)で廣松が論じている「目標状景」は、明日友人宅を訪れる、という場面での友人宅ですが、これを応用して著者は書きます。

「「東亜共同体」という実体が目の前にみえていなくとも、「企投」するには問題とはならない」(著者p.220)とし、「企投は、ある未在的状景を表象し、その未在的状景を実現することにおいて、一定の目標を達成しようと決意する意識性活動である」(廣松p.318)とまた別の箇所の引用につなげられます。ここで廣松が例示するのは、ライターの炎であり水道の蛇口のような具体的な場面です。(廣松、同上所)。このような文脈で廣松が論じている「未在的状景」を「東亜共同体」に重ねて論じるには、いますこし注釈が必要とされるように考えます。廣松は目標と目的とを区別して論じている(事実性と価値性)点などに注意しつつ読む必要があります。著者は以下のように結論づけます。「以上により、廣松の理論的立場から次のような論が導かれよう。「世界史の転換」という「目的」から「東亜共同体」を唱えた京都学派の立場と動員される大衆の立場とは、パースペクティブの次元からして異なっており、双方の「目的」もまた異なっている。それゆえ、動員される当事者の立場からは、戦争に参加するという「目的」は必ずしも要請されない。」(著者p.220)

評者としては京都学派と大衆との目的が異なっているか否かは事実問題でもあるかと思います。著者が援用しているような廣松の『存在と意味』の解釈から論じる方法も意義があるかもしれませんが、その限界も意識されるべきでしょう。

著者は廣松が『存在と意味』第2巻で「正義」を唐突に出してきていることを指摘し、以下のように批判します。「パラダイムを超えた次元に「正義」という抽象的原理を据えたのは、「情意的」なものを持ち出しているとして京都学派を批判したことと自己矛盾を犯している」(p.221)「正義」については後述しますが、著者はこのような論理で、廣松の東北アジアが歴史の主役に」への批判へとつなげます。「「東北アジア論」における主張はたしかに、自家撞着に陥っている。しかしそれは、『存在と意味』の理論化を進める途上で打ち出された「妥当的真理」を体現するものであったといえよう。」なにが自家撞着なのか、もう少し具体的な説明が欲しいところです。あの新聞コラムで廣松が「新しい世界観」を「妥当的真理」として外部から読者に提示していることが自家撞着であると著者は主張していると評者は理解しました。


著者の以下の要約は重要なので、もう少しパラフレーズしていただければ読者の理解は深まったように思います。「廣松が目指した社会とは、全体性へと個が取り込まれていくものではなく、人々が共同体の総体的な志向を自覚しつつも、それぞれはミクロ次元での役割行動を行っている社会、このようなものであった。」(p.223)ありうべき分業編制のことであれば、分業編制が固定化しない草野球モデルが廣松の理想郷でしょうか。

Ⅵ-5 生態史観の受容と批判――第8章

この章では、梅棹忠夫の生態史観と廣松によるその批判摂取を主題としています。あえて難しい主題に著者は取り組んでいます。後の議論との関連でひとこと申し上げます。著者は廣松が「「正義」を最高次のものとして個人に委ねている」(p.225)と書きます。しかし、『存在と意義』の第2巻の末尾で論じられているのは、「個人」の価値に関わる問題ではないように思います。廣松の場合、あくまでも間主体的に妥当するものとしての価値を論じるのであって、個人に委ねる、ということはしない。おそらく著者は廣松の記述を追うなかでそのように解釈したのでしょうが、今後の議論のためにはもう少し具体的にその説明したほうがよいのではないでしょうか。

Ⅵ-6 ソ連・東欧の崩壊――第9章


この章では、ソ連・東欧社会主義崩壊後の廣松の言説を中心に、その革命観、社会主義観を概説しています。そのうえで、この章でも著者は、廣松の革命観が「下から(内から)漸進的に革命を進めるもの」(p.278)であるのに対し、「最高位の価値としての「正義」といった、いわば上から(外から)の原理は唐突」(同上所)であると書いています。著者の主張の一貫性がみられます。

Ⅶ 価値相対主義の評価と正議論――第10章

この最終章で著者は廣松のいう「非対称的関係」に着目します。おそらくこれは著者が価値形態論の場面で廣松に欠落しているとした「非対称性」とおなじ事態を指しているのでしょう。著者は「我-汝」(注36)という関係のうちに、すでに「支配-服従の可能的構造」(p.293)がはらまれているとみます。そのように読むことにより、廣松価値形態論を論じた箇所での著者の論理と見事につながります。

すなわち、廣松は価値形態論に非対称性をみることがなかったために、そこに内在的超越の可能性を見いだせず、生産場面での役割理論の重要性に気づいたとする解釈です。著者は先の引用の直前に「具体的な実践行為には、言語行為、商品交換、さらには廣松がもっとも重要視するものとして「生産的労働」がある」(p.293)と書きます。これを読むと「商品交換」と「生産的労働」は別場面のように読めます。『資本論』冒頭章の商品交換を廣松は「共互的役割行動」ととらえ、その内部に「支配-服従の可能的構造」があるとしているように読めます。しかし、そのような廣松解釈には留保します。廣松がここで論じている共互的役割行動は、たんなる商品交換ではなく、生産過程を前提とした商品の注文生産です。(注37)そのような具体的な場面に即して、「支配-服従の可能的構造」を論じています。著者はそれを「我-汝」関係というような関係に定位して論じています。

著者は、廣松が「正義」という抽象的原理をパラダイムの外部から持ち込んでいると認定し、それが廣松の内在的超越という論理と矛盾すると見なしているようです。ここでもうひとつ問題にすべきは、著者が引用するように(p.296-7)廣松が価値相対主義を採るといいながら、「価値相対主義で熄(や)むものではない」(『存在と意味』第2巻p.483)と書くその危うさです。価値相対主義で終わらずに正義を主張する、と読めます。ではそれが正義である根拠はなにか。この点については勝守真の廣松批判が参照されるべきでしょう(注38)。その重要さのわりにはあまり知られた論文ではありませんので、若干の紙幅を割いて紹介いたします。

廣松によれば(と勝守は書く)「資本主義の廃棄を是とする価値観が将来広く共有されるだろうという予測がなされ、その予測に促されつつ、しだいに多くの人々が資本主義の廃棄を実践的に志向するようになれば、まさにそのことによって、当の価値観が将来共有されることがますます確からしくなる」。(『現代日本哲学への問い』p.71)
これは時間化された循環論であり、「未来志向的な同調主義」にすぎないと勝守は断じる。そのうえで、勝守は「現存する共同主観的同型性を他の(より高い実践的価値にかかわる)共同主観的同型性によって置きかえることに存するのか、それとも、あるいはそればかりではなく、共同主観的同型性そのもの、ないし共同主観的同型化のメカニズムそのものに抗し、それから逸脱するような他者との関係、つまり〈われわれ〉を超える他者との関係を模索することに存するのか」と問題をたて、後者を肯定しつつ、廣松の「未来志向的な同調主義」も克服されなければならないと説く(同ページ)。

疎外論を拒否し(注39)、当為を人々の織りなす社会的協働連関の外部から注入することを拒絶した廣松は、では正義の問題をどのように権利づけることができるのか、できたのか。彼のライフワークが未完であったことを考慮しても、勝守のこの批判は廣松の限界を示しているように見えます。

勝守のこの廣松批判に直接応答する前にすこし手前のところへ議論を戻しましょう。廣松のこの『存在と意味』第2巻の終えかたは、あまりに唐突すぎます。それはマルクスが『資本論』の第1巻の末尾で「資本主義の最後の鐘」をならしてしまう性急さに似ています。マルクスは『資本論』の全3巻を自らの手で完結しえないであろうことを予感していたがために、1巻の末尾で資本主義の終焉を論じてしまいました。同様に廣松もまたこの時点で、第3巻の執筆は無理であろうと予感していたに相違ありません。そのことが、彼をして性急に妥当的正義をここに書かせたのではないでしょうか。

この点については、『著作集』第16巻の「解題」で小林昌人が書いています。そこで小林は、第二巻「序文」のなかで廣松が「続」については、「望むらくは寧日よあれ!」と書いていること、「余命いくばくもないので、拙速な出版に踏みきった」と発言していることに注意を促しています。(p.519)本書はまさに同巻の熊野の解説にあるように廣松の「遺言」(p.499)であったのでしょう。

伝統的なマルクス主義の考え方にあっても、資本主義はその内部に矛盾をはらんでおり、その矛盾が原動力となってそこから新しい社会の建設的理念が生み出されると考えます。決して、外部から持ち込まれるのではありませんでした。資本主義を越える理念そのものも資本主義の発展が生み出す、と考えるのが伝統的なマルクス主義の考え方です。

その意味では、役割理論という概念装置を導入しているとはいえ、廣松もまた同じ考え方にたっているのではないでしょうか。つまり、正義をそとから持ち込むのではなく、システム内部の矛盾や対立のなかから生み出される理念であり、その正義を体現する役割主体としての革命家もまたシステムの内部運動によって形成されるあらたな役割であると廣松は考えたのでしょう。

正義という価値を実現するという人々の行為も役割行動にすぎないということになります。革命家は革命家の役割を演じている。資本主義社会での役割編制は無矛盾、無葛藤ではありえず、かならず内部に対立を生じさせる契機が、役割編制そのもののなかに含まれている。そのことが既存の役割編制そのものを否定することを志す革命家という役割(役柄)を生み出す。

では、彼らが唱える正義が廣松がいうところの妥当的正義であるとことはどのように担保されるのでしょうか。廣松としては、それは論理の内部では不可能であり、実践に開かれている、としか返答のしようがないのではないでしょうか。この点については、著者が第1章で廣松の言葉を引用して書いている通りです。(p.34-5)

ここで言う実践は、政治活動ましてや街頭闘争などを指すわけではありません。廣松がテキストを書くという行為そのものが実践であり、それはそれを読む読者への呼びかけでもあります。(注40)読者はそれに呼応するでしょう。ただし拒否的にかもしれないし、共感的にかもしれなません。あまりに卑近な例で恐縮ですが、自然科学のある種の命題の真偽は、当該論文の内部では判定できず、論文の読者がその論文にしたがって実験を試みることによって検証/反証される、という構造をもっています。これを「実験に開かれている」とするならば、社会についての理論は歴史的実践に開かれているのです。


いささか結論を急ぎすぎました。著者が言うように廣松は「正義」をパラダイムの外部から持ち込むという廣松の「思考展開にそぐわない」禁じ手を犯したのでしょうか。そうではないように思います。著者が第1章で引用した箇所での廣松の議論をもう一度読み返してみましょう。正義については、より直截的には、小坂修平との対談のなかで廣松が語っている箇所が分かりやすいです。著者は「廣松は、価値に高低をつける」(p.296)と書きますが、著者が言うようにこれは誤解が生じかねない表現です。そのことによって廣松が言いたかったのは、「等しい」ということに対して「違わない」ということが先にある、つまり同一性に対し差異が先行する、ということです。(『構想力』、p.76-8)そのうえで、廣松は以下のように言います。「これはセクトの争いの場合からもうちょっと大きな争いまで、ウェーバー式のことばを使えば「神々の争い」というような形になってゆく。絶対的な正義ということは言えない。」
ゲヴァルトで決する、ということについては、「棒きれをふりまわす」ことではない、と念を入れたうえで、次のように結論づけています。


「合理的な説得だとか納得だとかっていう、そういう理屈のレヴェルでは決着がつかない。では、腕力でねじ伏せたやつが勝つという形で決着がつくのかって言えば、そうじゃない。決着がつくにはそういうイデオロギー的対立を生み出しているような、……場面、それ全体が変わって、それに見合うような新しいパラダイムが確立することが必要条件になる。」(『構想力』、p.85)


なお、ヘーゲルは『精神現象学』のなかでソフォクレスの『アンチゴーネ』を論材にしてカントの定言命令を批判します(注41)が、その論理は社会学のロールセオリーで言う、役割葛藤Roll conflict と同型です。廣松は、アメリカ流の社会学と意識的に距離を置いているため、Roll conflict あるいはRoll distance などの既成の概念を使うことはありませんが、上記のアンチノミーは役割と役割とのアンチノミーと言い換えることができるのではないでしょうか。

いずれにせよ、廣松は正義をパラダイムの外部から持ち込むことはしていないと考えるべきでしょう。そのように読める余地があるとしたら、上述したような廣松の心理が介在しているのかもしれません。

ここで山本耕一の次の文章を引用しておきましょう。
「廣松の理論体系の基本的性格は、廣松自身の規定にしたがって、とりあえずは存在構造論として特徴づけることができるだろう。しかしながら、自らの理論を「存在構造論」として規定することは、場合によっては、ある種の危険をおかすことになりかねない。……廣松「存在構造論」では、原理的にみて構造変動が解けないとの〝不満〟が一部に存在していたことは確かである。現在でも、実体的個人の主体性が構造変動の不可欠の前提であるとする思念には、きわめて根強いものがあるといえよう。」(『コレクション』第1巻、「解説」(p.344-5))変革主体としての個人、という考えかたに対する廣松の答えは構造変動論である、と山本は言います。

むすびにかえて

本稿の冒頭に掲げた著者の廣松読解の試みの首尾はどうであったでしょうか。

著者の本来の狙いは廣松に徹底して内在し、廣松が何を問いかけたのかを明らかにすることだったと思います。しかし、仔細にみると外部からもちこんだ問題意識を基準に性急に論断している箇所が見受けられたように思います。(値形態論解釈など)。

「正義」についても同様です。廣松は正義をパラダイムの外部から持ち込んでいると著者は言います。それは廣松の本来の主張と矛盾すると指摘します。廣松は正義を外部から持ち込んでシステムを批判しようとしているのではないことは、著者の言うとおりです。したがって、評者としては、廣松は「外部から持ち込んでいる」という著者の読み方を再検討したほうがよいと思います。

二律背反についてマルクスを引用して廣松が書いているように、資本主義というシステムは、対立する二つの「正義」を生み出します。どちらも商品生産のルールに違背しない。ではなにがそれらを決するのか。理論の内部では決着がつかない、というのが廣松の考えであり、最終的には歴史の審判にまつというのが答えです。そしてその歴史は、決して主体から切り離された客観的にして必然的な運動法則にしたがって動くものではなく、まさに主体の能動的な関わりを決定的なモメントとして変革されるものです。廣松はみずからの知的実践をそのような歴史のひとこまに組み込まんとしてその生涯を閉じたのでしょう。


本書には言及すべきであるにもかかわらず、言及していない論点があります。しかし、それは本書にはその分、伸びしろが十分に残されている、ということをも意味します。本書が廣松研究の近年まれに見る成果であることは疑いないことですし、今後の拡充と発展が大いに期待される作品です。

(1)『文明構造論 : 京都大学大学院人間・環境学研究科現代文明論講座文明構造論分野論集』所収の諸論文。
(2)「パラダイム」はいうまでもなく、科学史家クーンの『科学革命の構造』によって人口に膾炙するようになった言葉である。廣松もこの語を使わないわけではないが、クーンと廣松とでは捉え方に大きな差異があるように思う。たとえば、クーンの場合、ある時代にあって、二つ(ないしそれ以上)のパラダイムの併存・競争という事態を問題にする。最終的にどちらかのパラダイムが勝利する。それに対し、廣松の場合、たとえば近代的世界観の「地平」の内部で、「科学主義と人間主義」が相補的に対立・併存するとする。この場合、相補的に対立するどちらかが勝利するのではなく、対立を生じさせる地平そのものが乗り越えられるのである。渡辺の用語法はクーンのそれであろう。ただし、「体制」にパラダイムとルビをふるのは渡辺独自の用法であろうが、社会体制がその社会体制にふさわしい思考の枠組み(パラダイム)を生み出す、という意味で二つを重ねたのであろうか。
(3){この項削除}
(4)物象化論はデュルケームであり、共同主観性論はカントであるが、両者に同一の問題構制を廣松はみたのではないか。デュルケームが言うように規範は内的でありかつ外的であるが両者をつなぐ論理がない。これに対し、カントの場合の範疇も内的であり、外的な認識対象との間をつなぐのが廣松の修論、先験的演繹論ではなかったか(思いつき)。
(5)いささか細部にわたって恐縮ではあるが、『ミル評注』を廣松が適切に評価していないということについてであるならば、それは「今日の研究」ではなく、『ドイツ・イデオロギー』解釈を巡って、廣松とたとえば望月清司、森田桐郎(「ミル評注」、『マルクス・コメンタールⅠ』所収)との間での当時の論争での争点であり、その際の望月の主張であった。望月はマルクスの「交通Verkehr」概念に着目しつつ、『ミル評注』でのマルクス分業論はすでに、廣松のいう関係視点に立脚していると言う。望月の廣松批判は、廣松の主張をなかば容認したうえでの批判である。(ただし、望月のいう「ミル評注」の譲渡疎外論も廣松からすれば主客図式の内部、ということになろう。(山中隆次訳『マルクス パリ手稿』、p.103)){一部削除}なお、望月の「ミル評注」研究の意義については、小野寺研太の研究が参照されるべきである。『戦後日本の社会思想史』(2015年、p.198-)
(6)この点については、マックス・シュテルナーによる痛烈な批判がマルクスに与えた影響(シュテルナー・ショック)が契機になったという廣松の指摘は重要である。たとえば『構図』(p.23)。
(7)廣松が物象化論のモチーフを見出したのは渡辺が拙稿を援用して指摘しているようにデュルケームの社会的事実を物として捉える見方に示唆を得ている。その際に、廣松が着目したのは社会的事実が、ひとびとの外部に実在し、しかも他方で人々を内部から拘束するように現れる(たとえば社会的道徳と内面的良心)、という事態であった。
この点に関連して、青木昌彦がみずからの制度観、制度は内生的endogenousであり外生的exogenousであるとする見方がマルクスの物象化論と近似している、という指摘は興味深い。制度の実在性、拘束性という見方において両者は共通している。この点については、拙稿「物象化論の継承的拡張」(「第5回廣松渉国際シンポジウム」予稿集所収)を参照されたい。
(8){この項削除}
(9)廣松のこの商品交換モデルの理解に鑑みるとき、大黒の廣松物象化論批判(「価値形態論における垂直性と他律性 ─関係に先立つ実体」 https://doi.org/10.20667/peq.48.2_28)は的を外しているようにみえる。大黒は検討の対象を『資本論の哲学』に限定する、といいながら(p.39)、同稿冒頭の「問題設定」では「廣松物象化論には「垂直性」(上)と「他律性」(外)の契機が希薄」と批判する。廣松の価値形態論解釈への批判がそのまま廣松物象化論の批判に横滑りしている。廣松物象化論を、とりわけその限界を批判的に検討するのであれば、『資本論の哲学』に対象を限定するのは不適切である。
(10)著者は「我-汝」に〈非対称性〉の構造があるとしたうえで、「我-汝の場面が最も如実にあらわれる場面として、廣松は役割行動を位置づけている」(p.105)。レーヴィットのフォイエルバッハ批判についての廣松の記述は、「我-汝」を役割行為としてみるレーヴィットを評価しているが、すこし違うような気がする。
(11)廣松の今村第三項排除論への評価は微妙である。「小生はまだ氏の第三項排除効果論を十全に理解できずにいます」『コレクション』第1巻、(p.245-6)婉曲な批判であることはいうまでもない。
(12)この点についての詳細は補論にゆずるが、廣松物象化論の要である。廣松が抽象的人間労働を交換に先行させていない、ということは、彼が繰り返し商品章第4節の以下の箇所を引用することから明らかであろう。『資本論の哲学』第十節二から引用しておく。「「人々が彼らの労働生産物を互いに価値として関連づけるのは、当の物件を同種の人間的労働の物象的外皮だとみなすが故ではない」。実際には逆である。「人々は、交換において、彼らの異種の生産物どうしを価値として等置することによって、彼らの異種の労働を人間的労働として等置するのである。」(ただし、廣松による訳。)
(13)評者からみるならば、著者は価値形態論についての特定の(ただしかなりポピュラーな)解釈に強く引きつけられており、その立場から廣松価値形態論を読み込んでいる。今村自身は廣松の影響を強く受けた研究者であるが、それゆえに廣松との差別化を強く意識した論者でもある。しかし、彼の価値形態論解釈は極端な改釈であり、マルクスのなかにマルクスが言っていないことを読み込んでいるというべきである。もちろん今村は意図してそのような読み方をしているのであって、マルクスを誤読しているなどと責められるべきものではない。
(14)塩沢のこの命題は「供給は需要を生み出さない」と言い換えることもできる。しかし、「貨幣の非対称性」については別の定義もある。たとえば黒田明伸『貨幣システムの世界史<非対称性>を読む』。彼は、「本来、貨幣とは交易に対称性を与えるための存在であるはずだ」としたうえで、「複数の通貨があって、それらの間の評価が多元的である」状態を貨幣の非対称性とよんでいる。多義的に使われている言葉なので、使う際には定義を示す必要がある。
(15)大黒はマルクスの記述を引用している。「商品は自分の価値を自分自身の身体または自分自身の使用価値で表現することはできないが、価値存在としての他の使用価値または他の商品身体に直接的に関係させることはできる」。大黒はこの記述のうちに「商品どうしの敵対関係が、端緒に凝縮したかたちで見いだせるのである」(『マルクスと贋金づくりたち』p.15)と書く。私にはそのようには読めない。
(16)「貨幣先在説は,「対称的で安定した物々交換」(アグリエッタ)という神話を批判できたとしても,それ自身「対称的で安定した貨幣的交換」の神話を紡ぐことになっていないだろうか。見方によっては貨幣の先行性の指摘がこの遍在する非対称性(自然状態)の隠蔽につながるとも解釈できるのであって,物々交換神話を批判するに急なあまり,貨幣の自明性がより強く前提されてはならないだろう。」(大黒、p.36)
(17)大黒によればマルクスの貨幣論は単なる「商品貨幣説」ではないという。「商品貨幣説も法制貨幣説も貨幣を何かの「代理」と捉えているのに対し、マルクスは価値の「表現」形態と捉えたのであり、さしあたり「価値貨幣説」というべきである。」(p.221)
(18)「超出」を辞書で検索すると「ぬきんでること」とある。廣松もたとえば、修士論文梗概で使っているが「抜け出る」といった意味か。カントの『批判』の訳書で、hinausgehenの訳語として超出が使われている。『批判』の英訳書ではsurpass。
(19)とりわけ宇野の価値形態論解釈を引き継ぐ論者にそのような無理な論理構成が見られる。宇野の構想した原理論は、あたかも永遠に繰り返すがごとく資本主義を記述するのであり、しかもその冒頭に置かれた流通形態論は特定の生産関係を前提としていない。ところが、宇野の継承者の一部は、そのような生産関係・特定の社会体制から抽象された関係のなかに、非対称性を見出し、商品世界を生み出す社会体制を超出する論理的可能性を読み込もうとする。評者からすれば転倒した発想である。
(20)なお、渡辺も言及している『クリティーク第8号』での特集「物象化論の批判力」について一言しておけば、その特集をめぐりかわされた議論において小倉利丸、浅見克彦の両氏が廣松氏に対し、執拗に変革的実践の重要性を説き、廣松物象化論からはそれが導出できないことに言及すると、廣松氏はいらだちを隠すことなく「そんな実践など私はガキのころからやっている」という主旨のことを吐き捨てるように言っていたことを記憶している。それはおそらく理論の存在理由として、その理論が資本主義の不当性をどれほど訴えているか、ということ(批判力)に見出すような性急さに対するいらだちであったであろう。廣松は当初から、遠大な体系構想を抱いていたはずであり、理論の批判力を問題にするのであれば、その理論体系の全体において論じるべきであるにも係わらず、その一部分をもって批判力の有無を論じる論者へのいらだちだったのではないか。
(21)たとえば、真木悠介との対談(『情況』73年7月号、後に『学際対話、知のインターフェイス』所収、参照。
(22)『現代思想』1974年8・9月合併号に「人間存在論への覚書」として発表されている、後に『哲学の越境』所収、入手し易いのは『著作集』第5巻所収「人格的主体と対他的役割存在」)に現れる。
(23)当時の読者(少なくとも評者)はそのような時系列で読んだ。
(24)この論文で廣松がレーヴィットについて、簡単にしか触れていないのは、後述するようにその直前の論文ですでに論じているからであろう。レーヴィットからの影響は渡辺が考える以上に大きいと思われる。なお、両稿の精確な執筆時期の確定は難しい。ほぼ同時期である可能性もある。
(25)ハイデッガーの用在性Zuhandenheitを役割行動から捉えるという視点。金槌が金槌であるのは、主体が金槌を使う(役割行動)主体として形成されているから、ということ。あるいは金槌を使う主体の行為を観念的に扮技する限りにおいてそれを金槌という用在として認識しうる。
(26)ピランデルロに触れた同様の文言は『存在と意味』第2巻にも現れる。たとえば(p.161)
(27)「我は一個の他者である」というよく知られたアルチュール・ランボーの言葉をここで引用してみたい。「ぼくというのは他人です。木材が自分をヴァイオリンと思っても仕方ありません。」「というのは、「ぼく」とは他の人だからです。銅が目覚めてラッパになっても、銅のせいではありません。」(『ランボーの手紙』より。)この文脈でランボーを引用するのはmissleading かもしれない。しかし、詩人のこの直感は想像力をかき立ててくれる。
(28)渡辺は上記の「存在の哲学と物象化的錯視――ハイデッガー批判への一視軸」に廣松の価値形態論と「構造的に同型の議論」が見られるとしているが、評者には観測者問題をを扱った一連の論文のほうがより同型的であるように見える。
(29)「認識論的主観に関する一論攷」(p.79)
(30)熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』、岩波新書、(p.196)廣松がしばしば比喩的に用いる、「関係の編み目」という表現もロッツエに見られるようである。『資本論の哲学』では、第9節一でロッツェに言及している。
(31)廣松は交換過程論で三極的構造とみえるものが二極的構造聯関の複合と書いている。(文庫版p.303)
(32)「「土台」つまり下部構造」と廣松は書く。『コレクション』第1巻(p.27)建築用語として下部構造という言葉があるか否かは、分からないがネットで検索する限りでは、海洋建築物や橋梁などの一部の領域では使われるようである。
(33)「廣松自身「企投」と「投企」を混在して用いている。」(p.337)と書くが、具体的にどこで混在して用いているのか例示していないので判断は難しいが、「企投」とすべきところに「投企」の語を充てていると思われる箇所もある。管見の限りでは、行為の事実性と価値性について論じた箇所。「儀礼研究への方法的前梯――物象化論の視座から――」(1989年初出、『哲学の越境』(p.284))。そのうえで、渡辺は、両概念を「同等に使用されている」とする。渡辺が言うように、投企Entwurf、entwerfenはハイデッガーが使った概念であり、「企投」は廣松の造語だが、『存在と意味』のように自らの理論を体系的に陳述した箇所では、独自に定義された「企投」を用い、そのような予備的な考究を前梯できない文脈では、より一般的な「投企」を用いたと思われる。なお、渡辺(p.55)での廣松の引用箇所に、ハイデッガーの投企概念が現れる。
(34)渡辺(p.337)
(35)「学者・思想家たちも多数ファシズムにアンガージェしている」(p.255)という指摘はある。projet ではなく「アンガージュマン」が「投企」と訳されているのかもしれない。廣松は別の箇所で、「自覚的な役割行動をもその一斑として含む目的志向的な有意行為においては、自己の未来的な在り方が表現的vor-steligに投企ent-werfenされ、その可能態的な在り方にアンガージェするという意識体制が内省的に見出されます。」『コレクション』第1巻、(p.34)
(36)渡辺は、『存在と意味』第1巻、第2巻を引用したうえで、「廣松は、このように我と汝の関係性に定位し」(p.293)と書くが、廣松の文章としては、どこで「我」、「汝」を問題にしているのか、引用箇所を示していないので理解が難しい。私の印象では、廣松は「我-汝」の「関係性に定位」してはいないように見える。『存在と意味』第2巻161ページ以降の箇所。
(37)『存在と意味』第2巻(p.334)
(38)渡辺は勝守のこの本を参考文献には挙げているが、本文では言及していない。廣松の通用的価値/妥当的価値のシェーマに徹底して内在し、その問題点を摘出した勝守の議論を検討すべきであった。問題は、廣松が「正義」という抽象的原理をパラダイムの外部から持ち込んでいるというように一言で要約できるようなものではない。
(39)廣松が疎外革命論を拒否する一番の理由は、疎外論革命論がまさにあるべき状態を外部から持ち込んでおり、そのことがどのように権利づけられるのか、という問題に無頓着であることにある。この点についての廣松のまとまった叙述として『構図』の比較的長い註を参照されたい。(『構図』p.107)
(40)廣松独自の著者-読者論については、『弁証法の論理』が参照されるべきである。ヘーゲル『精神現象学』の独自の解釈である。
(41)その点については、拙稿『経済学批判の構制と射程』の65ページ以降を参照されたい。


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