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大人は無口だと思っていた

なんで生きるために必要な細かいマインドセットとか学びを言語化してくれないんだろうとずっと思って、10代20代を過ごした。僕が社会に適応できないのは適応の仕方を教えてくれなかったからだと。

しかしこの半年で急に現実に対応できるようになってきてからというもの、僕はおそらく基礎がなってないまま高度なことに興味を持ったせいで地盤が固まってなかったんだなと改めて感じた。というより、適応というのはどこまで経ってもやって覚えるものなのだ。こんなに社会人基礎力がつくなら新卒の頃に今の会社に入っておけばよかったと今では思うが、当時そんなことは考えもしなかっただろう。もっと理想を高くして、仕事が大変な会社に入って、エリートになれるように頑張って、他人と自分を比較して妬みで自爆するような、そんなルートは今考えても変えられなかったと思う。

別の話をすると、僕は夢を持つのは当たり前だと思って生きてきた。そんななので、今こんなところで書き物をして、それなりにやりたいことをやりながら生きて、周りに恵まれているというのもある。そんなに明確に人は夢を持たないらしい。だからこそ周りと合わせる社会が生まれ皆それなりに環境に適応できているのかもしれない。望む力が薄いメリットもあると思うし、僕程自分勝手に生きていない人が持つ「人を想う力」というのは、いつも見ていて尊敬する。そしてまた、僕もこんな風になりたいと欲を張る。

幸いにも僕はこの世界の成り立ちに興味がある。経済、人の流れ、社会のしくみ、そういう抽象的なことを考えて知る営みが好きなので、年を重ねるごとに世界がクリアになっていくのが楽しい。きっとこれだけは自分の人生を明るくする要素なんだと思って、最近ちょっとだけ安心している。

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