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大切な存在が亡くなった後に感じたこと/癒された動画 親を見送る


これはわたしの備忘録でもあります。
これをシェアして残すことで、少なくてもうちの子ども達がその経験をしたときに見ることで、なんとなしに状況を咀嚼して消化する酵素のようになったらいいなあと書いています。


昨年11月末に、心の友で同志でもあった元保護犬の愛犬が亡くなり

母が数年前に発覚した病気が悪化して、12月末に再入院。

今年の2月末に亡くなりました。

こういう立て続けに大切な存在を無くした経験談を見聞きしたことは過去にあっても

その時その時に自分なりに相手に心を尽くしたつもりでも、残念ながらどこか他人事だったんだなあと、

大切におもっていたその人と同じように悼むことは、どうやっても出来るわけがないという、なんともいえない無力感があったけど、

その立場になってみると、そんな風におもう必要すらなくて、

まわりが出来ることと言えば、心をこめてお祈りした後は、リカバリーの間は、そっと心を寄せているね、くらいがちょうどよかったんだな、とわかりました。

目の前で、時間の経過にいろんな出来事がくっついて流れていって、そこに自分も登場人物として関わっているわけなんだけど、

時空が歪んだような1ヶ月が経とうとしているのに、まだ、ずっと映画を見続けているような感覚です。

TVがここ数十年災害以外の時には見ないわたしですら、やはり日常的に目から入る情報の多さが目眩しになって、映画やドラマなどにいつの間にか感覚が慣れすぎていて

例えばドラマで「あ...あ...あ...」と苦しみながら息を引き取るまでに30分近く保たせるようなシーンがデフォルト設定になりやすいけど、

実際には、人間も犬も生きてた生命が終わって、最後に逝く時はもう少しだけ生きるんじゃないかという余韻を残しながらスウッって呆気ないものなんだなあと。

うちの父なんて「ん?どうしたんだ?なんだ?え?死んだ?どういうことだ?」って言ってたくらい。

自分ごとになってみて、実体験で身体全体で感じて考えさせられるようになると

ああ、「死」は当たり前なんだろうけど、

実際に自分ごとになってみると、全く当たり前な感覚ではなくて、例えば、医学的に「大往生だ」とか、もうかなりの高齢だからとか、そんなことは亡くなった存在と深い関わりがない誰かが決めることでもなくて、喪失感は比較にはならないわけで。

それが人の数のパターンで全て違って、生きているすべてのひとに平等に起こること。

それがまるで無いかのように暮らしていたなあと、しみじみ想うのでした。

こうなった今、たまに思い出すのが、昔のこと。

わたしが小さかった頃に見た夢のこと。

いくつくらいだったかな。

きっと小学校にあがったくらい。

大きな川の流れている橋の欄干の上に

母が白い薄い着物を着て、タイタニック立ちで立っていて

いまにも落ちそうなので

わたしが

「ママ!死なないで!死なないで!」と

母の脚を両手で必死に抱きしめて落ちないようにしている夢。

大きな自分の叫び声で涙まみれで目が覚めた。

夢でよかったと心底小さかったわたしが思ったのを記憶しています。

でも、今まさに母が亡くなってしまって

「あ、ママがいなくてもわたしは生きている」と

冷静に気づいてしまった。

あぁ、ママがいない人生がはじまってしまったんだ、と。

「ようこ」と何度もウザい電話が来ることも、もうない。

料理のレシピを聞くためにかける電話番号はない。

もうその番号は他の誰かが使っているんだなと。

だからといって、わたしはちゃんと

ご飯をたべて、笑うこともあるし、出かけているし、

本を読んだり、美味しいものを工夫して作ったり、

温泉に行ったり、

こうして書いたり、お洒落をしたり。

不思議な感覚でもあります。

毎日泣いたりもしていない。

これは最期、母が生きていても病の症状で苦しいばかりだったし、

何より母が最後まで会話ができて

「もう十分生きた。延命治療はいらない。我が人生に悔いなし。ありがとう」と

言い続けてくれていたからかもしれないし、

もしかしたら、自分がどちらかと言うと「反省会タイプ」の性格だったから、後からあれこれ多くを後悔しすぎないようにと、

特に母や実家のケアを病気がわかってからは、フルスロットルに近い状態で出来るサポートを

自分の心のためでもある、と自覚しながらやっていたので、

そういうことも心の処理の一助になったかもしれません。

喪失を経験して頻繁におもうのは、必要以上に泣き続けて暮らしたりが続けば

母も心配で天国へは行きづらくなるはず。

そして亡くなったことに重ねて泣き続ける理由を

自分の人生の中に自分が探さなくてはいけない、ということ。

大切で、心から愛した魂が穏やかにいられるように、

でも必要な時間はちゃんと思い切り、泣いて、偲んで。

そして前を向いて歩いていく。


(こう書いているとまるで仲良し親子だったようですが、うちにも他に漏れず人生は小説より奇なり。まだまだ人には打ち明けられない、いろんなことがありました)


先日、EIJIさんがとても素敵なYouTubeをシェアしていました。

まさにこの記事を書いていた時にブログにUPされていたことを知ったのですが

見えない何かと何かがリゾネートしたような動画で驚いたのと、深く癒されたので(さすがヒーラー!)シェアします。


※わたしがEIJIさんを知ったのは、大好きな小説家の吉本ばななさんがご紹介されていたから。幻冬舎plusでの吉本ばななさんとのイベントなどでも知っている方は多いかもしれません。psychic能力のある方で、ピアニストでもあり、パートナーのshigeruさんと、かわいい3匹のワンコたちと八ヶ岳に住んでいます。




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