雪で出来たト音記号🎼 小さな姉妹の大冒険

母危篤の知らせをうけた時に見上げた車のフロントガラスに見つけた雪で出来たト音記号🎼


私たち姉妹がまだ小さかった頃

きっと小学ニ年生と幼稚園とかだったか

もしかしたらもう少し小さかったか

しばれる北海道の1月はじめに

お正月にもらったかわいい額のお年玉を握りしめて

クラシック好きの母の誕生日プレゼントを

思いついて2人だけで買いに出かけたことがあった。

はじめてのことだった。

あの頃は交通手段はバスのみで

家から大人の足でも15分はかかる

バス停まで歩いて行って

目的地のレコード屋さんがある中央通り10丁目の壺屋ビルまで

バスで15分くらい。

私たち家族はよく家族でバスで出かけては外食して

帰りは夕涼みしながらゆっくりお喋りしながら

長い時間をかけて歩いて帰ったりしていたこともあって

小さな子どもの記憶で楽しくあっという間だったと思っていた。

出だしは好調。

バス停についてバスに乗る

「次は中央通り10丁目、お降りの方はお知らせ願います」

ドキドキしながらピンポンを押して

すみませんすみません、と言いながら

大人の脚の林を抜けて前に出て

ようやく小さな妹とバスを降りた。

いつもは母はこっちにこうしてる、とかいろいろ思い出しながら

かなり忙しく小さな頭の中は責任感で動いていたと思う。

家族でしているように向こうの遠くに見える横断歩道を渡って

目的のビルに入る。

ビルの中にあるレコード屋さんで

「チャイコフスキーの悲愴をください。誕生日プレゼントにしてください」

これが済んで少しだけホッとする。

次は同じビルの中にあるケーキ屋さん。

美味しそうなケーキばかり。

でも気づいたら小さな子どものお年玉は一番安いお誕生日のホールケーキでも

帰りのバス代があと少しだけ足りなくなっていた。

あ、いつもパパとママと歩いて帰ってるから歩こうか、と

小さな妹と話してケーキを買い

妹が「ケーキを持つ」と言うのでホールケーキの箱を持たせて

わたしはチャイコフスキーのLP版のレコードを持って

妹の手を引いて歩きはじめた。

歩き始めて15分を少し過ぎたあたりで後悔しはじめたと思う。

でもバス代はないし、前に進むしかない。

しばらく行くと

途中にある不二家のお店を見つけてホッとする。

子どもの頭では一区切りの場所と記憶していたんだと思う。

かわいいペコちゃん像に元気付けられながら

また私たち姉妹は歩いた。

1月の北海道は雪に埋もれていて足元はツルツル。

雪は降っていなかったが風は残酷なくらい冷たかった。

寒いよーと妹が泣きそうになりながら何回も言う。

泣き虫の妹はかなり我慢していたと思う。

私も寒い。

手の指も足の指先も冷たすぎて感覚がなくなった。

あたりも薄暗くなってきて少し怖くなってきて

のんびり屋さんの妹に早く早く!なんて言ったかもしれない。

先に歩いて「置いていくよ」なんて言ってみたりしながら

ようやくようやく家の近くの下り坂。

と、小さな妹が滑って転びそうになり

ケーキの箱が手に持ったまま大きく空に一回転スウィングした。

疲れやらなんやらで小さな姉の私は容赦なくかなりの剣幕で小さな妹を叱ったと思う。

すると張り詰めていた糸が切れたように

妹が泣き出した。

わたしのお腹のあたりからもグッとこみ上げるものがあった。

同じ気持ちだった。

そこからは妹の手を引いて離すことなく

怒りながらも一緒に歩いていた。

疲れが極限を過ぎて2人とも無口だったと思う。

ようやくようやく家の灯りが見えてきた。

足取りは重かったが心の緊張と責任感は軽くなっていた。

到着あたりに心配して母が外に出て待っていてくれたような気がする。

母の顔を見た途端に2人とも安堵感で大きな声をあげて

うわあんうわあんと泣いた。

お金が足りなくなって歩いて帰ってきたこと

妹が転びそうになってケーキがぐちゃぐちゃになったかもしれないこと

うわあんうわあんと泣きながら母に話した。

妹もわたしのひどい叱り具合を母に言っていたとおもう。

おばあちゃんも父も出てきて微笑みながら涙ぐんでいた。

いろんな気持ちで みんな泣いていた。

そしてこの話しは未来永劫、母の宝ものになった。

美しいチャイコフスキーの悲愴のメロディを聞くたびに

この小さかった私たち2人の大冒険を思い出す。

そしてなぜこんなにクリアに覚えているのかというと

母が繰り返し繰り返し

私たち姉妹や周りの人たちにうれしそうに話すので

小さい頃の感情のひだも真空パックより新鮮に保存されたまま

もうすぐシニアになる私たち姉妹は

鮮明に思い出すことが出来るのだ。

そして今までもこれからも

人生のチャプターがもうすぐシニア章に入るけれど

また共にいろんなことを乗り越えながらも

まだ妹と心の手だけは携えているんだとおもう。




生前のまだ元気だった時の母との会話の中で、冗談のように話していた口約束どおり、お通夜では母が愛した「チャイコフスキーの悲愴」を流していました 🎼

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