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つながる想い。『天官賜福』5巻、墨香銅臭

『天官賜福』台湾版(平心出版)の5巻は、第91章から113章まで。先が気になりすぎて、久しぶりに睡眠時間削りました。ものすごくシリアスな展開が続いたかと思うと、いきなりコメディがきたりで、感情の整理が追いつきません。

ネット小説は1回の更新ごとに小刻みに、緩急あるフックが仕込まれるので、上手い作品ほど途中で止まることができません。ジリジリとワクワクと、しんどい地獄が圧縮されたこの作品を、リアルタイムで読んで、次回更新まで耐え忍んでいた猛者の皆様には尊敬しかありません。

以下は、心の叫びも含めた感想です。私の好みしか語っていませんが、悪しからず。ネタバレが嫌な方も、ご遠慮いただければうれしいです。

Welcome back!  風師大人~!!!

5巻では2度ほど泣かされましたが、最初はやっぱりここです。風師の再登場。天界でも人界でも、どこでもそれなりに自分らしく生きられるところ、さすが「人如其風」の師青玄。老風呼びもいいですね。加えて3巻の伏線を回収してくるあたり、作者は本当に群像劇が上手くて、カタルシス半端ないです。

風師つながりでいうと、最近やっと『天官賜福』のアニメ(字幕版)1期を全部見れたんですが、風師の声優は邱秋という方でした。しっかり者中華女子らしい声としゃべり方で、好みドストライク。これは、2期の男性バージョンが一体どうなるんだろうと検索したんですが、邱秋さんはあの名作ドラマ『琅琊榜』の穆霓凰の声優さんじゃないですか!? あの凛々しい声で風師!? 私の好きしかない!!!

穆霓凰(女将軍で皇女)を演じている劉涛さん。声担当が邱秋さん。

そして、場面その2は、市井の人たちと謝憐の喧々諤々。小さなエピソードの積み重ねからの、「この人が何を願ったかはこの人の問題だけど、俺たちがどうするかは俺たちの問題だ」って水売りのセリフ。中国の路上で、ナチュラルに誰かがいいそうで、謝憐を怒りつつも笠をくれた人も含めて、状況が目に浮かんでページが滲みました。

中国って、路上とかで困ってウロウロしていると見ず知らずの人が説教しつつ助けてくれたり、喧嘩に巻き込まれたときに通りがかりの人が庇って反論してくれたりって、本当にあるんです。私ですら経験ある。だから、苦労が山ほどあっても、なんか最終的にがんばれるというか。

若い頃の謝憐は「衆生を救いたい」優秀で誠実な人だったけど、身分が高いから、救うはずの「衆生」≒市井の人たちと接する機会ほぼゼロ。だから悪気なく「石にみえる」とか言ってました。だけど、もともと慕情とか三郎みたいに素質のある人をみつけて、自分が助けて輝かせるのが好き。これ、何気に重要ポイントです。

自分の優秀さを示すだけじゃなくて、他人の良さを嫉妬心なく見ることができる謝憐。だから「石」の側になって、苦労を重ねた末に、偶然名前も知らない人たちの良心に触れたとき、ちゃんとそれを受け取ることができた気がします。たとえ自分が損しても、誰かのいいところを見て、つながることができる謝憐。

謝憐と三郎の出会いが運命的で、その後の二人が何度も出会いを重ねていくエピソードは織物のようで、本当にせつなくて胸が熱くなるのだけど、それでも三郎の活躍だけで800年後の謝憐ができていないところ、私がこの作品を好きな理由です。

そして、主人公二人の気持ちが通じ合ったところで、またきつい過去編という流れ。だからこそ、畳み掛けるようにせつない二人のすれ違う会話。三郎の愛する「彼(ta)」を守りたいという言葉の意味が、「彼女(ta)」と発音なので謝憐に届かない状況は3巻と同じですが、リアルな二人の会話のもどかしさに比べて、過去編のここは三郎が小さな鬼魂。切なさ5倍って感じでしょうか。

追い打ちを書けるような若邪誕生経緯。そうでした、中国の宮廷モノだと大体、「白綾」が出てくる場面ってそれでした。全く忘れて「若邪かわいい」なんて能天気なこといってた分、ショックが大きかったです。謝憐、全部背負っていくって意味なのでしょうが、自虐にもほどがあります。若邪が「例外」ってそういう意味でしたか。

法器といえば。かつて、謝憐が君吾にもらって質に入れ、それを風信が再入手してもっていた宝剣「紅鏡」。三郎の正体は暴けなかったですが、ここにきて、すごいタイミングでラスボスの正体を暴くって、伏線回収のカタルシスがすごいです。でも、物語の展開としてはめでたし、めでたしみたいな流れからの暗転、さらに暗転。

ダメ押しみたいに、元神官の引玉を再登場させて、気持ちの揺れをじっくり書く作者は鬼のようです。天界の選りすぐりの武神が集まっても、倒せない三界の第一武神。自分以外の神官は全て敵か手駒で、使えない者は虫けらのように踏み潰して使う。読んでいて、ざわざわしかありません。

巻末。謝憐の「神はいない」の一言のインパクトたるや。神官は、道教でいう万物の主催者「天」じゃないという意味なのか。人はどこまでいっても人、という意味なのか。ラストの6巻が楽しみだけど、本開くのにも気力がいります。

少し、おまけ。
石窟で三郎が見せたくなかった絵って、なんでわざわざ絵に書いたのか、小説を読んでいるときは、今ひとつピンときませんでした。石像なら兵馬俑的なものを想像できますが、絵はなんで???って感じで。その後、『中国古代の24時間』を読んでいたら、偶然見つけた遺跡の絵の話。なるほど、そういうことだったんですね。

そして、どうでもいいおまけ。
慕情が謝憐や風信と袂を分かったときに出てきた、「共に豊かになれるけれど、共に貧しくなることはできない」的な表現。『破氷行動』でも出てきました。こちらは麻薬製造に関わる悪役側が追い詰められて、仲間割れしそうになったときのセリフ。ドラマでも日常でもよく使われる慣用句みたいですが、現実で使う状況にはなりたくないですね。







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