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「シャッター街」は近い未来の産業資源

向かいの寿司屋が、いつの間にかあの牛丼チェーンに!

いつの間にか、家の近くにあった商店街がシャッター街になり、豆腐屋や蕎麦屋、うどん屋、中華食堂、コインランドリーが静かに町内から姿を消した。実際のところ、私たちはこの変化の理由も結果も分かっていたはずだが、ついついチマチマした便利さと、何となくの小ぎれいさに負けて、大型の商業施設を受け入れてしまったということなるんだろう。しかしこの手のものは、景気が回っているときは問題が目立たないが、景気の基本が崩れてくると、消費者の都合などお構いなしに無責任に姿を消したりするものだ。
その点、コミュニティが作り出した町内の店舗や商店街は、地域のネットワークが竹の根のようにつながっているので、実はかなり柔軟性と融通性がある。だから景気が少々悪くなっても、ある程度は持ちこたえることができるのだ。最近はそうとも言えないという現象が目立つが、これはすでにコミュニティが崩壊してしまっているからだと思う。

「無責任自由経済」の日本

そこで、それを批判しても、経済学者の意見を聞いても、それが解決できる可能性は驚くほど小さいので、私たち自身が影響を与えられそうな範囲で、生活を自衛できる方法を考えるのも大切かと思う。こうした場合、公共的な性格をもった施設の再活性化というのが一番近道かと思う。この際、重要なことは、その価値が過小評価されているもので、多少壊れていても、少し修繕すれば元にように使えるものを再利用することだと思う。その一つを挙げろ言うことなら私はまずシャッター街を挙げたいと思う。
シャッター街というが、もともとは住民が通勤、通学のための駅に向かうための導線上などにあって、本来ならば商業上でも知名度が高く、最も有利な場所にある。しかもいまもそのまま存在しているのに、シャッターを下ろして死んだようになっているだけだ。

商店街、地域産業の切り札になれ!

商店街の各店は、総じて似たような大きさなので、店はそのままで中身を入れ替えれば自由に組み換えもできる。最近ユーチューブで見たが、商店街の中の数店分の仕切りを取っ払って、フードコートのように使用しているところもある。確かに商店街で、休んで食べるスペースが確保できると、商店街の可能性が大きく広がるはずだ。きれいで大きなトイレを作るのも同様に、商店街の可能性を大きく広げることになるかと思う。また、商店街の中のいくつかの商店を改装して、商店街自体がホテルであって、客室は商店会中に点在しているという例もユーチューブで紹介されていた。これが事業的に成功するかどうかは分からないが、スタイルとしてはそれも有りかと思わせた。私の言っているのは可能性の問題で、たくさんの商店が集まって連合を組めば、一つの商店街で大きな企業並みの展開も考えられる。制度的にもいろいろ検討すべきことはあると思うし、行政支援の在り方も考えなくてはならないが、私から言えば「シャッター街」という存在は、先行き不透明な私たちの町に残された「巨大な産業資源」だと思うのだ。


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