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「緑道」という現代の迷路

大都市の裏を密かに走る「蛇崩川緑道」

私はかつて、世田谷の弦巻というところに住んでいた。もともと関西から急に引っ越したということもあって、住むまでこの地のことは全く知らなかった。弦巻に住んでしばらく経ったころ、どこに行くかを決めずに家の周辺を散歩した。すると、公園から接続したところに、周りを小さな樹木に包まれた路地のような通路が開いていた。
不思議な通路なので、好奇心に駆られてどんどん進んでいくと、その道はどこまでも続いている。さらに進んでいくと都市の歩道に出た。路地と歩道の分岐点には小さな表示版があって、そこには「蛇崩川緑道」と書かれていた。簡単な説明によると、この緑道があった場所には「蛇崩川」という小さな川あったという。この川は曲がりくねっているので、川の氾濫とまでは言わないが小さな出水が度々あったようで、この川を埋めて緑道という憩いの小道をあつらえたといったようなことが書かれていたように思う。

緑道は、都市の大きな道路を横切り、しかし「蛇崩川緑道」は尽きることなくどんどん進んでいく。私も散歩の延長上と考えていて、蛇崩川緑道の全体を歩いたことはなく、散歩の都度に少しづつその距離を伸ばしていった。そして私が知っている緑道は、弦巻の緑道の入口から、さらに蛇崩川の上流だった部分にもつながっていた。そして蛇崩川の下流部分では、玉川通りに面したところに世田谷の大きな郵便局があって、その辺りまではよく散歩のルートとしていた。もちろん、「蛇崩川緑道」がそこで終わっているのではなく、そのまま玉川通りを超えて、ずっと蛇崩川の下流だった方向に向かって続いているようだった。

大都市に息づく小さな自然の感触

緑道は、それは私の想像だが、昔は小さな蛇崩川の流れに沿って川の両側に住宅地があって、蛇崩川を背にして、つまり蛇崩川は家の裏側を流れていたのではないかと思う。そして川から緑道に変わってからは、緑道の周辺にそれぞれの家が植えたのだと思うが、様々に植栽があって、住宅の裏通りとして、あるいは植栽のある地域全体の公園として利用されていたのだろう。しかし、外からこの地にやってきた私たちにしてみれば、この緑道は周囲の住宅にとってはずいぶん贅沢な裏庭であり、また静かで緑にあふれた自然の道だと思う。
多分、ぐうぜんこの「蛇崩川緑道」に紛れ込んだ人にとっては、東京という大都市の裏側を密かに縫って走る「迷路」と言える。この緑道は、地域と東京の多様な需要に対応して作られたものだと思うが、外から来たものすれば、この緑道があることは大きな幸運だと思う。

いつか、私たち夫婦がこの「蛇崩川緑道」を散歩していたところ、真っ白なポニー種の馬を散歩させている恰幅の良い人と遭遇した。この場面の不思議な情景と、大都市で馬に会った嬉しさで、私たちはしばらくの間、馬を散歩させている人と話し込んだ記憶がある。その後私たち夫婦は、京都に引っ越しすでに相当な時間が経つので、今はこの緑道がどうなっているのかも知らないが、この大都市の迷路は、このままいつまでも残してほしいと思うのだ。

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