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パッケージが客を馬鹿にし過ぎてないか

日本のパッケージは、消費者の方を向いているか?

最近の商品パッケージはよくできている。お菓子でも何でも個分けで、しばらく置いておいても湿気ることはないし、食べきらないでもおいておける。ところが外袋を開封しようと思っても、簡単に開封できない。しかもパッケージの原料となるプラスチックの性質もあって、必ず一方向に裂けるので、メーカーの思惑通りに開封したら一気に全部食べきるしかない。それだけではない、プラスチックの多様な性質を利用して、商品を密封したように緊密にパッケージしてあるのだけれど、これを開封するのが大変だ。圧着か密着か知らないが、これでもかこれでもかというように、何十にも重ねてあるパッケージで、剝がすのが大変なのだ。私は男だが家事の最前線に立つ立場としては、メーカー側で、一度でも開封のテストをしたことがあるのかと聞きたくなるような、開けにくく、開封できないパッケージが多すぎる。

それは、パッケージだけの問題ではなく、メーカーとしてのモラルの荒廃だと思うのだ。こういう商品は、とは言わないけれど、すべてのメーカーの社長は、一度消費者になったつもりで、自分で最寄りの店で自社の商品を購入し、例えばラーメンなら自分でパッケージを開封し、パッケージに書いてある説明通りに準備、調理して食べてほしい。きっと自社の商品がどれほど消費者を馬鹿にした傲慢な商品であるかを知ることになると思うのだ。
そこで、「お客様は神様!」でスタートしたメーカーのマーケティングが、どこでどう道を間違えてこうなったのか、しっかりと認識して欲しと日夜思うのだ。

オシャレなだけではなく、消費者の心を満たすパッケージの時代

しかし日本の会社は、こまめに対応するのが十八番なので、その特質が失われようとしていることは日本の経済にとっても深刻な問題だと思う。おそらく経営者や幹部は、そんなことが販売に関係しているとは全く認識しておらず、ただ、製造上の利便性や経済性、コストカットの視点からパッケージの形状や材料を採用し、消費者のつかいやすさに配慮したものはそれほど多くはない。

私はかつて1990年の後半に、世界規模のパッケージの協会の仕事にかかわったことがある。その当時のこの組織の第一の課題は、アジア地域のパッケージの改善、改良を通してアジア企業の成長をバックアップしようとしたものだった。当時は日本の大きな印刷会社のパッケージ専門の関連企業がリーダーとなって、パッケージの「リターナブル」をテーマとしてアジアのパッケージ文化の発展を目指していた。 誤解のないように言っておくが、日本のパッケージ技術が世界の先頭にあることは今もその通りだと思う。しかし、今日のビジネスの課題は技術の問題ではなく、消費者に向き合うメーカーのモラルの問題だと思う。昔から「エレベータ、昇り下りのすれ違い」という言葉があるように、立場の上下が一気に逆転するのはビジネスの日常だと思う。日本経済の凋落は、意外にも消費者に対するモラルの低下がその根底にあると思うのだ。


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