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あの頃のオーケストラの全国ツアー

マネージャー時代のおかしな思い出

私はクラシック音楽のマネージャーを12年くらいやっていた。12年経ったころに急にマネージャーを辞めたということではなく、そのころ日本中に博覧会ブームが到来した。しばらくの間は、音楽とイベントの業際でいろんな仕事を兼業していたが、やがて博覧会関連のプランや運営の方の仕事が圧倒的に多くなって、いつの間にか博覧会屋になってしまっていた。
しかしイベントの仕事は、やはりデスクワークが多く、時に毎日各地を巡業していたオーケストラの全国ツアーのツアーマネージメントの仕事が懐かしくなる。

ツアーの日々も、小さなトラブルがしばしば発生するが、だいたいは同じことの繰り返しで、単調といえば単調だった。しかしオーケストラとしての一種のファミリー意識があって、私はその不思議な連帯感が好きだった。ある時このオーケストラに、チェコのチェロ奏者が入ってきた。日本が属している欧米系の国々と、ロシアを中心とする東欧系の国々は東西冷戦のさなか激しい対立関係にあった。政治、軍事は言うまでもなく、経済や文化の世界でも激しい対立関係にあった。そういう状況なので、東欧のチェコの演奏者が日本のオーケストラに入るというのはめったにないことだった。なぜそういうことが可能だったかというと、東西の冷戦は一貫して同じテンションだったわけでもなく、短期間の雪解け的な緩和時期が何度もあった。そうしたタイミングで、東欧の演奏家が欧米の演奏団体に入ることはあり得たのだ。

言葉による対話のない一年間だった

オーケストラのマネージメントを委託されていた私は、オーケストラの意向に応えて、日本のオーケストラに入ってきたチェコ人のチェリストと一年以上にわたって付き合うことになった。彼の名前は、と思い出そうとするのだが、それから長い時間が経った今では、もはや彼の名前を思い出せない。さて、彼が日本のオーケストラに入団しても、大リーグのロスアンジェルス・ドジャーズに大谷翔平が加入したのとでは、話の桁が五桁ほども違うので、もちろん通訳が付けられるということはなかった。それでは誰が彼とのコミュニケーションを担当したかというと、それは不運な私そのものだった。といっても私はチェコ語は言うまでもなく英語もつたなく、はっきりというとまったく言葉が通じない形で、チェコの演奏家がオーケストラに入団したのだ。私の言語能力が低いだけではなく、チェコ人の演奏家の英語能力もとてつもなく低かった。彼が話す言葉は「ヴンデバー」という一言だけで、おそらく経験的に「すばらしい」といった言葉だと勝手に認識していた。こうした集団では、お互いの会話も野球のサインのようなもので、会話が単純な場合についてはOK、OKと実に簡単なものだった。しかし何らかのトラブルが発生し、それを解決するために複雑な事情を説明しなければならないときはまさに地獄の苦しみだった。

例えばどのような状況だったかというと、ツアー中のある時、ツアーの行程を台風が直撃する可能性が出てきた。オーケストラともなると、コンサートが中止になると経済的に大きなダメージになるので、目的地の周辺から台風がいなくなるまで大きく迂回して待機する戦略を立てた。つまり、飛行機が着陸できるまで、飛行場の上空で待機するようものだ。偶然、明日の一日は休養日にとっておいたので、これがうまくいくと経済的なロスもなくコンサートが確実に開催できると考えたのだった。日本人のメンバーには紙一枚で説明できるが、チェコ人とは全く言語的なコミュニケーションが取れないので、私の身振りと私の描く漫画ともイラストともつかない絵柄によって伝えなくてはならなかった。ただし彼は無益に頑固というか、とにかく何事でも変化を好まない性格だった。私はまず紙に日本列島を描き、そこに台風がやってくる絵を描いた。これは分かってくれた。次にその絵に列車を書き加え、その列車に大きなバッテンを付けた。これも何とか分かってもらえたようだった。しかし次が問題だった。次に伝えたいことは、この列車に乗れなくなったので、列車をA列車からB列車にチェンジする必要がある、そして列車のチケットも新しいものにチェンジしなければならないと、絵で説明したつもりだった。

チェコ人はくじけない!

ところがチェコ人は、それを納得しなかった。互いに言葉は使えなかったので、彼が言っていることも分からない。想像でしかないのだが、彼はこう言いたかったのだと思った。切符を変更する必要はない、前の切符にマーカーで変更事項を書き添えれば問題ないと。社会主義的な解決法かどうかは知らないが、彼はひたすら頑固だった。彼は今持っている切符の必要部分をマーカーで変更すればそれで足ると確信していて、どうしてもポケットのチケットを出そうとしない。切符を交換しなければ、乗り換えもできないのだが、彼の世界観では全く心配の必要はなさそうだった。解決する可能性のないジェスチャーで会話を続けていたが、乗り換えるべき列車の出発時間は迫ってきていた。

150人近くのオーケストラのメンバーが列車に乗っていて混乱している中、メンバーの切符を取り上げて、新しい切符を配るだけでずいぶん時間もかかる。パニックに陥りそうになっている私は、半ば円満解決を断念してチェコ人の切符をポケットの中から取り上げて、そのチケットに私がボールペンで勝手に文字を書き添えた。「この人は言葉が通じません。必要事項はこの切符に記入しておきます。どうか対応よろしくお願いします」と。そしてその切符を次に乗る列車の車掌に渡しておいた。私もどうなるかは分からなかったが、列車が出発してみるとチェコ人もちゃんと車内に座っていた。彼は私の顔を見ると、満面に笑みをたたえて「ヴンデバー」と上機嫌だった。




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