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30年前の海南島

成功が約束されていた海南島が抱える不吉な未来

それすらも明確ではないが、記憶のキャパシティの限界ギリギリを探れば、それは30年くらい前のことではないかと思う。どこにでも顔を出す国際的な巨大な財団が、中国の海南島に「エコツーリズム」の課題を探る調査団を派遣することになった。団長は都市交通の専門家である大学の教授で、私が副団長として随行することになった。なぜ私が副団長かといえば、私は音楽プロモーターであり、音楽マネージャーであり、博覧会のプランナーであり、古典的な興行師の系譜にもあったからだ。たぶん芸能、レジャー、カルチャーなどの業際で仕事をしてきたので、観光開発がテーマの調査なら、何でも屋としては使い勝手が良かったのだと思う。さて一方海南島だが、この場所は元広東省で、のちに海南省として独自の省となった地域だ。ベトナムに隣接した島で、ハワイ群島とほぼ同じ緯度にあるので、政府は中国のハワイとして世界にアピールしようと画策している最中だった。私が訪問した頃は、島の北側にある海口(ハイコウ)が省の中心地だったが、その後南部での観光産業の発展に伴い、南シナ海の方をにらんだ三亜(サンア)が発展を遂げるようになったと聞いていた。当時は観光開発の実験場として、動物園、ミニ紫禁城、ショッピング・センターが作られつつあって、島の端にある集落の小さな売店にも、必ず「マールボロ」の煙草が小さなショーケースに収まっていたほど、観光産業が住民の目標となりうつあった。

島内のトラムの開発が調査団の第一の課題

あまり健全な話ではないが、歓楽ビジネスもこれが社会主義国家かと思わせるほど盛況だった。しかし現在では、南シナ海でのベトナム、フィリピンなど周辺国との摩擦が国際社会で深刻な課題になっている。私が30年前にこの島に来た頃は、まだ島の在り様も白紙の状態だった。中国も領海問題よりも中国のハワイになることに熱心で、政治的にも穏健な時代だったと思う。海南島の具体的な課題の一つは、海南島内の交通システムの確立で、私たち調査団の中にも北海道への新幹線の延伸に伴い、とりあえずはお役御免になった青函連絡船をうまく売り込もうとするグループもいた。

ただその当時の海南島は、確かにエコツーリズムを展開するのに都合の良いところで、中国と周辺国家との関係が円満であれば、そうした展開もあるものと私は楽観的に考えていた。しかし周知の通り、中国の近隣国との関係は必ずしも円滑ではなく、海南島には南シナ海関連の国々との様々な課題が生じている。私が海南島を訪れてからまだ30年くらいにしかならないが、この短い間にエコツーリズムという新しいコンセプトが生まれてから、とん挫するまでのプロセスを一気に繰り返すようなやり方は避けなければならない。中国としては、資本も技術も、場合によっては観光客にも来て欲しいのかも知れない。しかし一方で、相手国との緊張感を高めていけば、いずれお金も技術も、人さえも中国に行かなくなるのではないかという不安がある。それは他者に対する付き合いの不注意さが原因かもしれない。なんでもそうだが、あれだけ格言や金言にあふれた国でありながら、あの行動のタイミングの悪さはどこから来るのかといつも不思議に思うのだ。


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