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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読んで、生活に読書を取り戻す方法を考える

復職してから本を全然読めなくなった。

連休で時間ができたので、久々に本を読めた。読んだ本は上記の記事でも取り上げている『働いているとなぜ本を読めなくなるのか』である。

私は本が読めなくなった理由を「体力が足りないから」と考えていたが、本書は別の理由を提言する。キーワードは「ノイズ」である。ここで言う「ノイズ」は「歴史や他作品の文脈・想定していない展開」を指す。本というものは大抵の場合、過去の古典や他の本の内容を下敷きにして書かれている。何か目的を持って本を読む場合、目的以外の情報を得ることになる。それが読む前は予想もしていなかった内容であることだってある。

労働に勤しんでいると、この「ノイズ」が邪魔に感じてしまう。労働する上では、労働に有益な情報だけを取り入れれば良い。労働と読書はこの点で相容れないものである、と主張する。

いくつもの活動を同時並行で進めていくのはすごく難しい。一つの物事に全身全霊で取り組む方が遥かに楽である。社会人はどうしてもその対象が仕事になってしまう。仕事に全身全霊で取り組むと、ノイズをもたらす読書から離れてしまう、というわけだ。

復職してからは就労制限により、労働時間は以前より減っている状況である。それでも、意識の大部分は労働に向けられていたのかもしれない。4月は帰宅してから寝るまでに時間はあったハズだ。それでも、読書ではなくYouTubeをダラダラ眺める方に流れてしまったのは、読書に意識を向ける余裕が無かったということだ。

会社は従業員に対して全身全霊のコミットを求めてくる。私は労働に人生を捧げるのはゴメンだと思っている。それでも、会社からのコミットさせようとする圧力に抗えていないのだろう。労働とその他活動を両立するために、身体的体力だって必要だろうが、意識や姿勢という精神的側面も結構重要なのかもしれない。「私は労働にコミットしないぞ」という態度を押し出して抗うのだ。

と言ったものの、精神論に頼るのは上手くいかないことが多い。目的達成のために必要な行動・仕組みを考える方が近道である。じゃあ具体的にどうするべきか?今のところ、体力をつけるぐらいしか思いつかない。結局、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読む前に考えていたことに帰着してしまった。最近サボり気味のランニングを再開して、働きながら生活に読書を取り戻す術を考えることにしよう。

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