セルフカバーでお姿を見せてくれた中森明菜さん、そしてジャズアレンジ
あの明菜ちゃん(年上さんだけど、あえて「ちゃん」づけて呼ばせてほしい)がついに動き出していた! 2024年4月の初旬から、YouTube上に毎週セルフカバーをあげておられるという。
これまで明菜ちゃんのオフィシャルYouTubeチャンネルに上がっているのは、以上の曲(2024年4月28日現在)。
いまはトワイライト 人生の〝夕暮れ近く〟
悲しいかな、どんなに虚勢を張ってみても人は歳を重ねていく。何より私自身が、このテーマでいままさに絶賛葛藤中。
人間の一生を時刻で表す、人生時間というアイデアがある。
このサイト(人生の時計:https://deck.jp/lifeclock/)では、ご自身の生年月日と性別を入力すれば現在の人生の時刻を教えてくれる。私の場合にはこんな結果が出た。
私も、そして明菜ちゃんもパラレルに齢を重ねてきたんだなあ。
ジャズ (JAZZ)についての雑感
80年代の日本の商業音楽というのは、とても華やかな音づくりが施されていた。厚いストリングスやブラスパート、シーケンサーで精緻に作り込まれたリズムパート等々で彩られ、ちょっと口悪くいえば厚化粧気味の音。アイドル向けの歌謡曲はまさに音のトッピングで溢れかえっていた。
ところで、ジャズというのは人生の夕暮れどきにはとてもしっくりくる音楽だ。
独白すると、ジャズもさすがにビル・エヴァンスぐらいの領域まで行ってしまうと、正直難解すぎて楽しみどころがわからなくなってしまうんだけどね。
音楽文化は廃れてなんかいない
(アーティストさんが儲けることが難しくなっただけ)
日本の大衆音楽。かつては作り手が商業音楽のプロばかりだった。
そこへボカロ(ボーカロイド—その代表が初音ミク)を引っ提げてアマチュアが大挙して入り込んできた。アマチュアであるぶん、かつてなら「一般ウケしない」などと難癖つけられて入れてもらえなかったサヴァン的才能の持ち主が、堂々とカリスマになれるようになった。
素質でいえば、平成から令和のアーティストたちはむしろ進化しているのかもしれない。音楽にどうも余白がない…というのは、私のようなたそがれたおじさんの一意見にすぎない。私の場合、半分以上は若さや才能への妬みだ。
私だって、親世代の演歌をディスっていた世代。
「いまどきの若いやつは…」系の愚痴は、それこそ古代エジプトの壁画にも書き付けられていたというではないか。
もろもろの事情で、かつて日本お得意だったはずのジャンルがすっかり〝食えないもの〟になってしまったことが不憫でならない。
世界に誇るカルチャーを壊したのは政治家であり経済システムではないのかと。
あるアーティストさんの「サブスクというシステムを考えた人は地獄に堕ちてほしいと思っている」発言が物議を醸し出したけど、私から言わせていただくなら、それを発言することの何が悪いのかと。サブスクでダメージ受けて、しかもインボイス制度。食えないだろうな。この文化をここまで修羅場にしておきながら…ねえ。
ジャズの生楽器たちが、いまの私との相性がいい
10歳代、20歳代のころの明菜ちゃんがいまだに好きだ。
音楽も声も容姿もキャラも…もう何もかもが。私の青春そのものだから。
でも、もうキラキラした曲調・アレンジの音楽を新たに摂取することは、
ちょっといまの私には難しくなってきたかもしれない。
ジャズのいいところは、シンセサイザーのような青天井の音色でなく、トランペット・サックス・ピアノ・ウッドベース・ドラムといった最小限の楽器で聴かせるところなのかもしれない。
若い人たちならばあるいは、こうしたことを制約と受け止めるかもしれない。でも、制約というものは不自由ばかりを意味するわけではない。たとえば、ピアノやアコギの弾き語りというジャンルはいまだ健在だ。
あとはリズムセクションを担う音、それから管楽器の音色はどこかボーカルに近い哀愁をもたらせてくれる。そこへ低音の魅力、ウッドべースが静かに寄り添う。
ジャズの楽器群はまさに必要十分な音楽環境ってふうだと思う。
ひとつの着地点・完成形として、すごくよく考えられている。
明菜ちゃんの話をしていたはずなのに…ごめん
アイドル時代の明菜ちゃんの映像をYouTube上で漁りまくることは、現在なお私の趣味のひとつではある。ノスタルジーを探し求めてるふうだ。
明菜ちゃんのデビュー当時のキャッチコピーは「ちょっとエッチなミルキーっ娘」 … モノを売るための戦略とわかってても、昭和50年代の背広組が禿頭を机の上に集めて話し合って決めたかのような滑稽さがプンプンする。
昭和ってほんとうに変な時代だったんだな。
そんなコピーなんてなくたって、明菜ちゃんは十分に可愛かった。ツッパリ路線という戦略なんてなくても、あの伸びやかな歌声や笑顔には十分に説得力があった。
アイドル時代のグラビアで、明菜ちゃんが「永ちゃん(矢沢永吉さん)大好き!」ってふうに表紙を飾ってたのをみたことがある。当時の私の趣向はあまりヤザワの方角を向いていなかったので、趣味があわなくてちょっと悲しかった。
う〜ん … 明菜ちゃんご自身が一番歌いたかった音楽って何なんだろうね?
久しぶりに一度だけ姿を見せた紅白(2014年)で、明菜ちゃんが歌ったのはたしか浅倉大介さん(シンセサイザーを引き下げ「小室哲哉の弟分」的な売り方をされていたアーティストさん)が書かれた曲だった。
でもこれ本当に明菜ちゃんが歌いたい曲なのかな?…ってふうに感じてしまった。
カヴァー然り。「ダンスはうまく踊れない」「傘がない」「異邦人」… 実はカヴァー曲ばかりのアルバムを何曲か出しておられる。でも…これら本当に明菜ちゃんが歌いたかった曲なのだろうか? うがった見方かもしれないのだけど、徳永英明さんが他のアーティストのカヴァーで売れていた時期なので、プロデューサーの意向だったのかもしれない。もちろん、実際のところはわからない。
今回のYouTubeを見て思ったのは — ようやく「明菜ちゃんが歌いたいって思っている曲」を「明菜ちゃんが見せたいって思っている形で」歌っている姿を世に出せたんじゃないかなって。勝手にだけど、そう感じている。
映像でときどき見せる笑顔。
そう、それが見たかったんよ。ファンはみな同じ思いだろう。
来週の水曜日にリリースされる、ご本人のカヴァーは果たしてどの曲になるのだろうね。もうプロデューサーの意向なんかに振り回されて「少女A」になりきる必要なんてない。オトナたちに振り回されすぎた初期の曲って、明菜ちゃん的には気がふさぐかもしれない。ひたすら、お元気で機嫌良く歌う明菜ちゃんがみたい。
個人的には、ものすごくカラッとした「Dear Friend」(24作目 伊東真由美/和泉一弥)という曲があるんだけど…いまのボーカルでそれ聴いてみたいなって気がしている。リクエストみたいなものですが … いや、明菜ちゃんがご機嫌になって歌ってくださる曲であれば、ほんとなんでもいいんです ^^ 。
ほんと今回も長ーい文章になりました。
お付き合いくださってありがとうございました。それでは、また。
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