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タレントさんは昭和のころからすでに存在がコンテンツだった

初出原稿を一時的に差し替えています。内容的にはほぼ変わっていませんので、もし気に入っていただければ♡してくださるとうれしいです。
後日、元の原稿に戻すつもりでいます。ご了承ください (24/05/02)

もう10年ぐらい前のことではないかな。
名古屋へ向かう近鉄特急の中で、タレントの北野誠さんをお見かけしたことがある。向かっておられたのはきっと、名古屋レギュラーのラジオ番組のための前泊先だったのかな?

夜の空いた21時台の電車だった。誠さんは隣席のマネージャーさん?と終点までずっと喋りっぱなしだった。芸能人さんってふだんは寡黙なんだろうな…と勝手にそう思ってたけど、誠さんはラジオの番組と同じぐらいの熱量でひたすらしゃべり続けていらした。

実は学生時代、北野さんがまだMAKOTOと名乗っておられたころの深夜ラジオを愛聴していた。原田伸郎さんと大阪でやっていたヤングタウンという番組が好きだったなあ。こういう場面で話しかけることのできる度胸なんてなかったから、私は誠さんたちとは通路をはさんだ反対側の座席で本を読んでいた。いちばん端(デッキ側)の席だったけど、この車両には誠さんとマネージャーさんと私の3人しかいなかったと記憶している。

お声がけは遠慮させていただいた。
遠慮ってよりは私が小心者だからなのだけど。

有名人さんが〝呼び捨て〟されることの憂鬱


私のあまり定かではない記憶では、まだ金八先生だったころの武田鉄矢さんがGACKTさんとまったく同じような苦言を呈していたような覚えがあったのだけど。結局ネット検索での〝裏取り〟はできなかった。ことの本質はまったく同じなので、この拙稿上ではGACKTさんにご登場いただこうと思う。

そういやそうだ。子供のころも含めて、友達どうしで話題にしているとき、テレビの向こうにいるタレントさんたちを「さん」づけして呼んではいない。

「ねえねえ、お正月の格付け見た? GACKT見たぁ?」
「うん。GACKTってほんとすごいよね。また連勝だよGACKT」
GACKTってさあ、スタッフが答えを耳打ちしてたりするんかなあ」
「いやネットでGACKTが言ってたけど、収録ごとに
 円形脱毛症になりそうだって言ってたよ、GACKT
「へえ、ガチなんだGACKT
「あ。やばい。GACKT歩いてる」… とまあ見事にこんなふうなんだと思う。

… ほんっっとごめんなさい! GACKTさん(平謝り)。

そりゃあ私人としてただ歩いてるだけなのに、一般人からこんなふうな声が聞こえてきたらムカッとくるのも無理もないと思う。

テレビの向こう側に君臨しているGACKTさんは、GACKTさんという感情をもつひとりの人間ってよりは、GACKT(さん)という名でブランディングされた被写体でありコンテンツでありそして商材なのだと思う。

私人(プライベート)と有名税


こうしたことを有名税って呼ぶ人もいるけれど、私の個人的な考えとしてはちょっと異議あり…かな。

もちろんファンサービスを大事にしているタレントさんであれば、プライベートでの移動中であってもサインに応じたり写真撮影に応じたりするかもしれない。私は芸能人ではないけれど、もしそういう人だったらサービスしてしまうだろうな。

でも、それ断ってしまったっていいんだよね。

最近は線引きをめぐって、お互いがあまりにも優しくなくなってしまっているから、権利の主張とかをめぐって喧嘩になってしまうことが少なくない。

コンテンツとして存在することと
私人として感情的に存在することとの間にある壁


最近のコミュニケーションというのは、ときに「相手が感情をもった人ってふうに見えていないんではないだろうか?」といった状況も少なくない。ネットもリアルも。いや、逆にリアルのほうでそういう態度を取る人に会うことが結構ある。

ネットは … 表情も見えず、声色も感じ取れず、お姿すら拝見できないそのお相手に対しては、リアルかそれ以上に気を使っているつもり。それでも、うっかり失礼を働いてしまう。ストレートにご指摘ください(でもメンタルが豆腐なので、ちょっとだけオブラートに包んでいただければ助かる)。とにかく謝り倒します。対話をしましょう

私がちょっとこだわっている〝謝る〟ってチャンネルをお持ち合わせでない人に遭遇するとすごく悲しい気分になる。

謝らないってよりは、腹を割って話し合う気がない。あるいははぐらかす、開き直るって言ったほうが正確なのか?

ネットで面識もない人に「捨て台詞吐いて逃げる」ってのならわからなくない。
もちろんみっともないけど。
でも最近むしろ、実生活のほうでガチそれをやられることがある。実にしんどい。
いつも顔見てるんだからせめて機嫌良くやろうよって思うのだけど、捨て台詞吐いてこっちの言いぶんもきかずにその場を離れておいて、次の日には謝りもせずに勝手に忘れて普通の顔してる。私だったら気が重くて仕方ないってふうになるんだけどなあ。

昭和の時代から〝営業〟という職種がある。商品を売るためにいろんな人に声をかけては、嫌われたりスルーされたり話すら聞いてもらえない…という中でわずかなチャンスをつかむという過酷なお仕事。私自身も断る機会のほうがずっと多いけど、辛くてもそうして頑張っている方の存在も最大限に尊重したいと思っている。

感情。それはたしかに面倒臭い。だけど…その感情で生きてきて、この先もなお感情と生きていくってのが人間でしょうに。

コンテンツとして(つまり仕事みたいなものとして)自分がそこにいるときだったら呼び捨てで構わないけれど、仕事を離れて生身の人間として自分がそこにいるときにはせめて人としてお付き合いしたい(もしくは適切な距離を置きたい)。

〝無難な人〟なんていない


感情という背景をもって続く、肉体に閉じ込められたひとつの宇宙。
ひとりのの精神世界が太陽系だとすれば、地球上には軽くみて80億を超えるそれぞれの太陽系があるらしい。日本列島のプレート上だけでも1億あまりだ。

かろうじてわかるのは、ネットにせよリアルにせよ、自分の心とそっくりなものをひとりひとりの肉体に秘めた同志たちが懸命に生きておられる(らしい)ということ。リアルのお付き合いなら相手が見える。ネットのお付き合いなら相手は見えない。それは大したことではない。自分が大事にしているものと同じように相手の世界が存在するということ自体が、とんでもなくすごいことなのではないか。

なんかあまりうまく表現できなくて歯痒いっす(ぽりぽり)。

感情は生命体の体調とか気分みたいなものかもしれないけれど、言葉を持っているからそれをシェアしたり兵器にしたり凶器にしたりすることができる。

なんかあまりいいまとめではないけど…いろんな形でお付き合いのある方々を、おせっかいになりすぎない程度に大切にしながら生きていきたい。

これからもよろしくお願いします。
読んでくださってありがとうございました。またね。

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