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「ギャンブルの断捨離」を誓いに神社へ行く

こ、今度こそは…

物心ついたときから半世紀、ほぼ欠かさずに初詣にでかけている神社がある。

父親の信仰は仏教。父親の実家には法事のたびにお坊さんが来る。
神道を信仰しているわけではないのだから、初詣の行きつけが神社というのはなにかおかしい。ただ長年の恒例行事になっているし、たまたま私が風邪をひき初詣を欠かしてしまった年に祖父母を亡くしている。お参りしないと悪いことが起こるという変な刷り込みもあって、コロナ禍前の正月までは毎年通いつづけた。

いまや初詣は家族揃っての恒例行事ではなくなったが、コロナ禍もそれ以後も実は私ひとりで2月とか3月とかに詣でている。去年も行った。
そういえば今年はまだ足を運んでいなかった


ところで多くの神社に神馬像がみられる。

行きつけの神社にも神馬像がいる。父親は必ず手を合わせる。万馬券祈願である。人目もはばからず「大きい目が当たりますように!」と拝むのだけど、不謹慎すぎて笑えない。拝んでいるというよりは、私や母親の表情を窺っておもしろがっている。そんな笑いをとるのはやめてくれ。幼いころからずっとこの有様だ。


団塊世代には楽しめる遊戯なんだろうけど


高度経済成長期というのはいくらでも仕事があり、がむしゃらに働く居場所があっったと思われる。しかし現在はといえば、せっかく雇われて経験値がついたころに「人が余っているから辞めてくれ」と会社から請われてしまうような時代だ。

能力の有無によらず肩書きがつき、定年まぎわまでにそれなりの座に上りつめておればいつまでも会社に残ることができる。こうして父親は、同族経営の中小企業に(同族でもないのに図々しくも)重役という肩書きをぶらさげて60歳後半まで居座った。彼のふところの中身を私はこれっぽちも知らないが、おそらくは当面経済的に困ることはないのだろう。親の財布の中身になんて興味をもたないほうがいいという考えでずっとやってきた。

他方、私のほうは50代半ばにして大ピンチを迎えている。老後のことは老後に聞いてくれ。いまさら人生の逆転劇になんて期待していないから…そんなふう。

世間に言わせればきっと、私のほうがバカ息子ってふうになるのだろう。

父親はいまや競馬こそが生き甲斐とみえる。あとは巨人戦あるいは大谷翔平選手のテレビ観戦。最近の巨人もいまひとつパッとしないみたい(そりゃV9時代と比べちゃいかん)だから、結局は本人にとって一番楽しいのは競馬だと見える。

ギャンブルがあれば当然、賭けの対象となる馬も選手もいる。とりわけ競輪は落車転倒がつきもの。それこそ命懸けで走りながら高収入を得ている。成績が下位に甘んじて、引退勧告に怯えながら日々戦っている選手もいるだろう。
賭けるほうはもとより、賭けられるほうにも生活がある。レーサーという生き方は賭ける側ののほほんとした感じに比べればまさにストイックそのものだろうな。競輪場の観客席でヤジを飛ばしてるクソジジイには、さぞかし腹が立つことだろうと思ってしまう。

なんでこういうのが〝公営〟なんだろう?

ギャンブルとは生活手段ではなく遊戯である


つい一昨日、競輪の遊び方に関する〝渾身の記事〟を書いた。あまりにも珍奇な代物だったのでお蔵入りさせることにした。note上で有料記事の話がしばしば出るものの、有料となるとやはり「有益かつニッチな情報」が好まれるのではないかと考えた結果、有料記事のテーマを(イメージからしておそらく私らしかぬ)競輪の遊び方というふうにしてみた。いや、あまりにも運営さんが「有料記事」をおすすめしておられるので、一度試してみたかっただけなんです。安心してください、売れませんでした(笑)。

競馬はおそらく楽しんでいる人が多い。対して競輪というのはどこか独特で、おそらくは知識を持ち合わせないまま、予想を情報誌に託して漫然と賭けている人が多いのではないかと。実力以外に〝位置どり〟という戦略的要素が勝敗を大きく左右する。ベテラン選手は、体力のある若手選手の真後ろにつけてゴール前で差す戦略をとり、目標にされた若手は負けじと踏ん張る。
ある意味、とてもおもしろい遊戯だ。

ただ、これが遊戯だということを忘れてしまってはマジでえらい目に遭う。

ギャンブルと言って最近もっとも連想されるのは、大谷翔平選手の元通訳であったあの人あの件だろう。まさかあの真面目でコミュニケーション能力にも長けた有能な通訳が、ギャンブル(というかあちらは賭博、つまり非合法だ)にずぶずぶとはまり、果てはビジネスパートナーのお金にまで手をつけるとは誰が想像しただろうか。
これまで競輪のネット投票をやってきた。負けがこむと熱くなってくるから、気がつけば1万円以上溶かしていたなんてこともある。

ギャンブルの的中払戻額と労働で得られる賃金


仕事のある日は稼げるけれど、仕事のない日はどうしようもない。

仕事量が減ってしまい、昨年一年でさえジリ貧だったのに今年はさらに一割減。新たな求職先から内定こそもらったが、仕事が発生するまで待たされている(つい二週間ほど前、先方都合で案件が流れてしまった)。

最近はコンビニで買い物をすると、従来の2割増しで出費がかさむ。
いまどきの遊園地 — ディズニーでは万札1枚では遊べないらしい。
このごろ出先では昼食を抜くことが多い。コンビニに入ったら負けとはわかっている。なのに小腹がすいて(というよりはたぶん口寂しくてだと思う)、つい中途半端なおやつを中途半端な時間に買ってしまったりする。ほんと情けない。

そんな中にあって、競馬・競輪・競艇などの公営ギャンブル。
平気で100円が10000円近く、もしくはそれ以上に化けることが少なくない。

昨日書いてお蔵入りにした記事で、1レースの予想(6点)を載せたが…1→3→2は買っていたが結果は1→2→3だった(払戻金 3,820円)。
これを惜しいといっているうちは、依存癖からは抜け出せない
戦果をむりやり都合いいように解釈するから、次こそはと思ってしまうのだ。

遊戯であるはずのものを、労働のような経済活動と横並びにしてしまっている段階ですでにアウトなのだ。いまの私には参加資格などない。

ギャンブルと株の何がどう違うのか教えてほしい


政府はいまNISA(ニーサ:少額投資非課税制度)というものを勧めている。つまり国民に「株式投資をやるといいよ」と言っているわけだ。以下は金融庁のNISAに関する説明である。年間240万円、保有限度額1,200万円以内というけれど、いまの一般的な現役納税世代には敷居が高い話だと思う

NISA(ニーサ)は、少額からの投資を行う方のために2014年1月にスタートした「少額投資非課税制度」です。
通常、株式や投資信託などの金融商品に投資をした場合、これらを売却して得た利益や受け取った配当に対して約20%の税金がかかります。
一方で、NISA口座で投資した金融商品から得られる利益は非課税になります。ただしNISA口座で投資できる上限金額は決まっています。

https://www.fsa.go.jp/policy/nisa2/know/index.html  より引用

さらにいえば、破綻が懸念されている(マスコミのいうことには)年金株式投資で運用されているという。

ではお尋ねしたい。株式投資に必要なノウハウ(もしくはセンス)と、公営ギャンブルに必要なノウハウ(もしくはセンス)の何がどう違うのか。株だって環流されるお金が企業活動を支える一部になるからと言われても、これまた企業の繁栄もしくは衰退を予想するギャンブルでしかないような気がしてならないのだ。
日本経済が繁栄することを前提にして物を言っている。では日本経済って本当に繁栄したの? いまのこの円安は何?

株なんて要するに、タンスか銀行に入れておくお金を世間に泳がせてくれよという話だろ? 公営ギャンブルで損しても地方自治体はたしかに潤う。
株もまた「金持ちしか参加してはならない遊戯」なのではなかろうか。一時期流行ったデイトレ(短時間の売買を繰り返して利鞘をかすめ取る手法)なんかその最たるもので、最近はAIが参加しているとまでいわれる。まるで棋師がAIと対戦する将棋みたいなものだ…いや、素人だからこんなふうにしか見えないんですけど。どうなんでしょう。

株はまだそれなりにお金を持っていた頃に試したことがある。
父親と共通の話題が持てた分はよかったが、ライブドア事件のあたりで資金を溶かしてやめた。イレギュラーな物事への経験がなかったから、わけもわからず身を守るために損切りを繰り返した。結果的には動じなかった人が利益を得たわけだが、動じなかった人というのは元から潤沢に資金があった人だ。

いまの私に必要なものは労役である


日々たたかっている競輪選手には申し訳ないのだが … 私にはどうやら当分参加する資格なんてなさそうだ。さらにはNISAなんてくそくらえだと思っている。小金持ちをおとしめるだけの囁きだ。株なんて経営者レベルの金持ちしか手を出してはいけないものだと思う。数千万円ぐらいの手持ちがあるならともかく、数百万円の資金でどっしり構えながら運用できるわけがない。どっしり構えるだけの心の余裕がないと、戦果をあげることなどできまい。

さてと…そうと決めたら今年の初詣にでも行ってこよう。
そういうわけで現在は高速バスの車中でこれを書いている。新幹線に乗れたら楽なんだろうけど、いまはとにかく出費を抑えなくてはならない身だ。いい景色だ。

ふう。ここまで有言実行ってふうにしたら、ちゃんと足を洗えるだろうか。

とにかくコロナ禍以後にできた借金を返し切るまでは、帰省時に父親につきあってやる競馬を除いてはギャンブル断ちをしようと思う。酒のほうは順調に「禁酒」を継続している。

生きるのって大変だな。


追記

ほんとうに行ってきました(笑)。

こんな時期はずれだから誰もいないだろうな…と思ったら、御百度参りの方々が10人ぐらい(私のように普通にお参りってふうな方も結構いておどろいた)。今日は日差しがちょっと強くて、気温のほうも歩いてきただけでやや汗ばむぐらいだった。熱中症とか大丈夫だろうか。
というか私も御百度参りすべきだったかもなと、帰途につきながらそう思った。
いや、ギャンブル絶ちに限ったことではない。私生活のいろいろをね ^^; 。

ここまでご一緒してくださった皆様に、いい運気がやってきますように。

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