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『親の弱さを知った日に変わった自分』

反抗期

私は反抗期というものがあった。

親の事が嫌いだったし、この家に生まれたことが不幸だと思ってた時期があった。

今はもちろんそんな事など、思っていない。

私はこの家、家族に生まれてなかったら生きてはいなかっただろう。

私の家は、無口で少し弱気な父、おしゃべりで強気な母、ロボットのような妹、犬のチャオくんと私の五人家族。

仕事一筋の父は私達に興味が無いんだと思っていたし、母は強い人だと思っていた。

不登校の私

私は幼稚園の頃からいじめがない時が無いというくらい馴染めず学校には不登校気味だった。

中学は不登校気味、高校と大学は中退してしまっている。

そして、私は人ができる当たり前の事がまったくできなかった。

毎回人と比べられ期待される事がとても辛かった。

私達の家族は私が自閉症と診断されるまで関係がよくはなかった。

親の弱さを初めて知った日

中学の時の私は、学校でいじめられていた。

だからといって私は人を頼ることはなかった。

友達はもちろん、親にも助けを求めなかった。

そんな私は限界だった。

毎日屍のように静かに壁を眺めていた。

静かだと思えば暴れ出すこともあった。

父と母は、そんな私に言葉をかけることはなかった。

私の前で初めて泣いた父

父は話すことが苦手でなにかあると私の枕元に手紙を残していた。

私はそれを読んではいたが、特になにか父に相談をすることはなかった。

ある日父が私の部屋に来た。

父は私に向かって急に、

「父という存在がいなかった私は、父というものがわからない」

と泣き出した。

私はとても驚いた。

父は小さい頃から自分の父親に会ったことがない。

母親はいるが父親はいなく、父親がどんな存在かをしらない。

私が相談しないのは自分が父親失格だからだと泣き始める父は私の目には小さな子供に見えた。

父は強いんじゃなくて弱いんだなと私はそこで初めて知った。

強いと思ってた母の弱さ

母はとても強い人だ。

それ故に危うい。

母も私と同じく人に頼られる事はあっても人を頼ることはない。

母の弱い姿など想像もできなかった。

私は母に何度も怒られた。

怒られても当たり前の事ができない私に手を上げる事もあった。

父は黙ってそれを見ていた。

私は父に助けを求めて無駄だとわかっていた。

父は弱い存在だから。

母は限界だった。

私をいくら叩いても私は何も変わらない。

どうしようもない私に母は、

「産まなきゃ良かった」

そう言って泣き始めた。

私は初めていろんな感情が湧いてでてきた。

絶望、悲しみ、怒り、喜び、安堵。

いろんな感情が重なり合うあの感情はいまも説明できない。

親に生きる意味を奪われた絶望と悲しみ。

理不尽だと感じる怒り。

もう生きていなくていいんだと感じる喜び。

私に期待をしなくなった安堵。

そして、私は母は強いのではなく必死に弱さを隠している事を知った。

親の弱さを知って変わった自分

私はその日から変わった。

私は親を頼ることをやめた。

悪い意味ではない。

親も弱くすべての私の感情を受け止めることは出来ない。

親が壊れる姿は二度と見たくない。

私は強くならなくてはいけない。

私が家族を支えていかなくてはいけない。

それには、もっと強くならなくてはいけない。

私は精神科に行った

私は昔から、精神科に行った方がいいのではと学校の先生に言われていた。

私は精神科という存在が嫌いで行きたくなかった。

だが、まず自分の弱さと向き合わないといけないと考えた。

精神科でたくさん先生と話した。

自閉症という診断を貰った。

そこから私は自分と向き合うため、自立するためにアルバイトや一人暮らしをした。

結局、体を壊してトラウマも追い迷惑をかけて家に帰ってくる事になる。

それでも、とにかくはやく自立がしたかった。

今もその考えは変わってない。

私はもっと強くなりたいし、自立もしたい。

就職して親に恩返しができるような人間になりたい。

もう親を悲しませたくはない。

産んでよかったとそう思ってもらえるような自慢できるような存在になりたい。

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