ふかくさ

哲学サークルの幹事。Excel事務職。ASD。 哲学道場 https://scra…

ふかくさ

哲学サークルの幹事。Excel事務職。ASD。 哲学道場 https://scrapbox.io/PhDojo/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E9%81%93%E5%A0%B4

マガジン

  • 【マガジン】毎日1000字執筆

    毎日更新。1,000字以上を目安として何か文章を執筆します。論文のような論証あるいは推論の構造が含まれる長い文章を書くための予備的な訓練としていますが、ポエムや屁理屈で終わるものも多いです。

  • 【マガジン】映画の感想

    映画の感想

  • 反復・上達・習慣化

    反復の効用や上達論、習慣化のコツについて。

  • 自閉症(ASD)との付き合い方:あるいは当事者の悪あがき

    自閉症当事者としての体験を主に書き綴った記事です。

  • 雑記・内輪受け

    ふかくさが自分自身の思い出や他の方々と交流した思い出を断片的にであっても記録した記事です。

最近の記事

  • 固定された記事

いずれは論文を執筆したいけれど……

もし他人がこのようなタイトルの記事を書いていたとしたら、私は「今すぐ取りかかればいいじゃないか……」と思ってしまうだろう。もちろん、私は英語の人文系の雑誌に自分が書いた論文を投稿して、それを掲載してもらってそれなりに値打ちを認めてもらって引用してもらいたいと思っているし、そのために必要な準備について「こういう仕方ならあがけるのではないか」と考えている。なお、英語の雑誌とは例えば Oxford の Mind とか Analysis といった雑誌のことを指す。 例えば、このよう

    • 中学校の数学をおさらいする

      相変わらず、中学生向けの数学ドリルをやっている。薄いドリルに半年以上、中断も挟んで取り組んでいる。私は答え合わせの作業が子供の頃から非常に面倒で、それが自分でわずかでもできるだけ進歩している、とでも思いながらやる他はない。 中学数学の科目の中でも幾何は独特である。三角形の合同を証明するときの条件は今でも決まり文句として憶えている。なぜならば、何度もやらされたからである。一方、平行四辺形の条件や操作となるともうあやふやだ。例えば「三組の辺の長さがそれぞれ等しい」「二組の辺の長

      • ■オールタイムベスト映画視聴進捗。2024年5月25日 Time Out誌2019: 90/104本 86.5%達成。 キネ旬洋画1999: 116/131本 88.5%達成。 Varaety誌2022: 98/100本 98.0%達成。

        • 家族のきずな

          私はあまり親と仲がよくない。兄弟や親戚もいるが、どうにも疎遠(そえん)である。ここで、「仲がよくない」とか「疎遠」だとかいうのは、そうではなかった時期があったけれど今はそうなってしまったという意味ではなくて、どうも他の家族や物語に描かれる家族の典型をみているとそうではないらしいという意味でのそれである。 私は文字通りの個人主義的で自己中心的でエゴイスティックな子供だった。言い換えれば、視野が狭かったし、おそらく今でもそれほど広くはないだろう。なぜそうなったのかといえば、「死

        • 固定された記事

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          12本

        記事

          減量の停滞

          若い頃はあまり体重の増減が無かった。しかし数年前からか、だんだん太り始め、+30kgになってしまった。どうにかして減量しなければならなくなった。というのも、血液検査の結果も明らかに不健康なものになったからで、ルックス以前の問題の水準にまで達してしまったからである。 その後、炭水化物を抜く減量によって-20kgするまでは成功した。しかし、そこからあと10kgがなかなか減ってくれない。また、+30kgになる前に会った知り合いには「ひどく太った」と言われてしまうのも心外である。た

          減量の停滞

          暴力と正当化 violence & justification

          何らかの二者間の課題解決に当たって、手段として暴力を使うやり方と全く使わないやり方が考えられる。また、手段が正当化されて妥当だと認められる場合と認められない場合がある。それぞれどのような場合だろうか? 我々はどのような場合に暴力の行使を正当であると認め、どのような場合に認めないのだろうか? またオンライン上で、ネットワークの無効の相手を直接殴りつけることはもちろんできないが、それでも殴りつけたくなって嫌な文字列を再生産してしまうのは一体どうしたわけだろうか? (1)暴力を行

          暴力と正当化 violence & justification

          隠蔽された暴力 hidden violence

          国家共同体には暴力装置が伴う。例えば、主に外向きの暴力装置として軍隊があり、主に内向きに治安維持のための暴力装置として警察がある。これらの暴力装置が執行する暴力に対しては、それが適正な手続きであるかどうか、法的な正統性や政治的な正統性あるかどうかが、たとえ事後的であろうと、あるいは実効性のある罰則があろうとなかろうと議論することができる。そうした議論の中でどうしても正統性 legitimacy を調達できなければ、長期的には内部分裂や外からの攻撃を受けやすくなってしまうし、反

          隠蔽された暴力 hidden violence

          資本装備率 the capital / labor ratio

          労働者(従業員)一人当たりがどれぐらいの資本を装備しているか。これを資本装備率という。資本がどのようなかたちで労働者に「装備」されているかは、例えば、労働者が業務で乗り回すトラック(車両)や労働者の与えられる作業着(消耗品)や研修(費用)などがあり得る。もちろん、ここで従業員一人にトラックを何台も装備させても無意味である。なぜならば、その従業員の身体はひとつしかなく一度に一台しか操業できないからである。だから、各従業員の能力に応じて最もパフォーマンスが出るように、しかし与える

          資本装備率 the capital / labor ratio

          映画の感想 movies in May 2024

          ネタ切れなので5月にみた映画の感想でも並べておきます。 5/1ボヘミアン・ラプソディ インド系イギリス人の大スターの生涯。映画としてはフレディの孤独に焦点を当てるが、映画内の描写としてもフレディは外形的には全く孤独ではない。むしろ多くの人と関わり過ぎたとも解釈できる。メアリーが物語の良い蝶番を果たす。 レディー・プレイヤー1 近未来のゲーム世界において、故人の開発者が隠したリアルに価値をある宝を探す。先輩である開発者の人生の歩みをたどりながら大人に成長する主人公と組織

          映画の感想 movies in May 2024

          行為の正当化課題、あるいは自分自身の行為の意味をわかっているか? making legitimacy

          人間が何らかの行為をおこなうことは、その〝意味〟を知らなくてもできる。例えば誰かを殴り倒せば、それは殴る能力 capability があったことを事後的に証明する。一方、能力はそれを行使することを正当化 justify しない。何が正当な行為であり、何が正当ではないのか、我々は常識に訴えるようなかたちでそれらを了解している。我々だけでなく、動物ですら本番の狩りと遊びまたは練習の狩りとを区別するのと同様であるが、人間であり行為をなす能力もあるのに正当性の有無や是非を区別できない

          行為の正当化課題、あるいは自分自身の行為の意味をわかっているか? making legitimacy

          工場労働の思い出

          新卒で2年あまり働いた会社から逃げ出し、その後2年ほどひきこもっていたが、その間に発達障害の診断を受けるなどした。それから障害者雇用で、地方のもの作り工場で5年ほど働いていた。その思い出からいくつか取り出してみよう。 (1)通路の柱にお声掛けする人社会人になっても相手と目を合わせて「あいさつ」ができない人間だったので、工場の通路に向かってあいさつすることにした。毎朝通るから、だれもいない通路でも大声であいさつを繰り返していた。 (2)ピタゴラスの定理工場ではパイプ(エレク

          工場労働の思い出

          ぼくは数学ができない I can't speak Math language.

          今日は、数学の学習についてのグチを述べる。 中年になってから、数学を学ぶことに何の意味があるのか? それは正直言って、今でもわからない。例えば、私自身なにか人文学の学術的な成果をアウトプットできたらいいな、とか、論文が書けて投稿して引用され注目されるに値するものになったらいいな、とか願望はあるけれども、それに対して私自身が今からおこなう数学の学習が何らかの寄与をするのかどうか、まるで自信がない。なぜならば、もちろん論文を書くという目標をもっと具体化すれば話は違ってくるかもし

          ぼくは数学ができない I can't speak Math language.

          弱ければエラいのか?

          2024年4月には下記のような記事を書いた。内容としては、私は「弱さ」一般が嫌いであること、その理由は「弱さ」は際限ない自己憐憫を生み、最悪の場合には傷の治りを遅くするだけでなく人間を立ち直れなくするほど傷つけ、不健康にするからである。だから、誰もが、もし生き残り生き延びようとするならば、どこかで自分自身の弱さと自分自身とを切り離し、立ち直るのが本人のためにもなると私は信じている。 ところで、いわゆる弱者と呼ばれる属性を持っている人を既得権益かのように攻撃する人がいる。率直

          弱ければエラいのか?

          自分自身にとって楽な説明を与える

          「常識」に関する社会学者ダンカン・ワッツ氏の本(『偶然の科学』)を少々読んだ。 例えば、我々は金銭的な報酬が従業員の作業の量や質に影響を与えることを直観的にも受け入れているのだが、一方で金銭的な報酬を引き上げれば従業員は高品質な仕事をするか、満足度が高くなるだろうとか、反対に引き下げれば仕事の品質は下がり満足度も同じ程度に下がるだろうというのは、他の条件も複雑に絡んでいるため必ずしも正しくないという。学者によっては金銭的なインセンティブは労働の量や質にまったく無関係だという

          自分自身にとって楽な説明を与える

          内面を「尊重」するとは?

          オンラインでは、対人トラブルになることも少なくない。もちろん誰とでもなるというわけではない。例えば、最初からお互いに無関心な場合もあるし、こちらから予防的に敬遠する場合もあれば、敬遠されている場合もきっとあるだろう。表面的な世間話だけして通り過ぎることもお互いあるだろう。 とはいえ、たまに会話の前提が大きく食い違っていたり、次第にズレていく人に出くわす。それがトラブルとなり、私がグチを書いたり対策を考えたりする原因になる。なぜそのように拡大するかというと、食い違いを即座にわ

          内面を「尊重」するとは?

          記憶の中の情緒と情報を再配置する / 学習棄却 unlearning

          我々が何かを考えるときには、情緒によって重み付けあるいは評価がなされている。すなわち、思考(推論)には、情緒が伴走している。情緒を伴うかたちで思考がおこなわれることで、結論を実践に移す動機づけ(欲求)も情緒から自然に形成され、それが我々に行動変容をもたしてくれる。一方、我々は前提によって正当化できない結論を発言したり、その結論に沿った行動をおこすこともある。なぜならば、情緒付きの結論だけが根拠から離れて欲求を動かし、ひいては筋肉を動かすことがあるからだ。 記憶における情緒と

          記憶の中の情緒と情報を再配置する / 学習棄却 unlearning