わたしの本棚|#3 一杯のおみそ汁が日々に与えてくれるもの「一汁一菜でよいという提案」
今回紹介するのは、料理研究家の土井善晴先生が書かれた「一汁一菜でよいという提案」。
一汁一菜のスタイルを提案するとともに、日本の食文化の変遷や家庭料理の役割、食の大切さについて説かれています。
本との出会い
ずっと読みたいと思っていた本書。私がこの本に出合えたのは、家族で愛媛県の内子町へ旅行に行ったときでした。
町の小さなお店が立ち並ぶ中で、可愛いと思って入ったお店が古本屋さんだったんですね。そこで土井先生のこの本を見つけて、「読みたかったやつだ!!」とすぐに購入しました(笑)
家に帰り、早速読みましたが、どんどん言葉に惹かれてあっという間に読み終えてしまいました。
おみそ汁とごはんがあれば
私は、「どの和・洋・中華、どのジャンルの料理が好き?」と聞かれると、今なら迷わず「和食です。」と答えます。
洋食も中華もそれぞれに大好きですが、日本食を食べたときの安心感や、体に染み渡るような出汁の味が大好きだからです。
本書の中でも書かれていますが、毎日飽きずに食べられる食事というのは、やはり白ごはんやおみそ汁のようなものだと思っています。
それは、日々同じようで、どこか違う変化を取り入れることができる食事でもあります。
たとえば、「あれ、今日のお味噌の味は少し違うな。」とか、「秋だからさつまいもを入れよう。」といった具合に、淡々と同じような調理法でも、味の変化や季節の変化を感じられるものだと思うんです。
わたしは、昔から築かれてきた日本の家庭料理文化が本当にすごいと思うんですよね…。
日本の家庭料理を食べるときは、体がじんわりと受け入れてくれているような感覚になるし、自分を大切にしている気持ちになれるんです。
著書の中では、そういった食事のスタイルを通して日本人が大切にしてきた感性や感覚まで言語化されており、「この抽象的な感覚をことばにされている先生、すごいな…。」と本当に尊敬します。
枠に縛られない柔らかさ
わたしがこの本を読んで特に感じた印象は、先生の「枠にしばられない」という感覚でした。
通常なら、おみそ汁を一杯つくるだけでも、具材を切ったりまな板を使ったり、出汁をとったり…といくつもの工程を行います。しかし、そうしたことが大変なら、調理ばさみで切ってしまったり、出汁も簡易的な粉末を使ったりと、自分を少しでも楽にさせてあげる方法を選べばいいんだなと思いました。
それに気づけたのは、やはり、「自分のために、料理を作っている。食べさせてあげている」という根本の意識が大切だと思ったからです。
ラジオやテレビで拝見する先生の料理では、「疲れてたら無理せんでええやないですか。」とか、「それでええんですよ。」とよく言われているのが印象に残っています(笑)
でもきっとこれって、調理をはじめとして、何か出来ていない自分を甘やかして肯定しているばかり、では無いと思ったんですね。
日々の忙しい生活なかで、洗濯や洗い物、食事、勉強、仕事など、私はどこか「色んなことをひとりでやりきらないといけない」と詰まってしまうことがあります。先生のそうした姿勢は、そんな追い込んだ気持ちを少し開放してあげる、そんな言葉のような気もします。
食が自分を大切にすることにつながる
私は、母に小さいころまな板と子供包丁を買ってもらい、台所に立つという経験をさせてもらっていました。
実家ではおみそを作ったり、たくさんの野菜を育てたりしています。
大学進学にあたり一人暮らしをするようになり、実家の味噌をもっていき、自分でごはんを作り始めました。
年々、そのおみそを使って作るおみそ汁が「美味しいなぁ。」と感じるんです。
たまに外食やお惣菜を食べることもありますが、たった一杯ののおみそ汁が自分の立ち返る原点になってきています。それは私にとって、自分の舌が感覚で美味しいと感じられるもの、また、心が安心するものだと感じられる存在です。
そうした場所を自分の中にもっていると、外へ出たときに嫌なことや満足いかないことがあったときでも、「でも、私はおみそ汁をひとりで作れる。自分で自分の体を労わってあげることができるもん。」と思えるときがあるんですよね(笑)。
この感覚は、小さい頃に台所に立たせてくれた親や、食の体験をさせてくれたさせてくれたことが大きいと思っていて、とても感謝しています。
わたしも将来、子供たちに食の体験をたくさんさせてあげたいと考えています。
自分を整える一汁一菜
一汁一菜のスタイルをどう行っていくか具体的な方法もあるので、さっそく実践してみるということもできます。
ですが、この本に書かれていたように、一汁一菜を日々繰り返していくことで、自分の感覚がやしなわれていくことや、日本人が大切にしてきた精神的な側面の文化を見直すことも大切だと思いました。
それはきっと、季節の変化に気づくことができたり、ものごとの区切りを大切にし、「ケとハレ」の文化を実践したりすることにつながっていくのではないでしょうか。
長くなってきたのでそろそろ終わりますが、まだまだ語り切れません!(笑)
私は定期的に本書を読み返していて、本が一杯のみそ汁のように自分の立ち返る原点のような存在になっています。
ぜひ、みなさんもよかったら読んでみてください。きっと温かいごはんとおみそ汁を作り、食べたくなるはずです。
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