母の日

交換日記と言いながら自分の好きなことしか書いていない(緑青さんのnoteを受けて、とかしていない)し、今日のテーマはちょっと時期遅れだし…
でも書いちゃお~。

先日、母の日だった。
我が家は誕生日も含め、サプライズなどは一切せず、事前にほしいものを聞くスタイルなのだが、今回もそのようにしたら、
「しあんちゃんがその日そばにいてくれればそれだけで十分だよ」
とのことだった。
物理的にそばにいるって、当たり前じゃないもんなあとちょっとうるっとしてしまった。

先月、祖母を亡くした。年齢的には大往生の域だが、いかんせん急だったのでてんやわんやであった。
祖母の命日の2週間後は祖母の誕生日であり、プレゼント、何がいいかねえ、と家族で話していた矢先のことだった。

祖母との思い出は正直そんなに多くない。盆と正月に帰省する程度だし、うちは良くも悪くも古い家なのでその時期に一緒にお出かけなどもしなかった。
「優しい」ということばも、「厳しい」ということばも、なんだか当てはまらない気がする。
よく聞いたのは嫁入り後に姑(つまり私の曾祖母)に厳しくされた話。反応しづらいやつ。
思い出も浮かばず、どんな性格かもわかっていないなんて、親不孝ならぬ祖母不幸だなあとも思う。

ただ1点はっきり覚えているのは、祖母の口癖である。それが今思えば最期の会話でもあった。
昨年帰省したときに、誕生日プレゼントをあげたときのこと。
「こんなええもんもらってどないしよ。しあんちゃん、私もうすぐ死ぬんやで。」
その時はいつもどおり「ああ、もうすぐって30年後やな」と返したのだが、
本当に死んでしまった。

祖母には贔屓にしている野球チームがあった。野球は耳が遠くても手が震えても見られるので、晩年の楽しみだったようである。
よくそのチームが勝ったというニュースを聞くと、「おばあちゃん、喜んでるやろな」と話すのが日課のようになっていた。
今年の母の日、そのチームが大勝した。
いつものように「おばあちゃん、喜んでるやろな」と言おうとしたときに、もうその喜ぶ人はいないのだと思い出した。
泣くと両親が心配するので、実はあまり泣かないように我慢していたのだが、日課が日課でなくなったことを実感したとき、自分でもわからないぐらい号泣してしまった。

もうチームが勝って喜ぶあの祖母はいないのだ。
父にとって、「母の日」はもう来ない。
耳が遠い分、ときどき大きく字を書いた手紙を送っていたが、その相手ももういない。
なんだかそんなことを実感した瞬間だった。

(しあん)

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