アルピーと俺

アルコアンドピース。初めてみたのは小籔、真木時代のBAZOOOKAの「訳あって放送できないネタを出す」という趣旨の企画で披露したドモホルンリンクルのネタだろうか。そしてアルピー代表作のコント「受精」。このネタを見て、高二か三年くらいだった俺はアルコアンドピースの虜になった。あとはTHE MANZAIで「忍者」を見た。数多くの芸人がやる中で、一番大好きな漫才。実際はこのネタは偉い人にアドバイスを貰って書いたらしいから、持つべきものはいいアドバイスをくれる先輩なんだなあと思う。

アルピーをしっかり認知したのは、自分の中で、ラジオどハマり時代が始まった時だ。バナナムーン、不毛、そしてアルコアンドピースにたどり着いた。三四郎もコントゴーレムの回の派生で聴いた。だらだら話すのよりも、企画になっているのが好きで、バナナムーンは菜々緒さんが出てる回、三四郎ならやはりコントゴーレムが好きだ。アルピーは全部いいけど特にお侍ちゃんの回と読モの回がいい。大学通学中、昼休み、寝る時など、日常すべての時間でラジオを聴いていた。ハライチもうしろシティも聴いていたが、アルピーDCGは今でも毎週聴いている。ファルコン回、ブラックサバンナ回、何回もリピートした。

俺は病気にかかり、通っていた大学を休学し、入院していた時期があった。その時も、ずっとラジオは聞いていた。病院はWi-Fiがない。だからポケットWi-Fiを契約した。これがなかったらストレスで相当きてたと思う。あとこの頃はアベマTVでアルピーの番組が2〜3個やっていた。ラジオで酒井さんがアルピーがアベマ出過ぎてる的なことを言っていた。確かに当時めちゃめちゃ出てる感じがした。アルピーの出演している番組で特に俺が好きだったのは妄想マンデーと初体験ラボの二つだ。初体験ラボは篠崎愛さんと一緒にやっている番組で、その中の太田プロ芸人がネタを披露し、篠崎さん他2名のおっぱいを揺らしたら勝ちという最高にバカな企画が一番好きだった(もしかしたら牛乳を噴き出させたら勝ちだったかも)。病院の中でこれを見て大爆笑してしまい、何事かと看護師が来た。

妄想マンデーもお色気番組で、主な出演者は石原さとみに似ていることで一世を風靡したドロリッチの人と、今思えば相方の一人に似ている女性アナウンサーさん、そして週替わりのアップカミングのグラビアアイドル3人くらい。アルピーの立ち位置は、いじり兼盛り上げ役だった。ピースの綾部さんがアメリカに行ったので、その後継で出ていた。この番組で思い出に残ったエピソードがある。番組の企画で、体を揺らして歩数計の数字を競うゲームがあった。ゲーム中、ミスっておっぱいが出てしまったアイドルがいた。突先はテーピングされていて見えなかったが、放送事故的な感じになった。後日、その人はAV女優になっていた。多分仕組まれたハプニングだったんだろう。このグラビアアイドルかわいそうだな・・・と思いつつ、すぐにバカ抜きしました。まあ妄マン出る前から素人ものに出ていたのを知って、まあ、そういうことねとなったが。でも衝撃だった。

アルピーのことばかりになってしまっているが、売れる前のパーパーのネタを見て、あ、面白いけど全ネタ一辺倒だなと思ったのもこの時期だし、この時期は色々なお笑いを見た。お笑いは治療中の心の支えだった。

そんな中、病気が良くならなくて、医者に「手は尽くしたのですが・・・」的なネガティブなワードを頂いて、その後手術を行うための違う病院に行った。この時、あ、本当に死ぬかもしれないという怖さが頭を支配した。手術をして(この辺のしっかりした内容は自己紹介のnoteを読んでください)、ICUから病棟へ移った。菌が入ってしまうという危険性からケータイは触っては行けないのかと思っていたが、ケータイを親に頼むと、普通に渡してくれた。最初に開いたのは、アルコアンドピースのDCガレージだった。イヤホンをつけると、二人はいつも通りの軽快で面白いトークをしていた。非日常から日常に戻ってきた気がした。腹を真っ二つに切っていたので、二人が笑わせてくるたびに本当に腹が痛かったが、死に向かう痛さではなく、生きていると実感できる痛さだった。

Netflixでコントと検索するとコンテンツリーグという名前でお笑いの単独ライブDVDをそのまま見れるやつがあった。今は03、バイキング、ロッチ、アンジャッシュくらいしか載っていないが、当時は色々見れた。「博愛」というアルピーの単独ライブの動画が載っていた。めちゃくちゃ見た。10や20回ではないし、今考えると娯楽としてでもなかったかもしれない。

術後、体の調子も良くなり退院も見えてきたある日、自分の入院生活を振り返り、お笑いをやることを決意した。病気で辛い思いをしている人を笑顔にすることができるお笑いを。アルコアンドピースが辛い時何度も笑顔にしたように、俺も人を笑顔にさせるんだという思いで。

退院後、大学を転入しICUお笑い研究会に入った。台本を1年間で三百本書くなど、精力的に活動してきた。最初は、学外のライブのネタ見せで作家の人に「意味がわからない」と言われていた。しかし今はプロの芸人さんに天才と言われるほどになった(お世辞というのは承知だが)。

実は私は天才ではない。人間は、初対面で自分と違うことができる人を天才だと思ってしまうが、これはそこに行き着くプロセスが見えないからである。作家の人に酷評され、なにくそという思いでネタを書きまくった。その結果のいいネタなので、凡才である。

凡才だが、アルコアンドピースのネタという、いいお手本を見てきている。先ほどの俺のネタを酷評した作家さんに「これはいいネタだ」と認められ、その人の主催するライブに出してもらえるきっかけになった「勉強」というネタは、アルピーの「受精」と構造がめちゃくちゃ似てる。そのくらい俺の創作にはアルピーからの影響がある。「勉強」もノートで公開しているので見たい方はどうぞ。

お笑いを始めて一年半が経った2019年、11月だっただろうか。マイナビ主催ほっとけない学生芸人GPの第二回が開催されることになった。この大会は、予選のネタ動画審査で審査員6名に推薦されるかyoutubeの再生回数TOP3か5に入ると決勝に行く。決勝では審査員の前でネタを披露し、その中で審査員が投票し、一番ほっとけない人が優勝するという大会だ。第二回では審査員に平子さんがいた。運命なんじゃないかと思った。そして、おれはその時点でまんかいんどのネタで平子さんに推薦されるという計画が既にあった。行けるという確信があった。ちなみに行っておくが、大学お笑いの人はみんなアルコアンドピースが大好きだ。しかも吉本以外の芸人さんは滅多に大学お笑いに関係しない。だから倍率が高いのは知っていた。エントリーは約60組。関東大学お笑いの80%は内輪ノリの文化なので、youtubeの再生回数TOP3か5に入るのは大学お笑い界隈で有名なやつだろうな、と思い狙わなかった。というか狙っていなかった。私が狙っていたのは優勝ではなく平子さんの推薦だった。まんかいんどのネタは、アルピーのネタの上積みのようなものが入っている。アルピーに影響を受けて、アルピーが面白いと言っているものを同じように面白いと思ってきた俺が作るネタが、アルピーにはまらないわけないと思ってまんかいんどのネタを出した。

そして、メールが来る。内心予選落ちなんじゃないかとびびっていたが、決勝に進出したという旨のことが書いてあった。審査員が誰を選んだかは後日発表で、誰に選ばれたかはわからなかったが、確信があった。

発表の時間はちょうど授業中だったが、ずっとTwitterを確認していた。結果、平子さんに選ばれていた。本当に嬉しかった。周りに人がいないのを確認し、「ど〜も〜!!!!」叫んだ(流石に嘘)。この事実は他人から見ると、ある学生芸人のコンビが芸人に選ばれただけということになる。しかし、ここまでのストーリーを見てもらうとわかるが、もっと意味のある選出なのだ。まるでフィクションのようにできた話だが、事実である。

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これは、選出された時の私たちのコンビに対する平子さんのコメントである。「つまらない」と書いているが、俺にはわかる。平子さんの天邪鬼なところ。多分他の審査員が普通に褒めるスタンスだったのを見て、DISり気味なことを少し後悔したであろうことも推測できる。ただただファンとして、リスナーとして、演者として、コメントをもらえて嬉しい。

同じアルピー好きの先輩からは、この文言を見て「平子さんの鼻をあかしてこい」という趣旨のメッセージを頂いた。その先輩は、まんかいんどのネタが下手でどうしようもない時代から面白いと言ってくれてすごく自信になっていた。やはり持つべきものはいいアドバイスをくれる先輩だ。

本番は、実はしっかり覚えていない。余裕がある平場なら、割と変なこと(例えば、インポッシブルさんに相方を殴ってくださいといい、インポッシブルさんの血がブシャアアアアっと出る最高の芸につなげる等)もできるが、緊張で、ネタをやるのが精一杯だった。それを、SKEの須田亜香里さんに指摘され、めちゃくちゃ恥ずかしかったが、いい思い出。ダイジェスト映像は恥ずかしさで見れないけど。緊張していなければは、本当は「渡辺くんの喋り方がネタを台無しにしている」という平子さんに、しっかり返したかったです。でも、マイクを持つ手の震えを隠すのにせいいっぱいでした。

家族やお笑い研究会のメンバーや仲のいい友人が来てくれていた。平子さんから面白かったと言ってもらえていたことを母のメモから知った。

結局、大会は他のコンビが優勝した。平子さんは優勝を決める最終投票で違う学生芸人に投票した。まあ、それも納得できる。なぜなら、しっかり緊張していたからだ。あんなガチガチのやつに俺でも入れない。でも、全然いい。目的は果たした。

大会終了後に、帰り支度をしようとすると、平子さんが来て「ありがとね」と言ってくれた。とっさのことで、テンパって「あ、ありがとうございました!」とか適当な感じで返してしまった。

でも、実際は感謝しきれないんだ。平子さん、ありがとうはこっちなんです。本当は自分が人生で最も苦しかった時にお笑いで救ってくれてありがとうと言いたかったけれど、ファンであることすら言えなかった。このノートが届いて、平子さんが見てくれたらこのフィクションのような話がもう少し続きそうです。

俺にはこの日は人生の中で一つの忘れられない思い出になったが、平子さんにはどういう日になったのだろうか。その答えらしきものはある日の沈黙の金曜日の中にあった。このラジオはFMFUJIでアルピーと乃木坂の中田花奈さんがMCを務めるバラエティーラジオ番組だ。ある日の沈金のトークのなかで、流れは忘れたが、かなりん(中田さんの愛称)が平子さんに「(平子さんって)大学生のお笑いとか馬鹿にしてそう」というパスを出した。話の流れ的には、「馬鹿にしてる」と肯定した方がスムーズだし、お笑い的にもその流れだった。しかし平子さんは「いや、馬鹿にしてないよ」と言った。これを言った時、一瞬ラジオブースは膠着していた。ラジオの場の流れを切ってまで、この言葉を言ってくれた。この言葉は、確かに、学生の身分でお笑い界で頑張っているもの全体に対するリスペクトなのかもしれない。でも、俺からしたら、こんなストーリーを持っている俺からしたら、それは俺に向けられた言葉だった。ちょっとキモすぎるけども。

いや、お前「明るい夜に出かけて」の主人公かよ、いや、なんなら小説のエピソードをちょっと上回っていて、「事実は小説より奇なり」を地でいってるなあ!と思った人はもういいです、ありがとうございました。






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