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母の誕生日に気付いた「母のせい」

今日は母の誕生日。
おめでとう!とメッセージ。

前回、認められたい自分を晒したけど
1番認められたかったのは、この母にである。

きっかけは些細なひと言だった


何歳の頃かは忘れたけど
母が幼い私に
「あなたが男の子だったら良かったのに」
的なことを言った。

女の子じゃなくて男の子。
え、私じゃダメなの?


でも日常では
可愛いねぇ!といつも髪の毛
結ってもらったり
お洋服も選んでもらってた。

ずっと小さなトゲのように
心に残っていた。

大人になって母に聞いたら
まったく覚えてなかったし
女の子で良かったと思ってると
言っていて衝撃だったけど。

お母さんに認められたい

今はしょっちゅうランチやお茶する母娘

父は優しかったし
私のことを溺愛していた。
その分、母は怒り役だった。

今なら役割分担だったと分かる。
それに母も手一杯だったことも。

だけど当時の私は
どうせお母さんは私のことが
好きじゃないからだと思っていた。

ひとりっ子だったし
お母さんに怒られたり
嫌われたら一貫の終わり。
捨てられる!

そんな風にも感じてたから
怒られないように
逆らわないように
良い子で生きてきた(つもり)。

お母さんに認められるために
得意じゃないのにクラスの
班長や学級委員に立候補。

頑張り屋さんと褒められるから
習い事をたくさんやった。

中学時代は勉強めっちゃ頑張って
学年一位になった。

高校時代は周りの子より
早めの門限を守ってバイトしてた。

そうは言っても思い返すと
「あんた!いい加減にしなさい!」と
しょっちゅう怒られてた。

大人になってからは
「あんたは昔から頑固で
言うこと聞かなかったからね!」
とも言われた。

あれ、おかしいな(笑)

私の記憶と母の記憶
こんなに差がある。

ということは…つまり…。

みんな思い込みで他人を見ている

子供たちのことも私の思い込みで見ているんだな

もちろん私が子供だったから
忘れていることもあるだろう。

その逆もまた然り、
母も子育てに奮闘しながら
忘れていることもあるはずだ。

現に私も数年前の
子育ての全てを
覚えているわけではない。

つまり自分の都合のいいように
覚えて、忘れて生きている。
(少なくとも私と母は)

母に認められたかった私は
何でも母のせいにして
生きていたかっただけ。


(ガーン…)

しかも大人になってからも
あの時、母が〇〇だったからと
人のせいにして生きてきた。

(ガーーン…)

すごいダサい自分
こんにちは。

そしてさようなら。

じゃあ私はこれからどうする?

誰かに認められるかより
自分で自分を認めて
全部じぶん事で生きる。

誰かのせいと
思いたくなることが起きても
(クソーあいつめ!と思いながらも)

最終的に
私は何ができたか?
これから私はどうするか?
をゴールにする。

こんなこと
みんな当たり前に
やってるのかもしれない。

私はやっと気付いたけど
それでいい。
ここからまたトライだ!

すっごく地に足ついた
ワクワクを感じている。

もしあなたが
人のせいにしたい出来事や
あの人が反対するからできないと思ったら
このブログをチラッと思い出して
もらえたら嬉しい。

前に進むのは
じぶん事に出来たときだから。

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