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自己肯定感と謙虚さって?

 謙虚であれ、そのように言われたこと、みんなどこかであるのでは。謙虚であることは、大切なこと。では謙虚とはいったい何なのか。

謙虚という言葉を調べると、「控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。」と出てくる。しかし、この姿勢って、周りの人たちからは好まれるけれど、本人にとっては、幸せなのかなと、ふと思う。

なぜなら、控え目で、つつましくって、相手の意見を素直に受け入れていたら、自分がなくなってしまう、そんな印象をうける。

では謙虚でない人って、どういうことなのだろうか。謙虚でないひとはつまり、横柄なひと、いまでいう、マウンティングをするひとなのかと思う。そういった人たちとは、誰しも当然関わりたくないし、距離を置きたくなってくる。

一方で、自己肯定感とはなにか。文字通りにいうと、自分を肯定できる感覚のこと。エフィカシーの和製語と思われる。

ではエフィカシーとは何か、エフィカシーとは、自己能力の自己評価のこと。他の人たちは関係なく、自分で自分の能力を認めてあげられること。他の人たちの評価は関係ないのだ。

謙虚であるということと、エフィカシーとの大きな差は、どこにあるのか。

謙虚とは、他人からの評価であって、自分が謙虚な人だということではない。他者からの評価なのではないだろうか。

一方でエフィカシーとは、自分の中で完結する概念なのだ。自分にはできるとおもっている、私なら大丈夫と、自分に自信を持たせることかと思う。

つまり、謙虚とエフィカシーは、他者目線か、自分目線かで大きくことなる。

一方で謙虚でない人、マウンティングをして、嫌われてしまう人たちは、その人の言動の中に「あなたよりも、私の方がすごい。私を認めて」の悲鳴にも似たものを感じ取らせてしまうものが潜んでいる。

なので、自分自身の自己評価の高い人で、謙虚なひとは、成立するのだ。

他者評価ではない、自分自身の内側での、「できる、なんとかなる、大丈夫だ」と思えている状態は、自分自身を見つめ返すからこそ、保てることである。

だからこそ、自分の盲点に気づかせてくれる、他者のことばには耳を傾ける。



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