はじめに(いつも書いてること)
このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。
※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。
今回の内容
とあるメルマガで、このような内容が送られてきました。
さんまさんが言っているこの言葉も、同じようなことか。
僕自身は、「何気ない日常を財産に」ということを大切にして生きているので、上記の言葉には非常に共感します。
いつの時代も共通して、人のあるべき姿がここにあるんじゃないかなと思うんです。
まずは、感謝の気持ちを持って日々を過ごすだけで良い。
そうすれば、それに付随して、寛容な心が持てるようになったり、他者に優しくなれたりするんじゃないかな。
人はみな、それぞれの人生の中で、固有の体験をしています。
その体験は、誰かと同じものではなく、自分ならではのものです。
その『自分ならではの体験』に感謝して、生きてほしいなと思っています。
誰かと比較して、劣等感を覚えてネガティブに引っ張られてしまう人を多く見てきています。
ただ、「自分は自分でいい」とか「周りと比較しなくていい」という言葉を投げても、すぐには変えられないでしょう。
今までの価値観はそう簡単に変えられないという前提を理解しながら、長期的に心を変容させていくんです。
自分の体験に感謝して、自分を認めてあげてほしい。
自分を認めてあげることで、他者を認めてあげることができるようになるから。
感謝で溢れる世の中、寛容な心で溢れる世の中、個人を認め合えるような世の中をつくりたいから、自分がやれることをこれからもやっていきます。
以前、メルマガでこの本が紹介されていました。
不寛容論: アメリカが生んだ「共存」の哲学
このメルマガでは、「今の日本にもっとも必要なのは『寛容さ』である」ということを言ってます。
前提に、メルマガにはこのようなことが書かれていました。
以下は、この本からの引用。
メルマガでは、『寛容さ』の大切さを説いていました。
そもそも『寛容』って?
埼玉大学大学院の准教授である宇田川元一先生の『他者と働く』を引用して、以下のnoteを書いていますが、『寛容さ』を考えることとリンクする部分があると感じました。
『他者と働く』には、こんなことが書かれています。
『お互いにわかり合えていないことを認めること』が『寛容さ』とリンクすると感じました。
『他者と働く』では、対話のプロセスとして「溝に橋を架ける」ということを推奨しています。
そのファーストステップが「相手と自分のナラティブに溝があることに気づく」というものなのですが、「溝があることに気づく」上で『寛容さ』が必要なのかなと。
さらにこの本には、「引いた目で周りを見渡してみて初めて、わかりあえない人々との間に、大きな溝があることに気づくのです。」と書かれていますが、「引いた目で周りを見渡す」ということは、全ての人ができることじゃなくて、『寛容さ』を兼ね備えているからこそできることだと思います。
こんなPDFデータを見つけました。
最後に、ここに書かれている内容を引用して、本日のnoteを締めます。
『寛容さ』というのは、これからの時代において大切なキーワードになっていきそうですね。
「誰かのために」という起点ではなくて、「自分のために」という起点で、寛容になることを考えてほしいです。
この意味からもわかるように、『寛容さ』を身につけたら、自分の期待が裏切られることによるイライラも少なくなるでしょうし、自分の中で「まぁいっか」という切り替えをスムーズにできるようになります。
それが結果的に、周囲の人に良い影響を与え、周囲との関係性も良くなることに繋がりますから。
自分の心をラクにするために、『寛容さ』を身につけていってください。
感謝
今回も、読んでいただきありがとうございました。