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絶望を感じているあなたへ。夢は願ったカタチではない形状で叶えられる。だから生きつづけるのは悪くない。

いつのまにか夢を叶えていた。


夢と言うとキラキラとした誰に聞かせても褒められるようなものを考えるかもしれない。しかし残念ながらここで言う夢はそんな立派なものではない。むしろ人によっては怒るかもしれない。でも正社員として働き始めたころに抱いた願望がこうして実現できたのだから、私個人としては喜ばないわけにはいかなかった。


いまここで、仕事をサボってnoteを書くことができているのだから。


台風に日にいつも思い出す出来事


今日、関東地方に台風が直撃するという予報が入った。現時点では昼~夕方くらいには関東を通るようで、午前中からすでに豪雨が私の住むボロアパートを襲っている。台風予報は数日前ならば大きく進路が外れる可能性もなくはないのだが、1日前くらいの予報となるとほぼ間違いは無くなる(素人の肌感覚だが)。なので昨日の時点ですでに「出勤時間にモロ被りじゃん⋯」というのはわかっていた。

私はいまフリーの施術屋でありながらそのお店の店長役を担っているので、シフトはある程度自由に変えられる立場だ。なので休みにしてしまおうと予定表を見ると、すでに予約が入っている状態だった。しかも予報ではまさに台風が関東全域を覆う時間帯である。マジか⋯と天を仰ぎつつキャンセルの電話とか入らないかとひっそりと願ったが、退勤時間までにその電話が鳴ることはなかった。

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台風の時期になるといつも思い出すのが正社員になりたての頃だ。

当時の私は自宅から1時間以上かかる場所に出勤していた。はじめのうちは遠いと思っていたが、月8~9日休みで出勤しているとあっという間に慣れる。そんな正社員時代のときに出勤時間に台風がモロ被りした日があった。

傘なんかほぼほぼ役に立たず、在来線も大幅の遅延や運休のアナウンスが流れており、私が乗る電車もいつ動くかわからない状態だった。正直朝の時点で店から「今日は来なくていいよ」とメールこないかとわずかに期待していたが、そんなはずはなく電車がこない旨を伝えたら「了解しました、気をつけて来てください」と簡素な返事をもらっただけだった。結局、乗り継ぎを繰り返してどうにか店に到着するのに3時間以上かかってしまった。


ずぶ濡れになりながら店に入った時のことを私は今でも忘れられない。


店にたどり着いたとき、スタッフは私を見ると「あ、おはようございます」といつもと変わらない乾いた挨拶をして、何事もなく仕事に戻っていった。プツン、と私の中で何かが切れた感じがした。


サラリーマンを見て感じた“違和感”


通常の在来線が死んでいる中で、普段使わない電車を乗り継ぎながらいろんな人を見ていた。突風が吹き荒れる駅のホームで電車を待つ人の多くはスーツを着たサラリーマンらしき人々で、学生服を着た若者もちらほらいたが多くは私を含むサラリーマンだった。ネットニュースでは「暴風域で危険」「外出は極力控えて」とバンバン警報が流されている中で、駅のホームで律儀に並んで立っているスーツ姿の人々を見て「なんでこんな日に出勤しなければならないのか、不思議に思わないのかな」と考えていた。台風は自然災害であり、人がコントロールできるものではない。ただの雨風だと舐めてる人もいるかもしれないが、家の倒壊や浸水はもちろん負傷者や死者も結構な数を出している極めて危険な災害である。

そんな人々のなかに紛れている自分にも違和感を覚えていた。「仕事だから」と当たり前に思っている自分に違和感を抱きながら同時に恐怖も感じていた。この状況をおかしいと思わされない環境にいる自分に、だ。

この時に“自由に働ける選択肢をもてるようになりたい”という脱・サラリーマンという考えがほんの少し具体性を帯びたことをハッキリと覚えている。働きたくない時に、自由に仕事を休めるようにする生活。出勤を強制されるサラリーマン生活からの解放。そんなことができたらいいな、と突風に煽られながら夢想していた。

私がフリーの施術屋に夢をもつキッカケの1つが「台風」だったのである。

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話を今に戻そう。


いまの職場はあの頃のように1時間以上かかる場所ではないが、あいかわらず電車は利用する。なので、台風予報のある中で出勤するのは前述した正社員時代がフラッシュバックする。出勤したくない気持ちが強まっていく中で、深夜に悪知恵が思い浮かんでしまったのでそれを実行することにした。(深夜ってなんでこんなに悪どいことを思いつくんだろう?)


悪知恵を実行し、仕事を放り出すことに成功した瞬間に「あ、オレ夢叶えてるじゃん」と気がついた。


「自由に働くことを選択する」とはもっとしっかりとした形式のものであって、望んでいたカタチではないのかもしれない。だが、結果としては「こんな日ぐらい仕事放り出したい」という願望を成立させることはできている(褒められたものではないけれど)。

自分が求めているものは、その願望を抱き続けていれば何らかの形で達成することはできるものなのだ。


生きてみるのも悪くはない


こうしていま、台風がこれから関東を覆う最中に仕事をサボってnoteを書いている。真面目な人は「なんてヤツだ」と怒るかもしれない。たしかに今回書いた内容だけみればただの不謹慎野郎と思われるかもしれない(っていうか実際そうだ)。


それでも今回こうしてnoteに書いた理由は、世の中なんらかの理由で絶望を抱いて自暴自棄になっている人が意外にいるものだと知ったからだ。


側からみればかなり優秀で恵まれていると思えても、本人は絶望を感じて自分が世界で一番不幸であると思い込んでいる人もいる。そんな人間に対してなにか言ったとしても焼け石に水で、むしろより思い込みを深めてしまうこともある。なので、ここで私のような底の浅い人間のしょうもない話を書いてみた。話そのものは不真面目なものではあるが、ここで伝えたい骨子は「願望を抱いて生きていると、カタチは違えど叶うことは多々ある」ということである。すんげぇくだらないカタチでも達成すれば結構面白いと思えるものだ。

この面白さを知る条件は2つ。「生きていること」と「願望を抱きつづけること」だ。

いつどこでこの面白さを知れるかはわからないし、モヤモヤを抱えながら生きるのも辛いものだ。それでも叶えられているとわかった瞬間は言い表せない感情が出てくる。この面白さをぜひ知ってほしい。

生きつづけるのも悪くはないよ。


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