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読書メモ『考える前に動く習慣』

私は、頭でいろいろ考えすぎて、なかなか1歩を踏み出せないことが、よくあります。『考える前に動く習慣』というタイトルを見て、いかにも自分のための本と感じ、読んでみました。

著者は、曹洞宗のご住職で庭園デザイナーとしても活躍されている方です。禅にもとづく生き方のヒントが書かれています。本書の中で気になったことばと、そこから自分が感じたことや考えたことを書いてみます。この記事は、自分のメモとして書いているようなところがありますが、みなさんにも何かお役に立てれば、うれしいです。

習慣が人生の歩み方を決める

私は、以前、毎日、ジョギングをしていました。習慣にしてしまうと、それほど苦労もなく、食事をするような感覚で続けることができました。しかし、ジョギングの習慣がなくなると、再び、走り出すのに、ハードルが上がってしまいました。ジョギング習慣がなくなると、体重も増えてきました。
また、私は猫背で姿勢が悪いのですが、直すのはなかなか大変です。良い習慣も悪い習慣も身につけてしまうと、変えるのは大変ですね。

習慣は、ある意味、とても怖いものといえます。

『考える前に動く習慣』(以下の引用も出典は同じです)

大事なことは、「頭」ではなく「身体」で覚える

まず考えが先行してしまう。すると動けないのです。

嫌でも、面倒でも、億劫でも、「理屈抜き」。

私は、むしろ逆のことを考えていました。何ごとも、人に言われた通りにするだけではなく、理由や目的などを自分の頭でしっかり考えることが重要なのだと。

一方で、考えれば考えるほど、動けなくなっている自分がいることも気づかされました。考えること自体は重要だと思いますが、考えすぎる前に、理屈はともかく、まず動いてみるということも意識していこうと思います。

肝心なのは、スピードより「スタート」

ITが進化したこともあり、仕事でも効率化やスピードが強調されます。しかし、いい習慣を身につけるには、

「思い立った」あとに「行動」を起こすまでの時間をかぎりなく短くする

ことがコツだそうです。これは、その通りで、やってみようと思った時、勢いでやってしまうとできてしまうことが、よく検討してからとか、一晩考えて明日からなどと言っていると、熱量が下がって、やらずに終わってしまうことが、よくあります。後々になって、やっぱりやらなければと「スピード」を意識しても焦るばかりで、いい結果は出ません。「思い立ったが吉日」ですね。

中途半端な仕事をすると、よっぽど疲れる

忙しかったり、疲れていたりすると、少し手を抜きたくなります。取捨選択や優先順位をつけることは悪くない、むしろ大切だと思いますが、怠けてダラダラ仕事をすると、悪い習慣になります。振り返ってみると、前向きに一生懸命取り組んでいるときよりも、「早く終わらしたい」と嫌々やっつけ仕事になっているときの方が疲れやすいです。私は完璧主義のところもあるので、いつも完璧を目指すのが良いとも思いませんが、「ラク」をしようという気持ちで投げやりに取り組むのは、悪い習慣になるので、気をつけます。

スマホで余計なことを調べない

スマホで少し調べるつもりが、目に入ってきた記事をつい見てしまい、そうすると似たような記事が勝手に表示され、気がついたら、結構な時間を使っていた……ということが、よくあります。同じような方、多いのではないでしょうか?知的好奇心を満たしている部分もありますが、気がつくと、スマホに使われています。スマホやインターネットが普及する前は、もっと時間を有効活用していたと思います。これも習慣で、身につくと、なかなかやめられません。私は、夜、遅い時間はスマホを使わないようにすることや、必要ない通知はオフにすることを、心がけています。

明日の心配や不安を「先取り」しない

私は、心配性で、明日のことどころか1年後、10年後、もっと先のことを心配してしまいがちです。心配に対して、前向きに対応をできればいいですが、頭の中で、ああでもない、こうでもないと考え、目の前のことが手につかないと、何もいいことはありません。

あれこれ未来のことばかり考えて振り回されるな。いまやるべきことをやれ。

人が生きているのは、未来や過去ではなく、今だけ。そうは言ってもと考えてしまいますが、考えるより、「動く習慣」が、その助けになりそうです。

他人の期待には応えるな。自分の期待に応えるんだ。

これは、プロゴルファーのタイガー・ウッズ選手の言葉だそうです。どうしても、他人の目を気にして「いい人」でいたいと考えてしまいます。他人の目を意識すると、自分軸で動けなくなります。これがいいと思ってもすぐに動けない理由のひとつは、他人の目を意識してしまうことではないでしょうか?

禅語に、
「露(ろ)」
というものがあります。文字通り、あらわなこと、どこにも包み隠すことのない自分が表れている、ということです。

他人の評価は手放して、露の自分で生きるとよけいな悩みが減り、自分の本当にやりたいこと、やるべきことができるようになると思います。

「忙しい」「疲れた」「できない」ということばを発しない

「忙しい」は現代人の多くが抱える悩みではないでしょうか?職場でもプライベートでも、いつも忙しいと感じています。新しい仕事ができても、「忙しくて」と言いたくなります。しかし、

できる人は、例外なく、「忙しい」などとは口にしないで、淡々とやるべきことをやっています。

実際、非常に多くの仕事をこなして、「忙しい」はずの人は、ほとんど「忙しい」と言っていない気がします。
「疲れた」も多いですね。私は、英会話レッスンを受けていたことがありますが、"How are you?"と聞かれると、かなりの割合で、"I'm tired"(疲れている)と答えていました。実際、疲れるんだからしかたないと思っていましたが、

その仕事を「やらされている」という感覚があるからです。
 (中略)
主体的に動いていないから疲れるのです。

と言われると、その通りですね。サラリーマンだと、どうしても上司から仕事をやらされているという感覚になります。サラリーマンをやめて独立するのも1つの解決策なのでしょう。まずは他人の評価を気にせず、自分軸で主体的に動くことを意識してみます。

「すいません」を、安易に口にすべからず

日本人は、すぐに謝る人が多いですよね。私自身も、最近は謝り過ぎないように意識していますが、つい「すみません」と言ってしまう方です。明らかに非があるのに謝らないよりはマシですが、悪くもないのに謝るのも良くありません。
職場で、問題が発生したときや、仕事の進捗が遅れているときなどに、同僚に質問すると、理由ではなく「すみません」とか「申し訳ありません」といった返事が返ってくることがあります。本人としては、誠意を示しているのかもしれませんが、それ以上の議論ができず、何の解決にもなりません。
何より、「すみません」をくり返していると、自己肯定感が下がってしまいます。
安易に謝るのは、誠実そうで、実は誠実ではありません。

ただ、ひたすら、力を尽くすことだけにつとめていればいいのです。そうしていたら、安易な「すいません」は、放っておいても封印されます。

他人の顔色をうかがって、安易に「すみません」といいそうになったら、力を尽くしているか、自分に問いかけてみようと思います。

とにかく、シンプルに「動く」ことの大切さを学びました。読んだだけでは、結局、考えすぎて動けないになるので、さっそく動いてみます。

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