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映画の半分はサウンドである - 『アンヴィル! ~夢を諦めきれない男たち~』

2009年 アメリカ映画 (サーシャ・ガバシ監督)


1984年、日本の西武球場で開催されたロックフェスの記録映像から、本作は始まる。

日本版 予告篇 より 

業界屈指のスターたちに混じって、過激に盛り上がりまくるヘヴィメタルバンド『アンヴィル』の演奏。だが……「彼らはその後、ついに売れることはなかった」というナレーションが入り、時間は30年後に飛ぶ。

全く売れないまま地味に地元カナダの小さな町でライヴ活動を続け、アルバム十数枚を自主制作してきたアンヴィル。バンドは、放送禁止用語連発の過激なパフォーマンスが売りだったが、ヴォーカルのリップスもドラムのロブも、もはや50代。普段は、黙々と低賃金の単純労働にあけくれる毎日だ。

日本版 予告篇 より 

積もる雪の中、車を運転して子どもの給食を積んだカートをよたよたと運搬するリップスの姿は、やはり過去の栄光を忘れられずリングに上がり続けようとする老レスラーを描いた映画、『レスラー』(2008)を思い出させる。

本作はドキュメンタリー。劇映画じゃない。それなのに、まるでシナリオがあるかのように運命に翻弄されまくる彼らの人生は、ちょっとこれヤラセじゃないの?と思いたくなるほど「底辺」だ。

久々のオファーを受けて何十日ものヨーロッパツアーに出かけてみるが、列車には乗り遅れるわ、道には迷うわ、散々な目にあう。ようやく着いたライヴハウスに観客など全然いない。ギャラすら払ってもらえない。

こんなんじゃバンドなんて、ツアーなんて、やるだけムダじゃないのか?とヤケになりかける。だけど、俺が生きていけるのはバンドがあるからだ。ライヴの絶頂感があるからこそ、クソみたいな日常もなんとかやりすごせるんだ!と自分に言いきかせるリップス。

昔なじみのプロデューサーに、勇気をふるってコンタクトしてみたところ、協力してくれるという。新譜のレコーディングだ。これで状況は変わるかもしれない。一世一代のチャンス!

ただし制作費は自分で工面しろと言われる。どうやってそんな大金を?と悩むリップス。そこに実姉が資金を貸してくれる。これだけ長いあいだ懸命にがんばってきたんだから、いつか絶対ブレイクするはず!と彼女だけは弟の才能を信じてくれる。

虚構の『レスラー』では、主人公は自ら孤独を選び、しがらみを切り捨ててリングに向かっていた。だが、現実のアンヴィルは、友人や家族や数少ないファンとのつながりに支えられている。(既に中高年で会社経営者となった古参のファンが、リップスを雇ってくれたりする)

これは単なる音楽映画でも、音楽家の姿を描くだけの映画でもない。ドン・キホーテのように自分が信じる道を突き進むリップスと、周囲の人々との、愛情や友情という「関係」を丁寧に描いた人間ドラマだ。だから、ヘヴィメタルに興味や知識がなくても、ぐいぐいと彼らの姿に引き込まれてしまう。

圧巻は、レコーディングに煮詰まったリップスが親友ロブに八つ当たりし、大喧嘩になってしまう場面だ。

日本版 予告篇 より 

「なぜいつも俺に辛くあたるんだ!」と怒るロブ。リップスは「お前に感情を吐き出さなくて、誰に言えばいいんだよ!こんなこと言えるのお前だけなんだ」と、ついに泣き出してしまう。

それまで、貧しいながらも「自分の才能を信じている」「最高の音楽をやっているから、売れなくてもいい」と楽天的に行動しているように見えた彼の、苦しく心細い本音。もはや、これまでか ── 

だが後日、このレコーディングをきっかけに事態は意外な方向に動き始め、彼らが再び大舞台に立つ日がやってくる。今度こそ正真正銘のメジャーな海外ツアー、大規模なコンサートだ。

とはいえ、ここでもリップスは不安な心情を独白する。本当に今度こそ観客は来てくれるのだろうか。今さら俺たちを観に来る客などいるんだろうか ── 

ここに結末は書かない。が、人生はなかなか上手くいかないけど、それでも生きるに値する、という爽やかな気持ちにさせてくれるエンディングだった。

最後にこんな言葉が流れる。

「30年以上続いているバンドは、世の中にそれほどない。ローリング・ストーンズ、ザ・フー、そして……アンヴィルだ」

映画の半分はサウンドである

週刊ヲノサトル https://note.com/wonosatoru/m/mcbc59cc1bcc3
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