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障害の自己認識の事例から考える、インタビューの有用性

知的発達症 (知的障害) を抱える人は、自身の障害をどのように認識しているのだろうか。

その疑問に向き合った書籍『知的障害のある人のライフストーリーの語りからみた障害の自己認識』は、現代社会に生きる私たちに多くの示唆を与えてくれる。

この記事では、当事者の自己認識の一端を理解すると共に、インタビューの有用性を考察する。


当事者は自身の障害を「否認」している

当事者のことを知るためには、インタビューは有効な手段である。

ただし、インタビューは言葉の交換を必要とするので、万能ではない点に注意が必要である。

杉田 (2017) はインタビューで得た当事者の声を元に、当事者の障害に対する自己認識を次のようにまとめている。

本書の対象者も知的障害の自己認識を問われる場では、その場その場の状況に合わせて、知的障害を認めたり認めなかったりしながらアイデンティティを管理していた。つまり認識しているが、ことばでは否認しパッシング (※) している場合もあった。

※パッシング : まだ暴露されていないが、暴露されれば信頼を失うことになる自己についての情報の管理/操作のこと

杉田穏子(2017年9月16日)
知的障害のある人のライフストーリーの語りからみた障害の自己認識

当事者は、自身が抱える障害のことを認識はしているが、それを認めようとはしない。

否認の原因としては、社会による知的障害への低い価値付けである。社会によって生じたネガティブな背景からの回避行動として当事者は否認をする。


否認に対して「支援者」ができること

インタビューによって「当事者は自身の障害を否認している」ことに気付けたが、その気付きでもって、支援者は何ができるだろうか。

「触れる方が良いのか、触れない方が良いのか。」
このような葛藤が、多くの支援者を悩ませるものと思われる。

杉田 (2017) は、障害の自己認識を問うことの重要性を次のように述べる。

知的障害のある人に障害の自己認識を問うことは、その人のライフストーリーの経験への意味付け、価値付け、さらにその人自身や障害への価値付け、距離感を把握するために大切な問いである。

杉田穏子(2017年9月16日)
知的障害のある人のライフストーリーの語りからみた障害の自己認識

当事者の健康状態や心理状態に応じた対応は必要ではあるが、障害の自己認識を問うことによって、当事者が肯定的に生きようとするきっかけへとなり得ることが示唆されている。

詳細はぜひ本書を一読いただきたいが、このようなアプローチに関しても、インタビューを通して見えてきた事例である。


もちろん、当事者は問われることで苦しむ可能性も考えられる。

無作為にならず、日頃からの信頼関係の構築や専門家との相談など、事前準備や事後フォローには注意を払うと良いだろう。


知っているようで知らないことが多い「自分事」

自分自身のことに関して「自分は既に知っていること」「自分はまだ知らないこと」といった考え方は「ジョハリの窓」が有名である。

自分事であるにも関わらず、認識できていないことは案外たくさんある。

当事者は自身の障害を否認しているが、否認するに至った理由には気付いていない可能性がある。

しかしながら、なぜ否認するに至ったのかを直接聞くことは、相手を攻めてしまう可能性がある。

そこで、否認自体にフォーカスを当てるのではなく、自身は障害をどのように捉えているのかを問うことにより、当事者への攻撃を避け、且つ、新たな気付きを与えることへと繋がる。


育児における「インタビュー」の在り方

これまでは障害の自己認識に触れてきたが、他のケースでもインタビューの在り方を考察する為に、子どもが手で食事をするケースで考えてみたい。

発達障害を抱える子どもは、お箸やフォークを使った食事ができるようになるまでに時間が掛かる。

親はその介助に追われるわけだが、親の目線と、第三者の目線とで、異なる解釈が生じる可能性がある。

親は子どもの食事介助に追われ、食事介助の負荷や、偏ったメニューに目がいく。

一方、その親子の状況を客観的に見る人がいれば、親にかまってもらえるから手で食べる行為が強化されている可能性や、きょうだいが寂しそうにしていることに気付くかもしれない。

当事者である親は、第三者のフィードバックを受け取り、現状を新たな観点で見ることができる。

なお、見れるからといって問題が解決されるわけではない。支援者である第三者は、共に解決方法を探る必要がある。


こういった第三者の目線を入れるきっかけとして、インタビューというアプローチは有効と考えられる。

インタビューは、インタビューア (インタビューをする人) が弟子で、インタビューイ (インタビューをされる人) が師匠となり、弟子が師匠から教えを請う行為である。

「勉強中なので教えてほしい」「ちょっと話を聞かせてほしい」といったカジュアルなきっかけから対話できるのがインタビューの特徴の一つだろう。


インタビューを入り口として「次の一歩」を考える

本記事では、インタビューによって「当事者が認識できてなかったこと」に気付ける点を捉え、その有用性を考察してきた。

本来のインタビューはインタビューアが何かしらの情報を得るための行為であるが、当事者にとっても、自分のことを客観視してくれる人を得ると共に、内省の機会を得ることができる。

そうして得た客観的な情報と、内省的な情報とを交えることで、次の一歩を踏み出すきっかけになる。

機会があればインタビューを実施してみてはいかがだろうか。


Appendix

参考文献

関連リンク

  • ジョハリの窓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93

  • カバーイメージ

https://unsplash.com/photos/xM4wUnvbCKk


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