名無しフリーランスの徒然記


今年33歳になる名もなきフリーランスが日々考えていること、インプットしたことのアウトプットとして

日常を生きていると、自分自身が感じること考えること、触れる情報、人…とにかく情報に溢れていて、何かに気づく間もないまま日々が過ぎ去っていく感覚になることがあって。

本を読んだり新しい物事や人に触れたり、インプットもしているけど、アウトプット先があるインプットと、なんとなくのインプットでは質量ともに変わるし自分のなかでも定着しやすい気がする

と、いうわけで、徒然なるままに書いてみる


悔いること悔やむことについて

今日あったこと

朝からMTGをしているなかで先行くリーダーの話を聞いて、なんか燃えた笑
燃えているものの近くに燃えやすいものを置くと簡単に燃えるように、簡単に燃える笑
テーマは夢目標だったんだけど、ビジネスでも社会貢献でも、趣味でもなんでも、続けることは簡単ではなく、だからこそ続けてきた人の話はすごく重みがあるし、学ぶことが山ほどある。

「続けること」
言葉にするのは簡単だけど、その過程では良いことや華やかなことばかりでなく、どちらかというと地味で地道で泥臭いものだと思う。

それでも、続けられる何か、続けたいと思う何かは、その人にとっては家族や半径3メートルの人の幸せだった

私にとってのそれを、こうしてアウトプットしながら深めていきたい

最近のテーマ

個人的な今年のテーマは、「探究と求道」
ビジネスでも生きることでも、パートナーシップでも、何かを深ぼっていくと行きつく先はとてもシンプルで、同じ真理になる
それが、32年間生きてきて本当に不思議だったし、面白いと思う

ずっと対人のしごとをしてきて、正解のないことばかりで、おかげで理論と現場を行き来する楽しさに触れ続けて探究の面白さを20代になって知った
それがビジネスでも自分の人生でも同じなんだなと思うと、生きている間にどこまで深ぼれるかが、生きている一番の楽しみかもしれない笑

真理に深さを求めることが「探究」だとしたら、「求道」は真理を心に生きていくことだと思っている
どんな真理があるのか、その真理がどう働くのかを楽しむのが探究、一つの真理を基に生きながら一つひとつ積み重ね証明していくのが求道

似て非なるもの、近しいけど違って、だから面白い

今日の探究と求道

本屋で立ち読みしていた本に、「甘えについて」が書いてあった。そしてそのなかで、「悔いる」「悔やむ」はベクトルが全然ちがって、特に「悔やむ」は甘えが存在していることが書かれていたのがすごく興味深かった。

「悔いる」はベクトルが内側、自分。自分がしたことを残念に思うこと。悔しがる、という状態のこと。

「悔やむ」は取返しのつかないことに対して後から悔しく思うこと。あとから残念に思う意が入っている。そこには、「本来はこうあってほしかった」「こうしたらよかった」等、他人や自分への期待が含まれている

私も、こうしてアウトプットしようと思うきっかけをいただいたから今こうして書いていて、言われたことを素直にやるのは得意だけど、それを本当の意味で自分のものにすることに対しては変化が必要で、だからこそ自分の考えとしてアウトプットする頻度が大事な気がしている

今まで数年間、しごとでも人生でも、思い通りにいかないことを他人や環境のせいにしていた私は、その間ずっと甘えていたのだと思う
甘えと慣れに気づいたことが第一歩、そして次は、自分で自分の人生を生きるうえで、自分の「内側」を追究していくこと。

今日悔しく思うことがあったけど、悔やみはしなかった

最後に

なんで今日このテーマで書いたかというと、一番最初に書いた今日の出来事でシンプルに「悔しいな」って感じたから。
自分可能性、周りの可能性を信じて、信じぬいて行動してきた人の話を聞いて自分を省みたとき、私が一番ないがしろにしていたことが「自分を信じる」ってことだった

自信をもつとか、根拠のない自信をもつのとは少し違って、「何があっても自分が大丈夫」と自分という存在を心の底から信じきっていること。

資本主義のこの世界に生きていると、どうしても数字が成果やわかりやすい評価軸、指標になりやすいけど、何かができた・できないという二軸ではなく、存在そのものの肯定・信頼。それが、自分を信じることの本質、根本な気がしている

この探究と求道を通じて、何があってもなくても自分という存在を信じることをやっていきたいと思う

この記事が参加している募集

今日の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?