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当時は「失敗」でも、結果「成功」なわたしの就活の話

営業として働いているわたしですが、最近ちょこちょこ、新卒採用のお仕事にも携わらせていただいています。
新卒でうちの会社を受けてくれる学生さんたちと関わる機会がでてきて、自分の就活について振り返る機会が増え。
今絶賛就活中の学生さんの励みになれば、
新卒何年目かの方になつかしいなあとか思ってもらえれば、
という気持ちで書いてみます。

わたしは、当時の就活を「失敗した」といっています。
でも、タイトルにある通り、結果としては大成功でした。

就活していた頃のわたしは、とにかく大手企業ばっかり受けて、ネームバリューばっかり、親がなんていうかばっかり気にしていました。
わたしは小さい頃から、とにかく一番を目指して、親にほめられるのも嬉しくて、誇らしくて、勉強に勤しんできました。
同時に、物心ついたときには始めていたテニスもがんばってきました。
文武両道できる人ってなんかかっこいいじゃないですか。
なんでもできる人、かっこいい人、目立つ人になりたくて、がんばっていました。
まあ、どちらかがうまくいかないとき、どちらかを言い訳にしていたなんて、かっこ悪い自分が全くいないかというと、そうではなかったかもしれませんが。
それもまた人間っぽくていいじゃないですか。

そんなことはどうでもよくて。

いわゆる「一番」を目指してずっと生きてきたわたし。
奈良県で一番といわれる公立高校に合格し、
コツコツためた成績をつかって指定校推薦で早稲田大学に入りました。
でも、指定校推薦ってやっぱり何かと風当たりが強いこと、
自分としても、周りはみんなセンター試験だなんだとがんばっているなか、
しれっと早稲田に入ることに引け目を感じていました。
大学でも何かやりとげたい、もっと追い込みたい、なにかに打ち込みたいと思い、体育会庭球部に入りました。
根本のマインドが体育会なんだと思います。
かつ、周りからの評価も気にしていたんだと思います。

そんな風に、周りの目を意識していたわたしですが、
就活においても、自然とネームバリューを気にして、大手ばかりみていました。
大手以外はアウトオブ眼中でした。
部活の雰囲気的にも、OBOG、後輩から就職先を聞かれ、答えた時に、誰も知らないような会社だとちょっと気まずい、みたいな風潮があったんですよね。
でも実際、そういう学生は多いと思います。
早稲田のようないわゆる有名大学で、しかも体育会で4年間がんばってきたという自負があると、なおさらだと思います。
実際、周りの同期も親の期待に応えなきゃと思っている子がたくさんいた気がします。

そんなわたしの就活、
大失敗しました。

6月解禁のとき、持ち駒なんと2社。内定なし。
うち1社が大本命だったので、そこに懸ける気持ちで受けました。
あっさりお祈り。
もう1社は全く見ていない業界で、試し打ち程度に受けていた会社。
こちらもあっさりお祈り。

お風呂でお祈り連絡を受けたんですが、
えー、ショックのあまり、お風呂を飛び出て、
自転車に飛び乗り、高田馬場まで片道15kmを、いちもくさんに、
大号泣しながら駆け巡るという奇行に走りました。
謎。
深夜に、付近に住んでいる親友宅に飛び込ませてもらいました。
あったかい温玉丼を作ってくれた親友の兄夫婦、今でも感謝しています。

ってことで、ここから第2期就職活動が始まるわけです。
もう大手なんて残っていません。
中小企業だったり、通年で採用している外資系だったり、
あとはベンチャー。
もうどうしたらいいかとにかくわからなかったので、
まずは、ずっと就活支援をしてくださっていたメンターさんにすがりました。
そのときのメンタルはというと、面談中にぼろぼろと泣き出すような状態。

改めて自己分析からスタート。
もうどうにでもなれ、半分やけくそで、もはや余裕すらありました。
だからこそ、このとききちんと自分自身に向き合えるようになったのかなと、今は思います。
改めて自分に本当に合っている環境ってどういう場所なんだろうを突き詰めた時、かなりベンチャー気質の高い企業が合うんじゃないか、と整理され始めました。
自分の存在価値をがっつり感じられるような、そんな企業に入りたい、と強く思うようになりました。
その結果、出会ったのが今の会社です。
第2期就職活動では、メンターさんに紹介してもらった企業だけを受けました。
数で言うとたったの3社です。
なかでも、今の会社はダントツで1番に志望していました。
扱っている商材も、営業のスタイルも、人に真摯に向き合ってくださる社員の方々も、本当に魅力でした。(文脈上過去形にしていますが、今でもこの想いは変わりません)
また面接においても、自分がどうフィットしているのか、自分がこの会社のどの部分を魅力に感じているのか、きちんと自己分析できていたからこそ、
きちんと自分の言葉で話すことができました。

無事内定をいただき、この会社に入ることになりましたが、
まだまだわたしの山は続きました。
親の反対です。

もうそれはそれは止められました。
止められたというか、本当に大丈夫なの?と、不安をめちゃくちゃ煽られるようなことばかり言われました。
わたしにとって、進路について親から反対を受けるという経験はこれが初めてでした。
そりゃそうで、これまで親の期待に応えたいという思いも持ちながら、
がんばって県で一番の公立高校や、知名度の高い大学に進学し、体育会活動もしてきたんですから。
そんなとこに行くの?みたいな目は、初めてだったんです。
親に背中を押されないというのは、悲しく、そして不安なんです。
自分が選んだ道が正しいか、自分でもぶっちゃけ自信はないわけです。

東京から奈良に向かい、
自分は納得している、親に背中を押してくれ、という話をしました。
最後まで、背中は押せない、という着地から変わりませんでした。
一泊だけして、奈良から逃げるように東京に帰ってきました。
わたしが帰ってから、姉が父親と話し、
「心配だから」という根本の親の心を引き出してくれました。

なので、
就職にあたって、実家の雰囲気としては本当にお祝いという感じではなく、最後はゴリ押しで就職を決めたようなかたちでした。

その結果としてどうだったのか。
本当に自分に合った環境で社会人生活を送れていると感じます。

事業に対して感じた魅力は間違いなく本物でしたし、社員の方々も素敵な方ばかりで、わたしが感じたこの直感は間違いなかった、と思えています。

あの時、親に言われるがまま、
例えば就職浪人だったり、海外留学だったりという選択肢を取っていたとしたら、わたしは社会人になっても、
自分の人生を自分の足で歩めていなかったと思います。
自分で、自分を信じて、選んだからこそ、
嬉しいことも、つらいことも、全て自分の責任として受け入れられています。
自分の人生は自分で決めていい。

ただ、
第2期のような就活の仕方、
きちんと自分に向き合ったうえでの就活を初めからできていれば、
あんなに辛い思いも、自転車をかっ飛ばすようなこともしなかったんじゃないかって思います。
自分が本当にやりたい仕事、自分がわくわくする仕事のことを追究した就活になっていれば、本来就活って辛くてきつくて病むようなものではないように思います。
やっぱり、ネームバリューのあるところに行きたいだとか、周りの目というフィルターがかかっているからこそ、焦りや不安が勝ってしまうように思います。

転職も普通になっている世の中ですし、今就活している方も長く働く想定はしていない方がいらっしゃるかと思いますが、
1社目はやっぱり大事だと思います。
社会人1年目をどう迎えるか、これはその後の社会人生活に必ず影響を及ぼすと思います。
まだ社会人満2年の人間ですが、この会社に入って、これからのキャリアの描き方が大きく変わりました。
また、1社目選びが大事な理由として、「同期」という存在があります。
転職していくと、「同期」という存在がなくなってしまいます。
どういうひとたちと同期になるか、どういう関係を築けるかは、1社目次第です。

それらを加味しても、
やっぱり今の会社を選んでよかった。
大成功だったなって、思います。


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