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技術派遣20年 -振り返りと今後の課題-

はじめに

私が機械系 技術派遣をはじめたのは高専を卒業した2003年4月からで、2023年12月現在でおよそ20年の技術派遣人生であり、定年を60歳とするならサラリーマンをあと20年続けることになります。

これまでの技術派遣について振り返り、これからの私自身の課題について考えていきます。

ここまでの20年

派遣社員になることを反対されました

両親は、昔から私がやりたいことは基本的にやらせてくれました。もちろん派遣会社に技術派遣社員として入社することにも反対はされませんでした。
私が派遣会社に就職を決めた時に家族で唯一反対したのは年がひとまわり近く離れた兄でした。
兄はビジネス系の専門学校を出て地元の優良企業で働いており、20年前の当時は技術派遣があまり浸透しておらず兄にとっては派遣は社員の下でこき使われるだけ、給料も安いし、高専を出て派遣会社はもったいないと言われました。
兄の言い分もわかりました。

高専には理想の求人がなかった

しかし、現実問題として20歳の高専生にきている求人は、大手の企業では営業技術やメンテナンス、調達関係がほとんどで機械設計はないに等しかったのです。
中小企業は設計業務がありますが、土曜出勤などがあり年間休日が90日もなく初任給も大手企業より目劣りしていました。
機械イジりは好きでもないですが、機械設計はなんとなくやりたいと思っている中で今の派遣会社に出会ました。

設計ができない

私が入社して最初の仕事は実験業務でした。
設計ができると言われ入社したのに設計ができないのは、正直派遣会社に騙されたと思いました。
ただ、社員に小間使いされるかと言うとそんなことはなく、最初は寸法測定くらいしかできなかったのが実験業務の経験が増すごとに客先の社員さんと同じ業務を任せられるようになっていきました。
設計がやりたいという気持ちは消えず、派遣元の営業には派遣先変更を言い続けていました。同時に派遣先の人たちにも自分は設計をしたくて今の派遣会社に入って、今も設計をやりたいということを伝えていました。

設計業務ができることに

実験業務を4年やって、やっと派遣先を変えることができました。4年業務をやっていると全ての実験業務ができて客先社員の新人教育なども任されるようになっていました。派遣先の人たちは、念願の設計ができるようになって良かったねと言って送り出してくれました。

その後、別の派遣先で工程設計(生産技術)を経験させていただけましたが、業務内容が設計ではなく生産技術的な業務で自分のイメージしていた設計とはアンマッチでした。なかなかブラックな職場環境ということと設計業務ではないこともあり、およそ1年で営業さんに相談し派遣先を変えてもらうことになりました。

その後、実験業務の派遣先から変わる時にNGになっていた設計業務ができる派遣先で案件があり、CAD経験はないものの生産技術業務で他部署と折衝していた経験を買われて装置モノの設計をやることになりました。
派遣先の指揮命令者となる責任者からはCADや技術スキル、プレゼン能力は私たちが成長させます。と言ってくださり、今思えばこの派遣先に決まったのは運が良かったと思います。

設計業務の派遣先が決まるまでは数社の案件でNGになっていました。CAD経験がないのこと、作図経験がないことが大きな理由で、若い技術者にはCADオペレーター的な役割を期待している派遣先が大多数のため実験業務や生産技術でほとんど図面を描いてこなかったのは非常に足枷になりました。

転職そしてカムバック

28歳の頃は最初の設計業務をしていたものの、プライベートでは生涯を共にするつもりのパートナーがいてとにかくお金を稼ぎたいという時でした。
この頃の収入は、500万から600万の間で今思えば生活をしていくには十分な額でしたが、上を見てもっと稼ぎたいという思いが先行していて何でも良いから独立したいという思いで転職しました。
保険の営業の道に進みましたが、やはり独立するというのは簡単なものではなく、パートナーとの別れや身内や知人に保険を勧められない性格が仇となり転職半年で再び転職します。
お金もなかったことからさくっと稼ぐために、派遣会社を探すことにしました。その時は無期雇用や有期雇用とかは関係なしにとりあえず働く先を探そうとしていました。
ところが、元いた派遣会社の方とたまたま会う機会があり、現況を報告したところ元の派遣会社に戻ってきたら?上には話し通すよ。と言っていただき、晴れて元の派遣会社にカムバックできました。
元の派遣会社に戻れて良かったのは、まずは給料が安定していたことです。派遣についていなくても基本給は保証されていたので最低限の収入は確保できます。
次に、経験を活かせることです。高専で学んだことや8年近い機械系の技術者としての経験を活かせることは、保険屋という未経験の異業種で失敗した私にとっては大きかったと思います。

つらい機械設計業務

元の技術系派遣会社に戻ってから、いくつかの派遣先で設計業務を経験しています。
そのなかには、短い納期のなか1人で複数台の装置設計を任されて、外部請負設計などを使いなが図面リリースするような業務や、自動車系の部品設計では高い設計品質や新しい技術の確立などを短い納期でこなすことを要求されるような業務があり、肉体的に病んだり、精神的に病んだりして休職したりもしました。
ただ、そういう職場は私のような派遣社員だけがそうではなく、社員さんたちにも同じように苦しんでいる方はいます。一緒に装置設計をしていた電気系技術者の方が疲労で倒れて休職したのも私が休職したトリガーの1つだったようにも思います。
いずれにしても派遣先によるのが前提となりますが、設計業務が楽なところはありませんでした。

これからの20年

私の2023年の年収は780万でした。
総務省の令和4年度地方公務員給与の実態によると、50代大卒の市役所職員の平均年収は、約626万円(引用: アガルートアカデミーHP 市役所職員の年収はどれくらい? 年齢別の平均年収を解説)
だそうです。
私の現在の年収なら41歳、家族4人、田舎暮らしなら定年まで年収が変わらなくても暮らしていけるでしょう。現状で言えばこの年収で満足しています。

しかし不安もあります。長男がダウン症で、今の派遣先は理解してくれており休みが多くなっても私が休めるように協力していただけます。
自宅からも通勤できるのはとてもありがたいです。
しかし、今の派遣先が何らかの理由で終了になった場合、私は全国対応の技術者なので数ヶ月探しても通勤できる距離に派遣先がなければ単身赴任になります。派遣についていない期間が増えれば賞与が下がるため基本給の支給(基本給月額およそ45万円)しかなくなります。
サラリーマンでそれなりの給料をもらうということは、派遣とか関係なしに転勤のリスクはあります。実際に職種を問わず正社員になった場合、他県の工場に異動と言われれば断るのは難しいでしょう。仮に異動を断れば、出世することは難しくなり収入にも限界が出るでしょう。
私が住んでいる田舎では機械系技術職、特に機械設計などの職はほとんどありません。仮にあっても勤務先が違う別の地方の工場だったり給与や年間休日が少ないなど、今の私には転職はリスクの方が大きくあまり魅力がありません。
今の派遣元であれば、求人が出ていなくても自宅から通勤できる距離に就業できる派遣先がいくつかあります。しかし、年齢が上がると共に時間単価が上がるため行ける派遣先が減ってくるという現実もあります。

これらのリスクを減らす努力が残りのサラリーマン人生20年の課題であると考えています。

課題の1つは英語力です。
グローバル化や外資系の会社が増えて英語を使用する必要がある派遣先が増えています。私は英検準2級レベルで翻訳ソフトがないと英語の技術文書を理解できず、英語のミーティングは出てるだけになってしまっています。

課題のもう一つは、技術力です。
私はプライベートでは機械のことに全く興味がありません。仕事は機械設計でやりがいと誇りを持っていますが、プライベートで機械設計に関する情報を得ようというマインドにならないため表面だけの薄っぺらい技術になっています。
車が好きで車関係の仕事をしている人はプライベートでも自然と車に関する情報を得ているため、私よりも業務をより深掘りして遂行することができると思います。

英語力と技術力、この2つの能力を上げるよう何をすれば良いか考えながら、実行していきたいと思います。

さいごに

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さいごまで本記事を読んでいただきありがとうございました。

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