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”時間がない”は社会の課題-「ケアの倫理」を読んで思うこと-

働く時間、子育てする時間、家事をする時間、自分をいたわる時間…
その全てが、私たちには欠けている。

この文脈でいう”私たち”とは、”ワーキングマザー”に限らない。
日本では、働く人全員が抱える大問題らしい。

大学時代の恩師の勧めで「ケアの倫理」を読んだ。
副題には”フェミニズム”の文字。

あぁ、女性の活躍を!とか、男女共同参画社会を!を謳っている本なのだろうなと思っていたが、誤解だった
特に印象的だったのは、以下の3点である。

  • 例外なく、ひとは、他者の身体的・精神的なケア(人間社会の存続には不可欠な、気遣い、配慮、世話すること)を受けつつ生きている、具体的でかつ傷付けられやすい存在である

  • にもかかわらず、ケアは経済活動の外にあるため、軽視されてきた

  • しかし、実際には、市民を育て、日々の市民活動(主に、経済活動)を支えている。ケア活動こそ、市民活動(経済活動)の基盤なのである

復職後、自分が「社会を支える、経済活動の中心を担う存在ではなくなったのだ。」と感じたが、
ケアの倫理においては「経済活動の中心から外された」と考えるのは誤りで、経済活動の基盤を作る側に回ったというのが正しい

さらに著者は、ケアの配分が不均衡であるために、
現代人が労働(有償・無償)に追われており、
自分たちの置かれている過酷な環境を改善するための、政治的要求すらできないとも述べている。

内閣府男女共同参画局が毎年発行している「男女共同参画白書(2020)」では、「男女ともに有償・無償をあわせた総労働時間が長く、時間的にはすでに限界まで労働している」と明文化されているらしい。

「どのように生きたいか?」と考えたとき、
もっとゆとりのある生活をしたい、と答える人は多いと思う。

では、「どうすれば、ゆとりのある生活ができるか?」と聞かれたら、
家事や育児を手伝ってくれる人がいたら…
超過勤務を是正してくれる制度が自分の職場でもきちんと機能していたら…
子供の養育・教育の負担が少なかったら…と思う人もいるだろう。

著者は、こうした私たちの”よりよく生きるための要求”こそ、”政治的要求(=ケアを求める声)”であると述べる。
しかし、時間を奪われているがために、政治的要求を声にする余裕すらないことが、政治への関心が低い背景にあると指摘している。

「がんばるのが当たり前!」という時代に生まれた私たちは、どんな問題も個人で解決すべきで、解決できることもあるはず!と思っている。

そんな風に、自分たちの時間や気力・体力といった資源を一方通行に送り続け、その対価は、十分見合っているといえるだろうか。
自分をすり減らすことのない、サスティナブルな生活といえるだろうか。

今抱えているの辛さを、個人的な(感情的な)問題と位置づけず、
時代や社会の在り方にあると解釈し、声を上げる
ことで、開かれる道があるかもしれない。

こんな風にnoteで思うことを書き連ねてみること、
同じ境遇にある発信者のSNSにイイね!を押すことだって、政治的活動の一つなのだと思う。

【参考文献】
岡野八代. (2024). ケアの倫理 ―フェミニズムの政治思想. 岩波新書.

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