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期待しちゃうから残念な気持ちになるのか・・

人ってそんなものさと思えればいいのかもしれしない。

気にしなければいいようなことなのかもしれないけれど

普段は講座やカウンセリングの仕事をしている私だが、月に一回か2回くらいのペースだが、イベント警備の仕事に入っている。
スポーツの試合などが多いのだけれど、手荷物の検査をしたり試合後の歩行者を安全に誘導したりする。

今日も22時半迄、ほぼ立ちっぱなしで先ほど家に着いたばかり。
お風呂を沸かしている間にパソコンに向かっている


毎回思うのだが・・・試合終了後は大人数が舗道に殺到するので、横断歩道では信号点滅した時点で止まってもらえないと、信号が赤になっても多くの人が横断歩道を渡り切れない状態になってしまう。すると左折する車も曲がることが出来ずあちこちに支障がでてきてしまうし、何よりも危ない。
渡る側でも、点滅し始めましたら次の信号をお待ちくださいなどと声掛けをしているし、渡ってくる側でも信号が変わってますので気を付けてお進みくださいなど声掛けをしているが、多くの人には何も響かないのだろう・・・虚しく声だけが枯れていく(私は喉が弱いので、いつもこれで声がれしてしまう)

『今渡り始めたら横断歩道真ん中あたりで赤になるな』とか、考えないのか不思議になる。そして信号が変わっている事を伝えても特に歩く速度が変わるわけでもなくゆっくり、時にながらスマホで歩いていく。

私が同じ立場だったら・・きっと急ぎ足になると思うし、信号が点滅していて、前を見たら人がたくさん詰まっているようであれば『渡り切れないな』と次の信号を待つと思う。
ましてや子ども連れの親御さんが無理な渡り方を当たり前のようにしているとなんだか哀しくなる。
その姿を見て育つ子たちも、それが普通だと思ってしまうかもしれないし、お手本になるべく親がそれでは・・・とかいろいろと余計なお世話状態な脳内状態になってしまい急に疲れが出てしまう。

信号点滅時に渡り始めてしまっていたのならまだわかるが、完全にわたる前に点滅している状態を見つつ、無理して渡る人たちが多すぎて、『小さな子どもたちも一緒なのに危ないなぁ』とか『車がこんなにたくさん待ってくれているのに』とか・・・思い始めてしまうとしかめっ面になってしまうので気持ちを切り替えて『お気をつけてお帰りください』という思いを込めてみるものの・・・

声掛けしても馬の耳に念仏状態・・・虚しくなる。
あんなに感動に満ちた応援の歓声をだしていた人たちなのになぁ~

もちろん誘導に素直に応じてくれる人もいるのだけれど、あまりにそうではない人たちの方が多い。酔っていたりするからなのか。
まぁ、私たちの誘導があまり上手ではないのかもしれないが・・・なんとも複雑な気持ちだ。

最近、車を運転していても思うのだけれど、以前に比べて黄色信号から赤に変わった後も2、3台車が走っていくことが増えている。以前も一台くらい赤ギリギリで走っていくのは見かけていたが、今は数台速度を緩めることなく走っていくので、本来なら渡れるはずだった右折の車が渡り切れなかったりしている。想像力が欠乏しているというか、状況を想定して、判断したりする力が全体的に低下してしまったのだろうか。ここ2、3年で何が変わってしまったのだろう?

それとも本来、人ってそんなものなのか・・・

なんでも杓子定規である必要はないけれども
なんだかとても残念な気持ちで50歳代最後の1日を終えてしまいそうだ。

お風呂でゆっくりむくんだ足でもマッサージして気分を変えて寝るとしよう。

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