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(ほぼ)100年前の世界旅行 ソルトレイクシティ〜デトロイトへ 7/1-4

大自然の中のリゾートホテルを視察したイエローストーンの4日間の旅は終わり、曽祖父の旅は東へ向かいます。イエローストーンでは、横浜からサンフランシスコまでの航海でPresident Taft号に同乗していたイタリア人Borgogna氏や、トーマスクックのニューヨーク支店長のTowle氏と再会しました。

ソルトレイクシティ

7月1日の午後Mammoth Hotelからバスでウェストイエローストーンに向かい、夕方の汽車で車中泊して7月2日朝ソルトレイクシティに到着した真一は、早速Towle氏とHotel Utahへ朝食を食べに出かけました。

1911年開業。落ち着いた色調の館内を真一は”really best I have seen outside of large cities”と記しています

ここで、フロント前のデスクで顧客対応をしていた人物に、空いている部屋で風呂を使うよう勧められました。だいぶんくたびれて見えたのか、トーマスクック社のTowleが一緒だったからでしょうか。豪華な続き部屋の風呂を使わせてもらい、”felt quite comfortable after a good wash”と書きました。隣接するモルモン教会で有名なパイプオルガン演奏を聴いたのち、午後1時の汽車でシカゴへ、さらにデトロイトへ向かいます。

米国移民政策への意見

1924年、米国が移民の受け入れを制限する改正移民法を施行したのち、日本では反発が強まっていました。Hotel Utahで出会った新聞記者は真一にこの政策への意見を聞きます。日記によれば、「一度は受け入れたものを(米国が)止めるのも、我々が反発するのも自然なことだ」と受け止めてから、「移民禁止が、我が国民をして発展すべき満州に入るの他、途なきを知らしめたること故、我日本人は将来を思わば感謝してしかるべしと思う」と述べています。その後何が起きたか知っている私たちからすれば、呑気がすぎるような気がしますが、外国人と常に接していた真一でも当時はこのような感覚だったということでしょう。「支那人(原文ママ)が拒否するのでは」との問いかけに対しては「米国人がインディアンを追い出し、メキシカンを追い出したると同様にして決して心配なきもの也」、「人の車が泥を跳ねたと腹を立てるとき、自分も同じことをしているとは思わないものだ」とも。
アメリカの態度を皮肉った、というより、思ったことを淡々と口にする人だったように思われます。どの新聞の記者なのか、記事になったかはわかりませんが、いつか探してみたいものです。

シカゴ経由デトロイトへ

1日半の汽車旅ののち、7月4日朝独立記念日で賑わうシカゴに到着。バスからみたBlackstone Hotel(1911年開業の大ホテル。1992年ヒルトン傘下に)は、新たなホテルの開業もあり”now stands second rate hotel “と書いています。1916年の米国旅行の時に熱心に視察しましたが、それから真一も経験を積んで、見る目が変わったということもあったでしょう。

1916年の米国旅行の絵葉書のBlackstone。立派です。


そしてさらにMichigan Central Trainに乗り継いでようやく到着したデトロイトでは、Book Cadillac Hotelへ。

デトロイトではエピソードがいろいろあるので次回また。デトロイトの次はバッファローでナイアガラの滝を見てから、ニューヨークに向かいます。

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