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文章の職人

表題の画像は、ギャラリー田辺さんよりお借りしました。風間 完 「婦人像」 Kan Kazama - 創業35年 美術品販売 ギャラリー田辺 (tanabegarou.com) (2024年5月5日閲覧)
この風間完さんという画家と表題からピンとこられた方もいらっしゃるかもしれません。かつて昭和時代に、彼と彼女のコンビの本でずいぶん楽しませていただきました。そう、向田邦子氏のことであります。

少し前に、銀座の教文館で風間さんの本を発見しました。挿絵画家 風間完 - 平凡社 (heibonsha.co.jp) 連鎖して向田邦子氏の本が思い出され、先ほど本当に久しぶりに本棚から引っ張り出してみた次第です。

3、40年前の本は今よりもずっと字が小さいのです

にんげんの周辺数メートル以内の、ごく些細で身近なモノ・コトを見事な切り口でさばいてみせ、しかもその角度は自由自在、文章の出だしがここからか、と思わせておいて最後の数行で物凄い締め技で持って行かれてしまう。
わたくしの中では、向田氏は腕の良い板前のイメージなのです。
まな板にコトリと包丁を置かれた時には、スッパリと3枚におろされた題材と瞬きもせず見惚れていた読者が残され、仕事を終えた向田氏はこれにて失礼とばかりにアピールも無く去っている、そんな読後感の随筆です。

言葉の運び方もさることながら、段落のリズムもサッパリきっぱりとしていて清々しいばかり。繊細な視線でありながら湿度を低く保っていられるのは、その知性から自然とそうなるのであろうな、と今この文章を書きながら読むこと、あっという間に数十分。いつこの投稿が終わるんだ。。。
一言で物事を言い表す特徴的なメタファーも、鮮烈でぐうの音も出ません。例えば、手製の水着の色落ちを「まるで墨イカであった」、「私の抽出しときたら、開けたてするたびにベロを出すのである」など。
おっちょこちょい話も散りばめられていて、写真の『眠る杯』は「荒城の月」の歌詞(そう、あの箇所です)を間違えて覚えており、いつ無意識にまた間違えて言ってしまうかと怯えているというお話しから。

この、間違えているとはわかっていても、つい口を出てしまう言葉はわたくしにもあります。
それは「ひをしがり」「ふとんをひく」等々。両親は共に東京下町の者でして、とくに母がいけない。「ひ」と「し」の違いがわからない上に、意地を張ってちゃんと言おうとするものですから、入れ替わったり間違えたりして生まれた時から何度も聞かされるうちに、わたくしまで口に出すのを怯えることとなりました。漢字にすれば潮干狩り、布団を敷くで理解はできているのですが、口では違う。
これ以外にも、タクシーを拾い道を説明していると「お客さん、東京のひと?しゃべりが、そうだよね」と言われることがあります。「あっちっかし/こっちかし」や「ひとっつ」「とっつきまで」等からでしょうか。

とここまで書いてみてハタと気が付いたのですが、もしかして向田作品とは、先ほどわたくしが述べた特徴などよりも、むしろ上手いしゃべりの要素が多分に含まれているのではないでしょうか。
夏目漱石をはじめ名だたる文豪たちが寄席通いを続けていたのは有名ですが、落語の話の展開や落ち、聴き手(読者)の空気のはかり方などは、 ”シェアして伝える” 意味で非情に長けていますね。板前向田職人の切り口も、メタファーも、段落も、まるで落語のような完成度なのです。
読後に「全く、参った」と拍手したくなる名人のエッセイ、今一度ページをめくられるのはいかがでしょうか。あっという間に時間が経過いたします。



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