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流れに棹ささず /ガラ空き高野山編1/3

表題の写真は、薬師寺さんで求めた御朱印帳です。
「これは何ですか?」とお聞きしましたら、強風の中とても丁寧にご説明いただいたのですがよく聞こえず、まいいやと購入しました。話している最中、パンフレット類がバラバラと舞い飛んでおりました。

奈良のあとは高野山に向かう予定です。知人の紹介でプロに交通の乗り換えだけ組んでいただき、宿もお任せしました。
そもそもなぜ高野山に行くことになったのか、というのも、当時の愛弟子の思いつきからでした。「そんなにお寺やお坊さんに縁があるなら、この際ちょっと行ってきてください。僕もまだ行ったことがないので、知りたい」とのことで、出発したのでした。
御朱印帳も分かっていないほどでしたから、お寺がいっぱいある、弘法大師の聖地、くらいしか知りませんでした。さらに、わたくしめのことですから事前に調べるなどは、しようしようと思ったとしても、まあ、ないですね。。。

夕暮れの中、急こう配のケーブルカーに乗り、高野山駅からバスで最終地点でしたでしょうか。宿坊のお寺には、何やら安っぽい(失礼)ネオンサインの光る門がありまして、「おお、あの担当者のセンスは大丈夫か」と一瞬いぶかしみましたが、驚いたのは門をくぐるかくぐらないかのところで
「〇〇(←美恩の本名)さん!?」
と坂の下でお待ちのお坊さんに声をかけられたことでした。あら、遅かったのかしら。靴を脱ぎ、通されたのは宿泊部屋ではなく居間のようなお部屋。
「それで、どんなわけでこちらへいらしたの?御朱印帳をお持ちなら、半願とか、満願とかは?」と尋ねられ
「半眼?マンガン?」
とくり返すわたくし。薬師寺で聞いとけばよかったのに。
「ここまでいらしたとは、何か目的があるでしょう。何をしにいらしたのかな?説明しますから」
と根気強く尋ねていただき、とうとう無目的で高野山に来たことが判明するやいなや
「ホントに?ちょっと待ってなさい」
と慌てて奥に引っ込むお坊さん。お戻りになるその手には高野山の地図が握りしめてあり
「無目的で大切な時間を過ごしてはいけない」
と、滞在中の旅程を次々に記入していかれました。
「ここへは午前中に行って〇〇を受けていらっしゃい」ですとか、「夕方には、このお寺の外廊下に寝そべってみると大門ごしに素晴らしい景色が見れる」などと、興味深いお話しぶりでご教示いただいた次第でした。
「よしっ、今急きょ決定して、一番良い部屋に変更したる」
とまでお取り計らいいただきました。
「今夜、夕食のあと、そこの脇の門から外へ出ていらっしゃい。人生は短いのだから、時間を大切にちゃんと見てくるといい」
との言葉に背中を押され、夜7時半くらいに外に出て仰天です。

・・・真っ暗。

街灯などありません。地図なんて見ても真っ暗でぜんぜんわからない。ええい、迷ったらタクシー拾えばいいや、と踏み出しましたが、ポツンポツンとともるお寺の提灯以外、静まり返ってな~んにもない。空には一面に星。
車なんて全くとおりゃしません。帰れるかな。それでも、ポツン灯りが大好きなわたくしは携帯で写真を撮りながら、やがて木々の茂る真っ暗な道を進んで行きました。(このあと不思議なことが起こるのですが割愛します)
当時はコンビニも無く、宿坊に泊まる日本人はごくわずかで(結局3泊中どこもわたくしのみ)、外国の方が何組か、というくらいでした。今は物凄い混雑ぶりと聞きますので、あの暗闇と静けさはもう贅沢なものとなっているのでしょう。

素朴な宿坊では、朝食の際にあのお坊様が外国の方へ面倒見よく食器の説明をされており、手作りのミサンガも配ってくれました。印を組み、ご自身はトイレでもいつでも使うとデモンストレーション。ああ、無知のわたくしにとって良いところに当たったな、と感じました。
次の宿坊へチェックインまで荷物を預かってもらい、言われた通りのスケジュールをやってみようと地図を凝視しても、お坊さんの字が達筆すぎてまるっきり読めない。それでも、何か書いてある所の建物へ入ってみると流れるように案内してくださる方が現れました。ああ、写経か!携帯オフの写経のあと、ナントカカントカと書いてあるのは何でしょう?と地図を指さしお聞きすると
「あ、では、写経を中断して時間になったらこちらへ。時計がない?そうか、、私の貸してあげます!」とご自分の腕時計を差し出されました。
時間になり、呼ばれた扉の前へ行くと
「あちらを向いて正座してお待ちください」と部屋の中へ促されました。と、

・・・真っ暗。

部屋のお坊様の声に従い座ってみれば、離れた隣にはどうやら外国の方が一人。何が始まるの。宿坊で聞いとけばよかったのに。
言われるまま文言を唱えていると、物凄い熱心な隣の外国人の声が聞こえる。やがて、目の前の台座に凄そうなお坊様が現れ、お話しがあり(緊張で覚えていない)言われるがままその顔前まですすみ、何かを手渡されました。しかし、この間全くお坊様のお顔は見えません、真っ暗で。おおお、コワい。

その後、軽装、タウンシューズのまま地図通りに女人道へ進み、予想をはるかに超えるハードな思いをしてクッタクタになりました。だから、事前に調べればよかったのに。

宿へ荷物を取りに戻ろうとすると、またしても門の坂の下で既にあのお坊さんが待ってました。正確には、門に近づいた時点で姿も見えないのに名前を呼ばれました。なんでわかるの? 道々お土産に購入した焼き栗を差し出すと
「おお、これはこれは」
と丁重にお礼をされたのですが、えへへ、実は1つ食べちゃった。
「お受戒(あの真っ暗な部屋の儀式)で、何かもらったでしょ?ああ、よしよし、ご両親はご存命?その時には、棺に入れてあげなさい。それが、天国へ導いてくれるから」とのことでした。

しかし、このお坊様に最初に出会わなければ、この日を含め、その後の特別な経験はなかったと思います。それから何年も経過し、全く関係のないシーンで高野山に親しいある方と知り合いました。「ああ、あのお寺ね、今年僕もツアー組んであそこへ泊りますよ。今は政府から補助金が出て、綺麗なお寺になってるんですよ」と知らされました。
ああ、もうあの抜きん出て他とムードの違うお寺ではなくなったんだ。
あの時に、高野山に旅して良かった。

また機会があれば、その後の宿坊やお坊様のお話を残せればと思います。
行かれたみなさまにも必ず特別な高野山の時間がおありでしょう。あそこは、そういう場所なのだと体験してわかりました。




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